標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

小田原城(残念だが動物園や歴史ある小学校が失われている)

2017-09-14 19:48:06 | 日記
先日、掛川の帰りに小田原城に寄った。城下町の小田原は私が高校時代の3年間通った街だ。小田原というと郷愁を覚える。


小田原城は戦国時代は北条氏が収めていた。今年の大河ドラマでは北条という名が登場する程度の間接的存在だ。昨年の真田丸には北条が多く描かれていた。特に北条氏政(うじまさ)を演じた高嶋政伸さんの演技は圧巻であった。今の大河ドラマを見ていると、私の思いの中では、今川氏真(うじざね)と対比され、北条氏政が背後から出てきそうな気がしてならない。

さて、話題を小田原城に戻そう。


小田原駅近くの駐車場に止め、歩いて城の東側にある学橋(まなびばし)を渡って二の丸広場に入った。かつてはここに場内小学校があった。今は広場になっている。観光のためには、この広場がふさわしいのかも知れない。


小学校跡地の真ん中に立つ松の木。休み時間には木の下で涼をとっていたのかもしれない。

しかし、閑散とした(私にはそう見えた)広場にたたずむと、城の堀の中にある学校も残してほしかったと思う。木造の校舎の前には広々とした運動場。秋の運動会にはグラウンドに引かれた白線に沿って走るリレー走や騎馬戦などで張り切る児童。あたかも児童の歓声が声高に城から聞こえる情景を想像した。堀之内にある学校は、町の喧騒から離れた良い環境にあったのに残念だ。


二の丸広場から少し歩くと常盤木門(ときわぎもん)があり、くぐると天守閣を仰ぎ見る広場がある。

広場は、かつてインド象のウメ子やライオンなどがいて楽しめる動物園だった。城より動物を見に城址公園によく来た。動物のしぐさを見られる癒しの場であった。2009年にウメ子が亡くなり次第に縮小され、今はこの一角に数匹のニホンザルがいるだけだ。


タロとともに一休みして城を跡にした。

この後、まだ小田原について書きたいことがありますが、次回に繰り越します。


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