五、「教会とわたしたち」(399) 5.近代から現代へ(宗教改革とその後)
はじめに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その39)
26.聖徒の中には違法行為を犯したものがあると言われている。その理由が何であったと信じたらよいのか。
わたしたち相互の間の交わりを考えても、このような内的な知識に達するであろう。わたしたちはそれに関する
情報を持たずしては、何事についても判断を下す権利を主張できない。「いったい、人間の思いは、その内にある
人間の霊以外に、だれが知っていようか」(第一コリント二・二一)。(前回はここまで)わたしはあえて躊躇すること
なく言う。それゆえに、なにびとも現世の悲惨事を回避するために、進んで自らに死を課することがあってはならな
い、と。彼は永遠に続く悲惨事に落ち込んでいるのに気づくかも知れないのである。さらにだれも他人の罪のゆえ
に自殺すべきではない。彼が他人の罪によって汚されることは決してないのに、彼は自分自身の重い罪によって
責められる者となるかも知れない。さらに、人は自分の過去の罪のゆえに自殺すべきではない。彼は改悛の中に
いやしを見いだすため、生きることをいっそう必要としている。さらに言えば、人は死後によりよい生を熱望して、
死を計ったりしてはならない。自殺する者には、死後のより良き生などはあり得ないからである。
27.罪を避けるため自殺することは許されるか
わたしが前に述べたように、人が自らの死を招来する方が有益に思われるただ一つの理由が残
されている。(つづく)(「神の国」出村彰訳)