今朝のNHK「あさイチ」のプレミアムトークのゲストは、小澤征爾さんだった。日本が世界に誇る指揮者なので、どの様な話を聞けるか楽しみだった。そして、実際は予想以上に、いや、予想とは全く違った側面を見て聞き入った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/93/c2928e39db8bb20551ea81f92e9353c7.jpg)
小澤征爾さんが繰り返し語ったことば。
トークはとても自由でフランクな話し方、内容だった。肩ひじ張らずに聞けた。
長野県の中学校に30年間通い、子供たちのためにコンサートを続けているという。この子供たちの話をし、VTRを見て、うれし涙を流す小澤さん。また、お孫さんが可愛くてたまらないと話ながら涙する小澤さん。
また、これらのエピソードを話す前に、何回も「こんなこと(テレビで)話していいのかな?」と司会者に問いながら、躊躇せずおしゃべりする姿が(失礼だが)子供っぽく、ユーモラスだった。私たちが日常よく使う「ここだけの話だけど」と言い、おしゃべりするのと似ていて、親近感を感じ、いったいどのような話をするのだろうという期待を抱かせる。あたかも、小澤さん指揮の話術に飲み込まれるような気がした。
そんなエピソードの中で、「神奈川県の金田村に住んでいたことがあり、金田中学校に行く予定だった」ということを話された。驚いた。金田村は私が20数年住んでいたところだ。今は「大井町」という。続けて「田植えや、みかん・・・」のことが思い出として残っているという。私も、大井町に住まなくなって40年以上経つ。私の思い出は、同じく広大な田んぼと台地にあるみかん畑だ。農繁期には学校が休みだったり、半日授業だった覚えがある。みかんは足柄みかんといって、青く酸っぱかった思いがある。
小澤さんは、地元の中学でなく、成城学園中学校に入学した。小田急線の新松田から、成城学園前まで、電車通学をしたという。2時間はかかったろう。私も新松田から、新宿まで予備校と大学時代は小田急線で通学していた。片道2時間半かかっていた。当時から小田急線は混んでいて、朝方の通勤時間帯は新宿に近くになると急行電車が前を行く各駅停車の後を付いていくという状況だった。
小澤さんは成城学園に行ったので音楽に親しむことができたという。
プレミアムトークのなかで、小澤さんが音楽のことについて、繰り返し語っていた。「音楽は難しいよ」という発言だ。音楽の何がどのように難しいのかは語られなかったが、この言葉が私の中に強く響き残っている。難しさを説明されなかったのは、説明をためらったからでなく、説明のしようがないということを、言外に感じた。
多くのエピソードと共に、次のような語りの中に、小澤さんの音楽、小澤さんの人柄、人生そして小澤さんそのものを感じた。
指揮は、モーツァルトやベートーベンら作曲者が5線譜に書いたことを読み込むことだと言われた。
また、オペラは楽しいという。国内外のメンバーがいる楽団を指揮していて、日本人は行儀が良すぎる。他の国の人は勇気があると語っておられた。
音楽のいいところは、子供のころから口ずさめるからという。
終始、笑顔が絶えず、でも、時には涙し話され、最後は司会者から、何か好きな曲をと言われ、司会者共々指を鳴らしながら、口ずさんでいるところで、番組は時間となり終了した。その曲名は分からなかった。番組後も「音楽は難しいけれど、楽しいよ」という小澤さんの声が聞こえてくるような気がした。
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小澤征爾さんが繰り返し語ったことば。
トークはとても自由でフランクな話し方、内容だった。肩ひじ張らずに聞けた。
長野県の中学校に30年間通い、子供たちのためにコンサートを続けているという。この子供たちの話をし、VTRを見て、うれし涙を流す小澤さん。また、お孫さんが可愛くてたまらないと話ながら涙する小澤さん。
また、これらのエピソードを話す前に、何回も「こんなこと(テレビで)話していいのかな?」と司会者に問いながら、躊躇せずおしゃべりする姿が(失礼だが)子供っぽく、ユーモラスだった。私たちが日常よく使う「ここだけの話だけど」と言い、おしゃべりするのと似ていて、親近感を感じ、いったいどのような話をするのだろうという期待を抱かせる。あたかも、小澤さん指揮の話術に飲み込まれるような気がした。
そんなエピソードの中で、「神奈川県の金田村に住んでいたことがあり、金田中学校に行く予定だった」ということを話された。驚いた。金田村は私が20数年住んでいたところだ。今は「大井町」という。続けて「田植えや、みかん・・・」のことが思い出として残っているという。私も、大井町に住まなくなって40年以上経つ。私の思い出は、同じく広大な田んぼと台地にあるみかん畑だ。農繁期には学校が休みだったり、半日授業だった覚えがある。みかんは足柄みかんといって、青く酸っぱかった思いがある。
小澤さんは、地元の中学でなく、成城学園中学校に入学した。小田急線の新松田から、成城学園前まで、電車通学をしたという。2時間はかかったろう。私も新松田から、新宿まで予備校と大学時代は小田急線で通学していた。片道2時間半かかっていた。当時から小田急線は混んでいて、朝方の通勤時間帯は新宿に近くになると急行電車が前を行く各駅停車の後を付いていくという状況だった。
小澤さんは成城学園に行ったので音楽に親しむことができたという。
プレミアムトークのなかで、小澤さんが音楽のことについて、繰り返し語っていた。「音楽は難しいよ」という発言だ。音楽の何がどのように難しいのかは語られなかったが、この言葉が私の中に強く響き残っている。難しさを説明されなかったのは、説明をためらったからでなく、説明のしようがないということを、言外に感じた。
多くのエピソードと共に、次のような語りの中に、小澤さんの音楽、小澤さんの人柄、人生そして小澤さんそのものを感じた。
指揮は、モーツァルトやベートーベンら作曲者が5線譜に書いたことを読み込むことだと言われた。
また、オペラは楽しいという。国内外のメンバーがいる楽団を指揮していて、日本人は行儀が良すぎる。他の国の人は勇気があると語っておられた。
音楽のいいところは、子供のころから口ずさめるからという。
終始、笑顔が絶えず、でも、時には涙し話され、最後は司会者から、何か好きな曲をと言われ、司会者共々指を鳴らしながら、口ずさんでいるところで、番組は時間となり終了した。その曲名は分からなかった。番組後も「音楽は難しいけれど、楽しいよ」という小澤さんの声が聞こえてくるような気がした。
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