標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

飯能にある秩父御嶽神社に立ち寄る。ひと時の冷気を味わってきた。

2017-08-22 20:20:37 | 日記
今日は越生にある霊園にお墓参りに行ってきた。我が家は代々無宗教なので、盆や彼岸の期間内にお墓参りをするならわしはない。したがって通常の盆や彼岸の前後のどちらかに墓参りをすることが多い。


この帰りに飯能の吾野にある秩父御嶽神社に行ってきた。今日この神社を訪れるまで秩父地方は正丸峠を超えた西側だと思っていた。神社の名前の冒頭に「秩父」が付くのか不思議に思いながら向かった。すぐに謎が解けた。この神社は明治27年(1894年)に鴨下清八という人が創建したという。そのころ吾野地域は秩父郡に属していたとのことであった。


今日はやや薄日がさし、数日来の雨は降らなかったが、相変わらず蒸し暑い日だ。山門を通り抜け、社務所を過ぎ、先に進むと林の中入った。急に涼しさを感じた。まるで熱いさなか、ショッピングセンターの入口のオートドアを入った瞬間と同じだった。冷気が体を包んだ。木が高く茂り、参道の脇には小川が流れていた。ちょっと興ざめだったのはその川底はコンクリート張りだ。でも、ランダムに置き石があり、水が潤っていた。木陰と水の流れが涼しさを運んでくれたのだろう。

更に進むと小川がなくなり、参道というより林道になった。目の前に200段を超える階段が現れたので登った。先ほどの涼しさは何処かに飛んでしまった。


山頂からは見通しのよい日はスカイツリーが見えるという。妻はサンダル履きであったし、家には愛犬が待っている。今日はここまでとした。次回はハイキングの準備をしてこようと誓い下山した。駐車場に折りたときは汗だくであった。


神社の創建者が東郷平八郎元帥の銅像を建て、広い神苑を東郷公園と称している。東郷元帥というと日ロ戦争と結びつく。私としては訝しく思った。しかし、同像を建てた鴨下清八が時の総理大臣に無条件降伏を上申したという。戦争終結に関わった人がいたと知ってほっとした。安心してまた来られると思った。



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