創世記23章8節である。「(アブラハムは)頼んだ。『もし、亡くなった妻を葬ることをお許しいただけるなら、ぜひ、わたしの願いを聞いてください。ツォルの子、エフロンにお願いして、~』」という。ここに「亡くなった妻」と翻訳されているが、その原語は「わたしのマウト」であり、その「マウト」の意味は「死人」である。したがって口語訳は原文に忠実に「わたしの死人」と翻訳している。
たとえそうでなくても、キリスト教会では、一般に、「亡くなった」という日本語を使わない方がよい。キリストが死人の中から復活されたからである。死人となれたキリストの遺体に布を巻きつけて葬るための用意をしてあったが、イエスはその布をそのまま証拠物件として墓に残して、復活された(ヨハネ20・6)のでありました。
9節である。「『~あの方の畑の端にあるマクペラの洞穴を譲っていただきたいのです。十分な銀をお支払いしますから、皆様方の間に墓地を所有させてください。』」という。アブラハムの熱心な嘆願が続いている。要するに、「十分な銀」をというが、感覚的に「十二分の」という意味でなく、文字通りでは、「相応の銀」という意味である。墓地のための土地をぜひ譲って(売買して)くださいといった。しかも「畑の端にあるマクペラの洞穴を」という。この時代すでに税金制度があって、アブラハムの考えでは、負担の軽減、その税の安いという意味で劣等な場所を指定したのかも。
初めからこの「マクペラ(地名)の洞穴」を予定していたようであるが、ヘト人の反応から、彼らの腹の内の消極的な姿勢を読み取りながら、この9節でアブラハムの方から積極的に、「あの方の畑」と指定して個人的交渉に入ったようである。