五、「教会とわたしたち」(395) 5.近代から現代へ(宗教改革とその後)
はじめに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」から引用(その35)
23.カエサルの勝利を見るにしのびず自殺したカトーの場合。
24.レグルスがカトーに優るように、キリスト信者はさらにレグルスよりもすぐれている。(前回はここまで)
25.わたしたちは他の罪を犯すことによって、一つの罪を避けようとすべきではない。
確かにわたしたちの肉体が情欲の誘惑によってこころを罪への同意へと誘わないように、いやが上にも注意深くあらねばならない。「わたしたちが言っているのは、まさにそのことだ」とわたしたちの敵は主張する。「われわれが自分の生命
を断つのはだれか他の人の罪のためではなく、自分自身の罪のゆえである。すなわち、それを犯すことを避けるために、われわれは自殺する」。答えはこうである。すなわち、こころが本能的情欲に屈することは決して許されない。そのような
情欲は、少なくとも肉体とその欲望よりも神とその知恵とに従順である人の場合には、肉体がだれか他の人によって挑発されるときに起こるのである。
自殺が憎むべき行為であり、嫌うべき犯罪であるとすれば―事実その通りなのであるが―いったい愚かにもこう言う者はだれであろうか。「のちになって姦淫の罪を犯すことがないように、さあ人殺しをしようではないか」。もしも不義がかく
もはびこり、わたしたちが罪なきことよりも罪を選ぶことになるとしても、~
(つづく)~(教団出版「神の国」出村彰訳1968)