大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

金劔宮 倶利伽羅明王

2021-05-31 05:52:00 | 神仏について

出口スミさんに関係深い金勝要神のことを調べていました。から思いあたるのが、金属。金属を守る龍神様は白龍神だと、田無神社で知りました。金属に関しては、金、銀、銅、鉄なんかを思いつきます。


以前いった白山ひめ神社の近くの金劔宮が急に気になり、御祭神を調べました。予習していけばよいものを、いつもこんな感じで後から行った事のある神社が気になるのです。


鶴来(ツルギ)という地名の中心に鎮座されている北陸最古の神社、古くは「劔宮つるぎのみや」と呼ばれていたようで、妹の知人(石川出身の方)がすすめてくれました。




主祭神

天津彦彦穂瓊々杵尊

あまつひこひこほににぎのみこと

あるいは白山第一御子彦神(妙理権現みょうりごんげん第一王子)


合祀

大国主神

大山咋命

日本武命

事代主神

猿田彦神


白山比咩神社に関する最古の資料にによれば、金劔宮 白山第一の王子は、倶利伽羅明王くりからみょうおうであるそうです。


倶利迦羅(クリカラ)!?


どっかで聞いた、見たことあると色々調べてみると、つながりました。クリカはインドで八大龍王の内の一王の名らしいです。八大龍王、津野山神界の金刀比羅様の御祭神でした


倶利伽羅不動明王は、不動明王の剣に龍が巻きついている形で知られていますし、倶利迦羅龍王は、岩上に直立する宝剣に火炎に包まれた黒龍が巻きついている様子で表されるみたいです。





倶利伽羅の剣と火炎は一切の邪悪、罪障、憎しみ、怒り、恥、貧しい心などを滅消する力があるようですね。


妹が行った八十八ヶ所の中にも倶利伽羅○○確かあったなぁと見返してみると、四国八十八箇所お遍路 第三番札所 金泉寺にいました。ここにも、が!私は、妹のブログから一緒に八十八箇所を参拝させてもらっています。


妹のブログより

そして、だいぶ前いった田無神社にも、なんと、倶利伽羅不動が鎮座されていたようなんです。盤石の上に立つ「宝剣」に「俱利伽羅龍王」が巻き付き剣を飲み込もうとしている姿が金龍を祀る本殿正面あるというのです。本殿の正面からは、頭部を見ることが出来ない、とか。



田無神社検索画像より

しかし、ちらっと見たかもだけれど、覚えていないのです。涙。


龍王が剣に絡みつく。飲みこもうとするとは、剣に蛇が力を与えているようにも、蛇が剣を守ってなかなか使わせないるようにもしているようにも見えます。


人の視点からいうと闘いには強い剣、特に鉄剣が必要で、征服や統治にも必要だっただろうし、産業革命なんかで鉄は人を豊かにし力を与えました。


しかし、自然の精霊からしたら、製鉄のために砂鉄をとられ、突然山を切り崩されたり、それに伴い土砂で川が堰き止められたりしたわけですから、鉄を守って使わせたくないとなります。


だから、精霊が認めた人のみが鉄剣を持てたのかなと思いました。


高野山の龍光院には、お大師様(空海)が、神泉苑で祈雨のおりに使用した倶利伽羅剣があるようです。その剣鞘は空海作と伝わります。


倶利伽羅明王となる存在は、特に高い霊性の持ち主だと思いました。


また別でいつか、製鉄(たたら製鉄)について感じたことを書きたいと思います。


つづく。


2021-05-30 06:05:00 | ひとりごと

スマホを片手に誰でもわからない事があるとすぐにいつでも検索できる凄い時代です。


色々な人がいて、凄いなぁと思います。昔は図書館へ行って調べに調べないと出てこない情報があっという間に手に入ります。もちろん情報の真偽を見極めないといけませんが。


神様についても色んな方々がお話されていて参考にしています。昔だったら、仕事したら図書館は閉まるし、興味あることを調べることも出来なかったなぁと、今の文明の利器に感謝です。


私は神様とお話したこともないし、姿を見たこともありません。今では、色々な方が見えているんだ、話せているんだ、と動画やブログを読ませてもらうと驚く事もあります。


きっと、そういう能力がある方はお役目があっての事だと思います。神様は万人に無限の恵みを与えるという能力を惜しみなく使い与えてくださっているように、そういう能力を神様からいただけたのなら同じように使って欲しい。神様はただ与えるだけ。与えて与えて与える。何分いくらなんて言わない。


お金を払う人がいるからお商売は成り立ちますから、払う人がいなくなればそういうお商売は消える。


私は、神様大好きです。守護霊も守護神もいてくださると信じ感謝してます。知りたいかというと、知りたいです。沢山話したい。


しかし、誰かの言葉でなく、いつか自分で感じられたらいいな。くらいに思っています。自分の心に垢も曇りもなくなり鏡になったら、内神様と外神様が繋がりこだまする。それを夢みています。身魂磨きの先にあると信じています。


見えないけれど、神社を参拝すると、神社のもつ気を感じます。あー好きだなぁ、とか、。もしかして、少し寂しい?かも、とか、男性っぽいなぁ、とか、優しいなぁとか。そして、自分では何げなく行っている神社も、あとから点と点が結びついて、なるほど、だからたまたま、あの神社にも立ち寄る事ができたのかぁ!と感心し、自分で腑に落ちて自分で喜びます。おめでたい性格です。



次はあの神社に行かなきゃと、次から次へ行きたい神社が増えるのです。


神様の事を考えると楽しくて仕方ない。仕事も真面目にしていますし楽しいのですが、空き時間、通勤時間は神様を考えます。どっちが本業かわからない。


神話や神社巡り、空海さん、言葉遊びや言霊、歴史、古典、アニメ色々興味は繋がり広がるんです。自分の興味や好きなことは点と点で繋がりまるで織りなす布のように、帯のようになっているんじゃないかと思います。


自分にしか織ることができない目に見えない帯。心に錦を織っていきたいです。神様のことはわからない事だらけだから、興味関心探究心が溢れます。大好きな神様を知りたいという気持ちをいくつになっても持ち続け、身魂を磨きたいと思います。


スマホ片手に会った事もない知らない方の素敵な帯を垣間見たりできる時代。自分では織ることは到底出来ないような奥深い模様を奏でている方がいます。本当に素敵だなぁ凄い時代だなぁと思っています。織り方を見て学んだりできるといいな。笑








千と千尋の神隠し まとめ

2021-05-29 05:26:00 | アニメ
千と千尋の神隠しでは最初に放られた祠が沢山でてきます。そして、千尋は神の世界に迷い込みます。日本最古の温泉、道後温泉をおそらく舞台にして描かれたストーリーです。


愛媛、道後温泉には大国主命を助け国造りをした神様、スクナビコナが、身体を癒した伝説が残っています。また、昔に傷して苦しんでいた一羽の白鷺が岩間から噴出する温泉を見つけ、毎日飛んできてその中に脛を浸していたところ、傷は完全に癒えてしまい、白鷺は元気に勇ましく飛び去ったという白鷺伝説もあります。




脛に、アラハバキ神長髄(脛)彦を思い浮かべました。


白鷺は、津野山神界の事をし始めて見かけます。田舎の従兄のお嫁さんも、裏山によく見かけるらしくこんな事無かったのにと言っていました。


ところで、出口なおさんという江戸時代末期から明治時代中期の極貧生活の中で、日本神話の高級神国常立尊」の神憑り現象を起こした御方がいらっしゃるようです。




なおさんのことを教えていただいた時に、金勝要大神についても教えていただけたから、初めて聞いた御祭神だし調べました。色々感じた事がありますが、今日は少しだけ書きたいと思います。


道後温泉のある愛媛(伊予)や、四国にあたる話がありましたので以下抜粋いたします。


 ここに天(あめ)の御柱(みはしら)の神(かみ)、国(くに)の御柱(みはしら)の神(かみ)は、伊予(いよ)の二名(ふたな)の島(しま)を生(う)み、真澄姫神(ますみひめのかみ)をして、これが国魂(くにたま)の神(かみ)たらしめたまふ。之(これ)を愛媛(えひめ)といふ。一名(いちめい)竜宮島(りうぐうじま)ともいひ、現今(げんこん)の濠洲(がうしう)大陸(たいりく)なり。而(しかし)て我(わ)が四国(しこく)は、その胞衣(えな)にぞありける。


難しいですね。なかなか。濠洲(がうしう)はオーストリア、ニュージーランドの豪州であり、昔はよく罪人?が流されたと言われた島です。四国と繋がります。世界規模の話であり、日本は小さいけれど世界の縮図?なのかもしれません。アフリカは九州、北米は北海道、らしいです。


千尋という言霊もありました。


(すく)ひの神(かみ)と鳴戸灘(なるとなだ)同(おな)じ心(こころ)の姫神(ひめがみ)は 根底(ねそこ)の国(くに)へ五柱(いつはしら)千尋(ちひろ)の深(ふか)き海(うみ)よりも 業(めぐり)の深(ふか)き罪咎(つみとが)を清(きよ)むるための塩(しほ)をふみ 浪路(なみぢ)を開(ひら)きて出(い)でましぬ無限無量(むげんむりやう)の御恵(みめぐ)みは 現界(うつつ)、幽界(かくりよ)、神(かみ)の世(よ)の救(すく)ひの神(かみ)の御柱(みはしら)ぞ。


これまた、難しいですね。神様の言葉は何度読んでも、読む度、読む人により解釈できるから私も何度も読まないとです。


宮崎駿さんがこれを読んでいたかどうかはわかりませんが、放られた祠の神や、隠された神を宮崎駿さんなりに隠しながら、神々の世界を描いているように思います。


釜爺の言葉

やるならさいごまでやれ


ハクの言葉

自分が誰なのか正体をしっかり覚えておかないと元の世界に帰れなくなってしまう


カオナシ

無言のカナシミ


これらは、とても深く私の心に残りました。


津野山神界のことをはじめ、自分が生きている間はお山の神様の事を思うことはできても、自分が死んだあとは自分にはどうすることもできない。やるならさいごまでやれ。最後って自分が死ぬ時(最期)まででよいはずはないです。


口伝や伝承で昔の津野山の祖先は残していました。大変神威の強い神様がおられると、伝わっていました。しかし、過疎に伴い村人が話しあった結果お宮を壊し移すことが実際おこってしまいました。




1人止めない不思議。でも実際に起こってしまった。こういう事が繰り返されて欲しくないです。


有名な神社にはその心配はないかもだけど、山奥の過疎の村を護り、四万十川を生み出す神様、津野山大神を未来永劫お祀りしてほしい。残る形で残す。繋がる人には繋がる。これを信じました。これがブログを始めた理由です。ひとりで頑張る妹を応援したかった。


人間の都合で放られたり、人間の都合で名前を変えられたり。「千尋の深い海よりも深い罪」を人は神々、大地に沢山してきたのだと思いました。


いるのに居なくさせられた神様、手を合わす人が急にいなくなった放られた神様、名前を変えられた神様、名前は人がつけるからどうでもよいかもしれないけれど、名前を変える事は支配を意味するとしたら、御祭神を変えることによって、実際いる神様の前で違う神様を思い手を合わせている場所があるかもしれない。


自然を破壊することによりいる場所を奪われた神様や眷属神や眷属。見えないけれど、千と千尋の神隠しのキャラクターに神様を想像すると何だか悲しい気がします。


令和の時代は人が神々の偉大さに謙虚になり、貪り続けることをやめ、元のお姿に戻していけるといいなと思います。


千と千尋の神隠し カオナシ

2021-05-28 06:28:00 | アニメ

千と千尋のキャラクター、最後は顔無しについて書いてみようと思います。


キャラクターは、ヤオロズの神様だけあって本当に色んな特徴があります。その中で、正邪全て併せ持ちつつ、形がかわり、全てを呑み込んだり、吐き出したりするカオナシ。なんだか、その佇まいに、無垢と哀しみ(カナシミ)を感じてしまいます。






カオナシは、神道でいう大自然の気そのものかなぁと思いました。大自然は目に見えますが、確かに目には見えないけれど自然や大地にはその土地特有の気があると思います。


その気をお祀りしたのが神社や祠。それは、気をきちんと感じることができた太古の方が畏怖や尊敬、人間とは格段に違う何かがある、いると感じたのだと思います。


神社や祠は神様の為のものではないと教えていただきました。津野山神界で民が不敬をしたから、神様のために祠を建てなければと思っていた自分の考えの浅はかさを思い知りました。


神様には我がないから神様であって、自分のために祠を建てて貰いたいとは思っていない。と気づかないといけませんでした。妹が、祟りなんていうのも、神様に不敬をしたからでもなく、神様の御神威がおりなくなっただけで、そうなったら人間なんて生きられないと言っていました。


人がいう祟りは、実は自分で作っていた。というカラクリ。


神は人の祈りにより威を増す。威を増したら、神は民や氏子を護れる。民や氏子が嬉々としている姿が神様は嬉しいのだと思いました。


食べるものも狩猟採集だった時代、衣食住の住は岩窟で、やっと時代。それが稲作に変わりました。狩猟採集、食べ物の保存も出来ず、明日の食べ物が無い時代を生き抜き、稲に辿り着くまでに長い時代がありました。


苦しい時こそ、獣が目の前に現れてくれた事に感謝し、神様を感じたのだと思います。ああ、これで家族が生きることができると。赤子を育てる乳も、栄養がなかったら出ませんから。


稲作は多くの民が食べること、食の心配を狩猟採集の時よりはしなくてもよくなくなりました。しかし、自然災害、旱魃は、食べることを脅やかします。


雨を祈る、大地のエネルギーを祈る、循環に感謝する。龍神様に感謝する。これは、生きることと結びついていました。


そして、話は現代にとびます。食べ物は溢れ、捨てる時代。私を含めて、神様をみえない人が物に溢れた社会にはあふれました。


大地を傷つけて自然を破壊しました。神社にいったら、自分のお願いばかり祈る人が多くなりました。もっと、もっとと。


内なる神様から離れた人が溢れ、神社が壊され、御神祭が置き換えられ、祈りすらされない神様がでて、威が増さないから、民を癒したくても癒せない無念の神様がでてきました。目には見えないけど確かにいるのに。


津野山神界の神様。


そして、荒脛巾(アラハバキの神)は長髄彦だと教えてもらいました。知りませんでした。神社でも、人の思惑で端っこに置いやられたり、または、祠さえ無いところもあるようです。


神様が見えない私には気づく術がない。審神できる特殊な能力のある方は、商売に走らないで欲しい。教えて欲しい。そうしていただけるとありがたいです。感謝です。


神様の声をきけるなら、気づかない人にいる事だけでも伝えて欲しい。神様をみえないし、声も聞けないけれど、私だって想像力なら働かす事ができるから。


カオナシ。存在するけど目には見えない、心で感じる偉大な神。太古からいて、人の心の変化に無言の哀しみを感じているような佇まい。


形あるものは消えます。お金で買えるもの。人もなくなれば魂のみとなります。本当に大事なものは、隠れて見えない。竹内まりやさんのいのちの歌にあります。この歌が大好きです。


カオナシや、釜爺、ハクは、幼いまだ穢れていない無垢な子供の主人公千尋と仲良くなります。


無垢とはいえ、最初は性格が可愛い女の子というわけではなくて、神様の世界で誰かを助けようとしたり、働いたりするなかで磨かれました。宮崎駿さんは、千尋をどこにでもいそうな女の子として最初描いています。




日本のアニメ史上、千と千尋の神隠しはずっと興行成績一位でしたが、鬼滅の刃に追い抜かれました。こちらも子供にも大人にも響く御神気溢れる剣をテーマにした作品のようですね。


アニメは日本の誇るべき文化です。日本が奥深い文化をもつからこそ生み出されるストーリー。日本って素敵な国ですね。




千と千尋の神隠し ハク

2021-05-27 04:40:00 | アニメ

宮崎駿監督、千と千尋の神隠しで出てくるハクについても書いてみたいと思います。


千尋を終始助ける中性的な美しさをもつハク。千尋が消えそうになった際も存在が消えないように手助けしたり陰ながら支えています。


ハクは本来の名前を奪われ、本来の自分を忘れます。支配されてしまうのです。しかし千尋と会い変わります。千尋も千と名前を変えられています。


千尋に自分が誰なのか正体をしっかり覚えておかないと元の世界に帰れなくなってしまうと忠告します。ハク自身自分の正体を忘れて苦しんでいるのです。岩戸が閉まって自分では開けられなくて苦しんでいるイメージがしました。


しかし、ハクは最後に千尋によって自分の名前を思い出します。ハクはコハク川の白龍神。


ハクの本当の名前は


ニギハヤヒコハクヌシ。

饒速日命琥珀主。




ところで、ニギハヤヒノミコトとハクの本名は繋がっていて、何か隠されているよねと妹と話したことがあります。

『先代旧事本紀』では、ニギハヤヒノミコトは「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」といい、天忍穂耳尊のお子様で瓊瓊杵尊のお兄様です。お名前の中にある櫛玉は、奇魂と響きが同じです。

 

奇魂 は神が持っている側面の一つで、幸魂と同じく、和魂(にぎたま)の一部。非常に不思議な力を持っているとされる神霊。


また、神話のニギハヤヒノミコトは物部氏、穂積氏、尾張氏、海部氏、熊野国造らの祖神と伝えられているようです。(ウィキペディアより)


天孫降臨は、瓊瓊杵命(弟)の先にニギハヤヒノミコト(兄)が天照大神から十種の神宝を授かり天磐船に乗り天降った話があります。


十種の神宝検察画像より



ニギハヤヒノミコト検察画像より

長髄彦について書いた時には、頭の回路が繋がっていませんでしたが、なるほど、2人の兄弟の天孫降臨があり、先に降りたニギハヤヒノミコトを長髄彦がお慕いしていたのだと調べていくとわかりました。


長髄彦は、後から攻めてきたカムヤマトイワレビコ(後の神武天皇)に抵抗したのです。自分も天孫を大事に思っていると。そして、討たれてしまう。その縁者は、東北に逃れ蝦夷と呼ばれたり、四国なんかにも逃れたりしたようです。


話が飛んでしまいすみません。話をもどします。千と千尋の神隠しの中の感動的なシーン。千尋がハクに言います。


「ハク、聞いて。お母さんから聞いたんで自分では覚えてなかったんだけど、わたし、小さいとき川に落ちたことがあるの。その川はもうマンションになって、埋められちゃったんだって。でも、今思い出したの。その川の名はその川はね、コハク川。あなたの本当の名は、コハク川!」


ニギハヤヒコハクヌシという本当名前を思い出したハクは、嬉し涙を流しながら手を繋いで千尋と天から舞おりてきます。千尋を思うハクの気持ちとハクを思う千尋の気持ちがぴったり合わさったのです。感動。






ハクは白龍神。埋めたてられた川の土地の精霊そのものだったのです。



映画では違う場面ですが、この画像の隠れたメッセージ、神様を痛める自然破壊に胸が痛くなりました。


ニギハヤヒノミコトは天孫降臨した神様ですが日本記紀では神話の表舞台からは姿を消しています。


ニギハヤヒノミコト(古事記では 邇芸速日命、日本書紀では 饒速日命)は先代旧事本紀では大物主神のようです。


天の浮船に乗って国外からやって来て、神武天皇以前の王朝、三輪王朝を建て統治し、没後は三輪山に埋葬されたとの記述もありました。


三輪山に参拝したいと思いました。




とにかく、ジブリ映画は噛めば噛むほど味わえる映画です。宮崎駿監督は何か日本人の心の奥底に隠れた所をくすぐるメッセージを映画を通して送ってくださっている監督だと思います。