五、「教会とわたしたち」(341)
4.近代の教会の夜明け ―宗教改革とその後―
つまり貧民救済は教会の慈善の仕事ではなく、大きくは人道的な問題として国家政治の問題であるという社会構造の変革をもたらしたのである。これはそのまま現代の社会にも受け継がれている。カトリック的な意味で慈善行為は自分自身の救いにかかわるという意味での中世的な教会特有の慈善行為であった。その働きを主として修道院が担ってきた。結果として、人の善意によって生活する建前の中世的修道院は廃止され、その施設や基金は没収され、国家の所轄となり、とりあえずは貧民救済のために用いられることになった。以後継続的に国家が責任を持つことになる。働く力のある者は、公的な福祉事業に働き、福祉思想の発展に貢献することになった。宗教改革の「信仰のみ、恩寵のみ」が福祉労働者を(ここまで前回)その社会に職業として根付かせることになった。
信仰の救いが「信仰のみ、恩寵のみ」によってもたらされるとするなら、いわゆるカトリックが主張していた貧者や病人に対する配慮や救護という善行によって救いの確かさを求める道は残されなくなったのであった。これはまた、カルヴァンのジュネーヴでも同じような社会現象となったもので、教会が取り仕切っていた結婚制度がある。カトリック教会の七つの秘蹟のうちの一つが結婚であった。結婚は世俗の問題として教会から切り離して、たとえば近親結婚の禁止など、教会が判断することではなく民事法の元に置いて裁判所の判断にゆだねるものとなった。(つづく)