大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

すずめの戸締り

2023-01-25 06:00:00 | アニメ

娘とすずめの戸締りを観てきました。とても良かったです。君の名は、天気の子、共に強いメッセージがありましたが、それらにも劣らず非常にメッセージの強いものがありました。


ネタばれになると良くないですので、観る予定の方は、これ以上読まないでください。


沢山メッセージがありましたが、要石(猫のダイジン)や3本脚のイスなど主人公すずめのそばに出てくるキャラクターについてだけ、書いてみようと思います。


娘が映画を見終わったあと、要となる常世は、過去、現在、未来が重なって存在する場所なんだね、といいました。

カナメ、要点をずばっと語っているなぁと思いました。


三本脚の椅子からは、鼎(かなえ)をイメージしました。三本脚の青銅器です。火に風をおくり、水をいれて煮炊きします。水と火を交わらせるもの。




鼎の説明については、もともとは肉、魚、穀物を煮炊きする土器として使われていたもののようですが、祖先神を祀る際にいけにえの肉を煮るために用いられたことから礼器の地位に高められ、精巧に作られた青銅器の鼎は、国家の君主や大臣などの権力の象徴として用いられたものです。


鼎に紐付けられる、いけにえ、大臣、がこの物語にでてきます。猫はダイジンと呼ばれます。


三本脚のイスに変えられた宗像ソウタは、イケニエのように円錐形の山の頂上で氷にかわり、火で燃えさかる山を氷(水)になって、おさえる要石になります。

それは、まさにイケニエ。一人の命で百万を救うのです。


昔、コノハノサクヤヒメが燃え盛る富士山に身を捧げる話(神話では燃え盛る火の中で子供を産む話となっていますが、)と少し重なりました。人身供養、イケニエは古代災害を鎮めるために実際なされましたから。


すずめは、もともとあった要石を抜いてしまい、その石はダイジンと呼ばれる猫に変身して、地震が多発してしまいます。


猫は、禰󠄀子と音が同じで、「神主」を表すのです。猫も杓子もは、猫が禰󠄀子(神主)、杓子は釈尊の弟子、つまり僧侶のことです。すずめの抜いた猫の形の土偶のような石が禰󠄀子で神主としてその地を鎮めていた重鎮だった!?という伏線を映画館で気づき、なるほどなぁと妙に納得していました。単なる空想かもですが😅


すずめは、小さい石、ネコの形の要石を抜くわけです。その小さな石はすずめの幼少期の悲しみの意識で、幼い頃母を探して一瞬入った常世で預かった鼎のような三本脚のイスと、現世を結びつけます。


ヒトの意識が要石になります。意識は、過去も現在も心では区別がないのです。

すずめが抜いたネコの形の石は、それまで幼少期のすずめの心象風景と重なる廃墟のような地でずっと要石として九州を抑えていました。


人の想念や意志、意識を要石として描き、それが抜かれたから、動くネコ(禰󠄀子🟰神主)として描いたのかな。


ダイジンの言霊は、三本脚の鼎に象徴される大臣の意味もあり、また、大神、の響きもあります。

三本脚に姿を変えられた宗像ソウタは、常世と現世の扉を締める鍵をもつ閉じ師。


昨日小袋石について書きましたが、要石と呼ばれる石は、神社にいくとあります。有名なのが鹿島神宮の要石で、宮崎の高千穂から運ばれています。関東の地をおさえる石が九州から運ばれています。ここに、壮大な古代からの人の攻防などを感じます。


また、小袋石についていうと、太古、八ケ岳が噴火して長野に飛んできてそして、中央構造線と、フォッサマグナの十字に交わる所で、日本をおさえています。


小袋石の割れ目は女陰のようですが、この石から7つの子石がわかれ、また山深い長野の重点に置かれ、鎮めている、まさに重鎮のお役目を果たしています。


映画でネコは2匹でてきますが、2匹目のネコ🐈‍⬛は、幼いすずめを引き取って育てた玉環さんの思い、意識、をあらわしていました。

玉環さんの意識には、複雑に絡み合って重くなったものもあり、しかし、根っこは愛でした。玉環の意識が怒りや悲しみで爆発した時、意識はネコにかわり、さらに大きな災害の要素になりました。


タマキの名前から、玉置も重なります。玉置神社には3つの石があり、玉石社がこの地の最大の霊地のようです。石を鎮める、石を置く。石に見えて、玉だから、玉置なのか。


ヒトの意識は石のように🪨重くなって、そこに住む地に溜まります。玉のような思いはその地を鎮めるのかもしれません。ヒトの思いの蓄積が過去、現在、重なり、未来となる。そして災害も生み出してしまうとしたら、一人一人が想念の大切さを意識して生きていかないとイケナイのかもです。


太古は山そのもの、湧水がコンコンと流れて尽きない地、また磐座や巨木を御神体として人々は祈りを捧げました。


それは、自然そのものに神を見て、そしてヒトのイシ気にも自神に通じるものがあり、大いなる森羅万象の中でしか生かされてイケナイ個の小ささと、しかしながら依り集まって意識が石や玉のように積み重なり輪廻して、一方では重なって存在していることを感じていたのかもしれません。


映像の美しさも感嘆するものでしたが、映画に込められているメッセージの強さを、娘と帰路話ながら帰りました。


お母さん、この映画好きだなと思った。と見終わった瞬間に言われました。

どうして?と聞くと、


だって、神様色強いもん、、らしいです🤭


○○も好きだよね?と聞くと、


うん。と笑って言っていました。😄




雲と風と光 ナウシカ

2022-11-01 07:43:00 | アニメ
ジブリのナウシカは風の精みたい。
雲と風、光と仲良し。

時空を超えて自然に生きる。
そして、どこか
優しい友とナウシカは
いつも重なります。

彼女のハートは
ナウシカのように
ピュアで美しい。




雲間から光が射せば




からだごと宙にうかぶの




優しさは見えない翼ね 




遠くからあなたが呼んでる


愛し合う人は誰でも





飛び方を知ってるものよ









風の谷のナウシカ





髪を軽くなびかせ



眠る樹海(もり)をとびこえ



青空から舞い降りたら









優しくつかまえて




ナウシカテーマソングより
ナウシカは素敵女子

彼女が光、愛に包まれて、
病が癒されますように。





オクサレ様 よきかな

2022-07-18 08:14:00 | アニメ

千と千尋の神隠しには、ヘドロまみれの神様が出てきます。オクサレ様です。








オクサレ様は、実は名のある河の主。龍神様で、とても優しい性格の神様でした。


みんなにその汚い姿で近寄ることも避けられますが、最後は綺麗さっぱり。金貨をザクザク落として去っていきます。汚い時は嫌われて、金貨を巻いたら群がる、、なんだか人間の世界みたいです。


そんな「名のある河の主」である優しいオクサレ様が綺麗さっぱり姿を表して、見送ってみんなでお祝いするシーンで、無邪気なオオトリ様が喜んで飛び跳ねていたり、蚕の神様おシラ様ほのぼのとしている姿は微笑ましいです。







蚕については、先日愛子さまも含め、天皇陛下ご家族が総出でお世話をされていて、伝統を大切にする天皇御一家を日本は持てて幸せだなぁと思いました。愛子さまは若いのに素晴らしいですね。







ところで、オクサレ様ですが、河を汚したのは人。神様をヘドロまみれにし臭くしたのは人なんですけどね。。泥まみれになった人間の千尋を助けたりと優しいです。


ヘドロまみれで臭くて近寄り難いオクサレ様が、ふと、拈華微笑の頭陀第一と言われた大迦葉と重なりました。大迦葉は、衣食住に関して少欲知足に徹した修行をされた御方です。


その身なりの汚さや臭さにより嫌われたり悪口を言われたりしたでしょうが、心は錦だったわけです。


同じ人が汚い服を着、また、次の日に煌びやかなブランドものを身に付けたとして、その人を周りの人は同じと気づかないことが殆どではないでしょうか。


オクサレ様がヘドロまみれだった時は、みんな近寄るのも避け、本当の姿をあらわし金貨をザクザクまき散らすと、それに集る姿は、まるで、監督の社会への皮肉のようにも見えます。


なんら、その人の本質は変わらないにもかかわらずです。身なりでなく人の本当の心の輝きを観る目が欲しいです。


見た目や、身につけているものは、目を眩ます一因ですが、お釈迦様は見抜きます。大迦葉こそが自分の教えを言葉なくわかる人だと。



オクサレ様の正体を千尋が見抜き、本当の姿を現したオクサレ様が放った一言が、よきかな、です。


オクサレ様が纏っていたのは、ポイ捨てや不法投棄によって川に集められたゴミ。オクサレ様はそれらが積もりに積もった姿でした。

千尋が自転車を引っこ抜いてくれたおかげで オクサレ様は大量のゴミから解放され、本当の姿を現すことができました。


すっきりした川の神様は油屋に大量の金を落とし、千尋にはニガダンゴをプレゼントしました。

そして老翁の顔に竜の姿となって高笑いしながら帰っていくのです。


喜きかな。

良きかな。


名前を奪われたハクはニギハヤヒコハクヌシ。ハクも白龍神でした。


御祭神名を書き換えられて御神威を発揮出来なくなったり、傷ついてボロボロになった姿が描かれます。






川を汚す、御祭神を書きかえる、、


そういう歪みが令和の時代には

正されると

よきかな

と思います。



大鳥神社とオオトリ様

2022-07-14 05:09:00 | アニメ

先日、夫と東京の目黒にある大鳥神社にいきました。


子供の頃、転勤族だった夫は大阪の堺市で生まれ大鳥神社にお宮参りしており、また、奈良の生駒に住み近くの神社のそばでザリガニをとって遊んだらしいです。ほのぼのとした昭和の少年ですね。。


関西の神社はそういう思い出が詰まっているみたいで再訪したいみたいですね。



目黒大鳥神社






大鳥稲荷神社



我が家の氏神様である大國魂神社にも、大鳥神社は摂社としてあり、不思議とオオトリ様とは縁を感じます。


鳥は神話や昔話に出てきますね。私の好きな宮崎駿監督の映画にも。


千と千尋の神隠しのオオトリ様は何らかの理由でヒヨコのまま死んでしまったり、卵のまま生まれることができなかったヒヨコたちが神様になったという設定?みたいですが、


可愛く描かれるオオトリ様は、そんなこと気にしないような無邪気な姿で描かれています。






不遇な子供や幼くして命を落としたり、生まれてこれない命はいつの時代もいます。生きているって、それだけで有難いです。


大鳥神社の御祭神である勇敢なヤマトタケル命も最期は白鳥になって空に旅立つ話しがありますが、父に愛されていないという苦悩がありました。





色んな苦悩がこの世にはあります。

その苦悩が自分だけのものか、人由来のものか、、、。自分がどうかすれば無くなるのか、、、。否か。


卵の殻をやぶることができなかったり、

殻をやぶってでてきても、襲われてしまったり、

また、籠の中にとらえられたり、

籠の中で餌を与えて貰えなかったり、

餌だけ与えられたり、、


一方で、


殻をやぶり、籠から出て自然に生きて大空を悠々と飛ぶ鳥は、苦難はあっても苦悩は無いようにみえます。


自分の殻や籠が苦悩だとすると、それを取っ払うには時間がかかるかもしれないけれど、取っ払った先に広がる大自然を悠々と飛ぶ鳥のように、


色んなしがらみや殻や籠の網目に時に引っ掛かかっても、

自分なりに取っ祓って乗り越えていけば、そこには悠々とする本当の自分と出会える。


人生切り取らないで長くみたら何が良いかなんて解らないよ、、と長女と話しました。ニコッと、そうだよね、、と。


大好きなダンスを再開しました。 

好きな事、自分が心から楽しいと思う事をして、のびやかに自分らしく生きて欲しいですね。


全ての経験や、挫折、困難や苦労でさえ、自分の血肉としながら。


苦難は生きていると遭ってしまうけれど、苦悩は自分が作ります。


千と千尋に出てくる可愛いオオトリ様。

オオトリ様の温泉に浸かる姿が可愛いです。




心の温泉につかりながら癒し、、綺麗さっぱり、苦難にあっても、苦悩をためないでいられるといいなと思います。




【画像はおかりしました】





千と千尋の神隠し シラヤマ信仰

2022-06-28 05:33:00 | アニメ
千と千尋の神隠しは愛媛県道後温泉がモデルです。


道後温泉

この温泉は、大国主命と少彦名神にも縁があり、白鷺伝説もあります。少彦名神が身体を癒した温泉で、大分の別府から湯を引いたようですね。


一寸法師 小さな神様 - 大善人へ身魂磨き

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千と千尋の神隠しは、千尋が黄泉の神国に迷い込むお話です。四国と死国が同じ響きですし、そういうところからインスピレーションを監督は受けたのかもですね。

その中で、オシラ様がでてきます。蚕の神様がオシラサマと呼ばれているようです。





北陸地方の白山は平安期にはシラヤマ、オシラ様と呼ばれていたようです。以前、白山3社まわりました。個人的には、白山平泉神社がとても好きです。

また、東北には、ブナの原生林が広がる白神山地があり世界自然遺産になっていますし、北海道にも白い神がいるみたいです。

江戸時代の国学者・菅江真澄が表した書・「月の出羽路」によると、

「松前に白神の浦あり。磯山をしら神山といふ。いにしへのこの山の石室の内に斎グ御神也。今はその石室なし。あるとき漁人此の山に入りしかば、かの石の神殿の顕れたり。急ぎ麓に下りて、浦人をあまたいざなひ、ふたたび山にはいりしかど、さらに其神の石室なかりし也。をりとしてかの神殿を見る人あり。奇異こと也。」 

「是れ世にいふ白神、おしら神也といへり」

とあるようです。

白神は福島県と岩手県の民話にもでてくるようですし、宮城県にもその風習が残されている「オシラサマ」のことのようですね。

雪深い県や、北東(丑寅の方角)とも関係あるかもです。うしとらの神様 は、天の時、地の利、人の和をじっと堪えて耐えて気が熟すのを待つ神様のイメージが私にはあります。国常立神のイメージです。

かなり前に室が気になっていました。空海さんは洞窟の中で何故坐をするんだろう?と。

石のメッセージ - 大善人へ身魂磨き

母から先日電話があり、実家の曽祖母の話をしてくれました。曾祖母は名前が「石さん」だったらしいです。私のご先祖様は女の子に石と名付けるんですね!びっくり。さらに、...

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室は空間。家の神。「石室」とは、岩の神「シララカムイ」のことでもあるようですね。

オシラサマと言うと、蚕の神様でもありますし、蚕からとれる絹もまた白色ですし、オシラサマの人形の骨組みは桑の木みたいです。蚕が食べるのは桑の葉。

人形(ヒトガタ)も千と千尋の神隠しには出てきます。こちらは、紙でできているものの妖怪変化、ハクを痛めつけるわけです。良きにつけ悪しきにつけ身代わりとなりヒトの思いを果たす式神としての役目を果たそうとします。






お雛様は昔は身代わり、ヒトガタとして川に流す風習からきています。機織りのヒメ、川に流されたヒメ、ワカヒルメ、ヒルコ神を思います。

エビス神を蛭子神(ヒルコ神)と書きます。夜明けを待つ日の出の神、太陽は東からのぼりますし、東北からですね。

オシラ様が、蚕の神でもあり、桑の木と蚕により絹を得られるということは、絹もまた木の神の恵であり、木の神への信仰に繋がることなります。

白神とは、木の神、家の神、石の神、服の神(福の神!?)、色んなものを織りなし括る神かな。

オシラサマは地上に存在する全てのものに関わり織りなす神ともいえそうです。

更に青森県・恐山の「イタコ」もオシラサマ信仰です。神が巫女に憑依してご神託を降ろすわけですから、その神はオシラサマだとされています。

一言主や事代主、つまり、恵比寿様は、神託を言に代える神であり、ご神託の習わしは、オシラサマも繋がっているのかなぁと思いました。