標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

どんな良い言葉でも使い手によりうわべだけの美辞麗句となる

2017-09-19 19:27:30 | 日記
丁寧な説明、真摯に受け止める、断じてない、おわびする、反省する、説明責任を果たす、そして仕事人(何がし)・・・など。この言葉を使用する人に二心が無ければ、とてもよい社会作りができる。しかし、残念ながら最近は言葉だけがすべっていて、空虚感が漂う。


美辞麗句のもともとの意味は、美辞は美しい言葉、麗句は美しい語句という。しかし、最近はうわべだけ飾った内容の乏しい、また真実味のない言葉の意で、皮肉った使い方をするとのこと。

「丁寧な説明」などの言葉の真意は、使う人の思い、考え、感情、態度など正直であるかどうか、発言者の人格が問われるものだと思う。最近は、政治、経済に限らず芸能界、教育界など広範囲にわたる社会でうわべだけの美辞麗句がはびこっているようだ。

このようなうわべだけの繕いが、どうして蔓延しているのだろうか?

昨日、ニュースで秘書に暴言・暴力をふるった議員が記者会見を行った。マスコミは謝罪会見という表題での報道だ。しかし、被害者とされる秘書への謝罪の言葉はあまり感じられない。言い訳に終始していたようだ。むしろ再び選挙にでたいという表明であったように思える。解散の可能性が出てきたので、急遽演出したのだろうか。

会見に限らず謝罪は、被害を被った人に対しては行うべきである。これを記者会見で行うことは、不適切とは思わないが、時と場合によっては言い訳の場になってしまう。メディアが利用されてしまうことが危惧される。

「・・・申し訳ございません」と、起立の上責任者が頭を下げ謝罪を表明する。これも誠意をもって行うのであれば全く問題はない。残念ながら、必ずしもそうではなく、形式化した会見の場となっていることがある。むしろ、言い訳の場、あるいは虚偽の場となっている。

また、最近は当初の会見では、疑惑に対して断じて報道されるような事実はありません。と言っておきながら、後の会見では、報道されている通りですと、正反対の発言が目立つ。

議会等の重要な役割を担った人の発言、記者会見などでの発言は、最初からうわべだけの美辞麗句ではなく、本来の意味で中身の伴った「美辞麗句」であってほしい。真に二心のない正直な謝罪、反省などの言葉を発して欲しいものだ。
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