日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

牧 会 通 信

2016-06-27 19:50:32 | 大分中央ウィークリー

 ダンテの「神曲 地獄」編 第13歌(カッコ内は筆子、その16)  (原 光訳 2000年、沖積舎)

◯それからわたしの先達はわたしの手を取り、血を吹く折れた傷口によつて、哭(な)き呻(うめ)く潅木のそばへ連れていつた。

「おお、ヂャコモ」、とそれは言つた、「ダ・サント・アンドレア(ヂャコモ接合の名、トッポで戦死)このおれを防具にしてなんの役に立つのだ?お前の罪深い暮しぶりに対しておれにどんな責任があるのだ?」

師はその潅木を見下ろして立止まつたとき、かう言つた、「そんなにも多くの傷口から血とともに悲痛な言葉を吹き出す、お前は誰だつたのか?」(前回ここま

で)

◯すると答へた、「このやうにおれの葉をおれから分離した、この無法な破壊を ちやうど来て見た霊たちよ、 (注)「都市」はフィレンツェ

  どうか葉をこの惨めな潅木の下に集めてくれ。おれは最初の守護神をバティスタに変えた、あの都市(注)のものだつた、そのために

  あの守護神はその技術であの都市をずつと惨めにし続けるであろう、アルノ河の橋の上にまだその像が残されていないなら、(つづく)

 

◯本日は、2016年6月26日は第二十六主日、三位一体後第五主日となる。日聖協「聖書愛読こよみ」は「主を喜ぶ」とう主題である。聖書はルツ4・13~1

7。その14節「女たちはナオミに言った。『主をたたえよ~』」と。子が生まれ、その名をオベド、その曾孫がダビデである。主の計画は計りがたい。

◯写真は、6月22日、長崎伝道委員会問安のため、JR大分駅5時21分発で出発、長崎本線、肥前鹿島駅で大雨のため不通、代行輸送バスに乗換え。

写真顔、名古屋義弘先生。AN


プロテスタントとカトリック

2016-06-20 22:09:36 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(367)  近代から現代へ(宗教改革とその後)

はじめに近代への萌芽として、アウグスチヌス著「神の国」から引用(その8)

(:::わたしの計画に従って、わたしはできるだけ急いで、これら忘恩の徒(ともがら)について語ろう。彼らは彼らの悪口の当然の報いとして受くべき災害を、

不敬虔にもキリストに帰し奉ろうとするのである。彼らは異教徒であったにもかかわらず、キリストの御名は、彼らにふさわしくない安全を容認したのである。

よこしまで瀆神的な狂気の沙汰ながら、彼らは(前回ここまで、訳文31頁8行目)

いまやキリストの御名に逆らって鋭い舌を向けようとする。まさにその同じ舌でもって、彼らは死を免れるためにキリストの御名を偽って用いたのである。キリ

ストのために聖別された場所に避難して、キリストのゆえに安全に保護されていたときには、彼らは鳴りを潜めていた。しかるに彼らはこれらの隠れ家から身

を現わすやいなや、敵意に満ちた呪いをキリストの御名に浴びせかけるのである。

 4 昔の日、トロイが略奪されたとき、ユノーの神殿はギリシャ(侵入)軍に対する避難所とならなかった。しかるに最近のローマ略奪に際しては、使徒たちの

廟堂はそこに逃げ込んだ人々を蛮族から保護する役を果たした。

 5 カトー(ローマ文人)の見解によれば、占領した都市を略奪するのは、戦いの常であった。

 6 ローマ人でさえも、彼ら自身を征服した町々の神殿を惜しむことはなかった。

 7 ローマの略奪において現に起こった(つづく)~ (教団出版「神の国」出村彰訳1968


聖書研究

2016-06-20 21:58:27 | 大分中央ウィークリー

創世記23章9節である。「『~あの方の畑の端にあるマクペラの洞穴を譲っていただきたいのです。十分な銀をお支払いしますから、皆様方の間に墓地を所

有させてください。』」という。アブラハムの熱心な嘆願が続いている。要するに、「十分な銀」をというが、感覚的に「十二分の」という意味でなく、文字通りで

は、「相応の銀」という意味である。墓地のための土地をぜひ譲って(売買して)くださいといった。しかも「畑の端にあるマクペラの洞穴を」という。この時代すで

に税金制度があって、アブラハムの考えでは、負担の軽減、その税の安いという意味で劣等な場所を指定したのかも。 

 

初めからこの「マクペラ(地名)の洞穴」を予定していたようであるが、ヘト人の反応から、彼らの腹の内の消極的な姿勢を読み取りながら、この9節でアブラハ

ムの方から積極的に、「あの方の畑」と指定して個人的交渉に入ったようである。 

 

10節である。「エフロンはそのとき、ヘトの人々の間に座っていた。ヘトの人エフロンは、町の門のそばに集まって来たすべてのヘトの人々が聞いているところ

で、アブラハムに答えた。」という。こういう取引の成立の要は、売買を希望する側の心の問題である。何よりも誠心誠意という心が大事である。 

 

「町の門のそばに集まって来た」とは、この近東地域の慣習として町の門のそばは、町の共通の事柄についての協議と集会の場所であった。また「人々が聞

いているところで」というのは、既に全員で話し合った後であることを伝へようとしているところである。従って、「アブラハムに答えた。」とは、話し合った結果

を、多くの証人の前で、公的なものとして伝えようとしている。まさに厳かな雰囲気であった。


牧 会 通 信

2016-06-20 21:39:10 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第13歌(カッコ内は筆子、その16)

◯トッポ(地名でなく寺社の領地、1288年)の戦闘(たたかい)でもそんなにすばしこくなかつたぞ!」すると恐らく息が切れたのだらう、その霊は自身と一本の

潅木を一つの縺(もつ)れとなした。

  二人の後(うしろ)の森は鎖から解き放たれた猟犬のように、貪欲に突つ走る黒い牝犬どもでいつぱいだつた。

  奴等は隠れたものに歯を立てて、ヅタヅタに噛み裂いてから、ヅキヅキ痛む肉を運び去つた。(前回ここまで)

◯それからわたしの先達はわたしの手を取り、血を吹く折れた傷口によつて、哭(な)き呻(うめ)く潅木のそばへ連れていつた。

  「おお、ヂャコモ」、とそれは言つた、「ダ・サント・アンドレア(上下合せ一人の名、トッポで戦死)このおれを防具にしてなんの役に立つのだ?お前の罪深い

暮しぶりに対しておれにどんな責任があるのだ?」

  師はその潅木を見下ろして立止まつたとき、かう言つた、「そんなにも多くの傷口から血とともに悲痛な言葉を吹き出す、お前は誰だつたのか?」 (つづく)

 

 

◯本日は、2016年6月19日は第二十六主日、三位一体後第五主日となる。日聖協「聖書愛読こよみ」は「奉仕」という主題。聖書はマタイ5・13~16節。そ

の17節「あなたがの立派な行い」という。わたしたちの一体どこに「立派な行い」があるのか、どうか。 

◯写真は、6月8日、八女伝道所への中会伝道委員会問安。前列右から柳川の稲葉一先生(応援教師)。南茂、権藤国光先生(小倉)、後列右、山下寛治、

甲斐田由枝、塩塚信子諸兄姉。


プロテスタントとカトリック 

2016-06-15 19:05:44 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(366)

近代から現代へ(宗教改革とその後)

はじめに近代への萌芽として、アウグスチヌス著「神の国」から引用(その7)

(1、ローマが略奪を蒙ったとき、~) わたしたちは多くの者がいま厚顔無恥にもキリストの僕を侮辱していることを知っている。その中にはもしも彼ら自身が

キリストの僕であるかのごとく偽らなければ、大量殺戮を免れなかったであろう者も、数多く含まれている。然るに彼らは忘恩にして傲慢に満ち、狂気ごとき

不信心からのキリストの御名に抗(はりあ)い立ち、永遠の暗闇の刑罰へと陥る危険を冒している。彼らがこの世の光のいくばくかを享受せんと欲し、偽って口に

したのは外ならぬこのキリストの名であった。 2、これまでどのような戦争においても、(前回ここまで、訳文31頁1行目)

 

戦勝者が純粋に宗教的な理由から敗者の命を助けたことはなかった。 3、トロイ(前3世紀)を救うことのできなかった神々が、その悩みの日に何か役に立つと

考えるローマ人は愚かである。 :::わたしの計画に従って、わたしはできるだけ急いで、これら忘恩の徒(ともがら)について語ろう。彼らは彼らの悪口の当然の

報いとして受くべき災害を、不敬虔にもキリストに帰し奉ろうとするのである。彼らは異教徒であったにもかかわらず、キリストの御名は、彼らにふさわしくない安

全を容認したのである。よこしまで瀆神的な狂気の沙汰ながら、彼らは~(つづく)(教団出版「神の国」出村彰訳1968