(原 光訳 2000年、沖積舎)
ダンテの「神曲 地獄」編 第15歌(カッコ内は筆子、その10)
◯昔からあの世界であの市民は盲人と呼ばれてゐる、強欲で、嫉妬深く傲慢なやからだ、あのやからの習癖から身を淨めるがいい。
そなたの運命はそなたのためにめざましい名誉を貯えてゐるので、いづれの党派もそなたを渇望するだらうが、草は雄山羊から遠くにあるだらう。
フィエゾーレの獣どもはお互いの身を草として食ひつくすがいいのだ、自身の糞(くそ)寝藁から まだなにか植物が芽生えても、それには触れぬがいいのだ、(前回ここまで)
◯あれほどひどい邪悪の巣がつくられたとき、あすこにとどまつたローマ人の神聖な種がその中に蘇(よみが)るにのだから。」
「わたしの願ひがすつかり叶えられたら、」とわたしは答えた、「あなたはまだ人間の生(いき)身から追放されずにゐたでしせう、
かう言ふのもあなたがあの世界で時折、人間が不滅になる術をわたしに教えて下さつたときの、あの慈父のやうな懐しく親切なお姿がわたしの心に焼きついてゐて~(つづく)
◯本日、2017年1月1日の日本聖書協会「聖書愛読こよみ」の主題は「創造主なる神」と、聖書をそのまま元旦の言葉として読んでいただきたい。この世界は今もその通り始まろうとしているのだから。1章1節~2章5節前半まで、聖書
本文としては、その資料はP資料で内容は形式的な言い方ではあるが、権威をもって語り簡潔明瞭である。2章5節前半「地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。」と、そこでP資料が終わっている。続くその節の後半は、「生
えていなかった」の理由付けであり、別のJ資料の編集である。表現形式が異なっており、そもそもP資料著者は理由付けを必要としない。
◯写真は、12月日25日(日)。2016年クリスマス祝会の様子です。