ダンテの「神曲 地獄」編 第11歌(カッコ内は筆子、その6) (原 光訳 2000年、沖積舎)
◯だから最小の圏、つまりディテ(神話、地獄の王、既出8・67)が上に居る。世界の中心点では、裏切るものが永遠に憔悴(しょうすい)させられてゐる。」
わたしは言つた、「師よ、あなたの議論はじつに明確で、この奈落とここを占めてゐるものたちを、実によく分類してゐますが、
どうか教へて下さい、あの泥沼でふやけてゐるもの、烈風に運ばれるもの、雨に打たれるもの、衝突して毒舌を弄するものたちは、」
(ここまで前回 )
◯なぜこの灼熱する市(まち)の中で罰せられないのですか、神の怒りを受けてゐるのなら。また受けてゐなければ、なぜあのやうにされてゐるのですか?」
師は答へた、「そなたの知力はなぜいつもの道からそんなにも逸(そ)れてゐるのだ?そなたの心は外のどこをみつめてゐるのだ?
思い出なさぬのか、そなたの倫理学が天に忌み嫌はれる三つの性質、放縦と悪意と狂つた獣性を詳しく論じてゐるあの言葉を?
(つづく)
◯2015年10月18日は、今年の第四十二主日。日聖協「聖書愛読こよみ」は「イエスは何者」という主題である。聖書はマタイ24章23~31節、その30節、「そ
のとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。」と。
いわゆる主イエスの来臨である。このときを人は待望している。ゆえに、いかなる天変地異にも、恐れてはならない。
◯写真は9月22日、大阪での全国信徒大会の閉会礼拝(司会、高松牧人教師、鶴見教会牧師)スクリーン上に讃美歌[228番]を映し出されて、それを観て共に歌う。