大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

限界を知った後で

2022-02-28 05:42:00 | ひとりごと

昔小学校の頃、体育館でマットを広げ側転をしたり、ブリッジしたりしていた時に、


私、何でも出来そうっ!


と言っていたよね〜と友達が随分後になって笑って言ってました。


そんな事、私は口走っていたんだと、苦笑い。







思春期は、人に合わせたりして、自分らしさはなかったように思い、それに比べたら小学生の頃の自分はとても無邪気だったんだと思いました。


子供の夢は果てしない。


しかし、だんだん年を重ねるにつれ、できない自分を否応にも他者からの評価で見せられます。


貴方の好きなマット運動は、普通レベル。それ以外の運動は、普通よりかなりレベルは低いからねー。なんてね。。


あー、体育嫌だなぁ、と感じるようになる。


数学も然り。でしたね。








嫌だなぁと感じることって修行になりました。


出来ない自分を思い知ると、あらら、だんだん修行にかわる。


しかし、この歳になると、最近は開き直って、修行って、苦行をしたり限界を突破したりするようなものだけでもないのかなぁと思います。


限界を知った上で、出来ないの枠を緩めながら、好きなことを楽しみたいなと思います。


マット運動が好きで、家で敷布団を敷いて練習したりし、バク転は狭い家の練習くらいでは出来なかったけれど、出来ると信じ胸が高鳴ったあの感覚。


出来ない自分に気づかず、好きで敷布団をしいて側転やブリッジの練習を家でしていた時、何でも出来そうと思い楽しんでいた時を思い出しました。


下手とか周りの評価とか気にしない時はとても楽しかった。


年を重ね、また、自分が楽しいと思うこと、心が弾むことを、自分の空白の時間にやることにしています。






それは、楽しい事を楽しみながら、ただやりたいからやる、自分が楽しいと感じたことを感じるままにする。その心には限界はない。


この忘れかけた心が戻ってくる感覚があります。


マット運動ではないですよ。


たぶん、誰しもいくつになってもそういう事ってあると思います。


その気持ち大切にしたいですね!






天の助けがありますように

2022-02-27 05:33:00 | ひとりごと

修験道の祖、役小角の本を読みました。饒速日命の神の復活を願い、神の国を立てると奮闘した役小角や彼を支えた弟子達、飛鳥時代の民の生活、宗教など、まるでその時代にタイムスリップした感覚になるように描く著者、黒須純一郎さんの調査力と文章力に感動しました。


大化の改新をした中大兄皇子や、母の斉明天皇の人物像はかなり強権的でした。権力が人をそうするのか?


役小角は、日本では飛鳥時代あたりの人物で、民に寄り添い悪政を憎んだのでした。


天下をわがものにしようとしない者が天下の支持を得ることが出来る


という言葉が出てきます。


大国唐が倭国への侵略を目論む話しが出てきます。当時、白村江の戦いで百済を支援した中大兄皇子は、敗戦します。


その後も、無謀な白村江の戦いで命を落とした民や家族に寄り添わず、民の意向を無視し、百済官僚を登用し傀儡政府のような政治を繰り広げる様が描かれます。


唐と新羅は手をくんで、白村江の戦いで百済、日本を破りますが、同盟国のようにみせて、唐は新羅をも侵略しようとします。さらには倭国への侵略も企んでいました。


じわじわと中大兄皇子の強権政治へ反発が強まり、国を危機に落としかねない権力者へ向かう姿が描かれます。


政治を牛耳り続けるものの中には、権力を暴走させるものが出てきてしまうのか。


今のロシアの動きも、今のこの時代、まったく国際法の正義とはずれた、独裁者の狂った正義で動いているように思えます。しかし、狂気の決断をした独裁者の手中に核のボタンもあるから恐ろしい。


天下をわがものにしようとしない者が天下の支持を得ることが出来る



天はプーチンには味方しない。




と思います。


しかし、天の運行には時間がかかり、待っている間に、何の罪のないウクライナの市民の死者、爆撃の被害、悲しみのニュースが入ってきます。


どうしたらいいものか。


こんな状況で国を離れないといけなくなった難民の支援は日本からでもできます。


祈りよとどけ。



天よ助けよ。




そう願うしかありませんね。






ナメクジの一生

2022-02-26 05:25:00 | 創作童話
創作童話です。趣味で書いています。
読んでいただけると嬉しいです!

ある雨の日、かたつむりが紫陽花の葉っぱにいると、小さな男の子が友達を連れてやってきました。可愛いねー、とかたつむりを嬉しそうに眺めています。


ナメクジも褒めてもらいたくて、皆んなの前に姿を現しました。


すると、女の子が、きゃー、気持ち悪いと叫びます。

ナメクジは、男の子に傘で突かれそうになりました。


葉っぱから落ちてしまいましたが、幸い怪我もなく、隠れる事ができたので、命は助かりました。


かたつむりが次の日ナメクジに会いました。


おーい、お前はなんて醜いんだよ。おれのこの背中の殻、かっこいいだろう?皆んな、俺様をみて、褒めてたよな。殻があると無いのでは、こうも見た目に違いが出てくるのかねぇ。哀れな姿だねぇ、おまえは。


ナメクジは、そう言われても、その通りだと自分も思ったのでいい返す事ができません。


すると、そんな2匹の背後に、大きなカエルが出てきました。


カエルはナメクジもかたつむりも大好物です。


危ない逃げないと!

岩と岩の小さな隙間にナメクジはスルッとはいりました。かたつむりは、大きな殻が岩と岩の隙間に引っかかって、逃げて隠れる場所がありません。


かたつむりは自分の殻に閉じこもり、ブルブル震えます。


カエルはそんなかたつむりにもお構いなし、パクリと食べてしまいました。


カエルは、まだお腹が空いていました。逃げたナメクジを探しています。岩と岩の隙間に隠れたナメクジを今か今かと待っています。


オマエさんが隠れたのは、わかっとるわい。と言わんばかりにカエルは穴を塞ぎます。ナメクジはブルブル震えます。


すると、急に、穴から光がみえました。カエルの姿はありません、


カエルは背後からやってきた蛇に食べられていました。ナメクジはびっくりしました。自分も、地を這って生きてきたけれど、こんなに大きな恐ろしい眼をした生き物がいたとは。


自分をいじめ、醜いと馬鹿にしたかたつむり。それを食べたカエル。2匹とも、この蛇のお腹にいると思うと怖くて怖くて、次は一番弱くて醜い自分が食べられる番だと思いました。


カエルを食べた蛇は、まだお腹が空いていました。ナメクジは、岩と岩の隙間でブルブルふるえています。気づかれないようにと、祈るしかありません。蛇ならこの隙間にもきっとはいってくる。


ぼくも、食べられる運命なんだとブルブル震えていました。


すると、岩と岩の隙間に何かいるのを蛇はとうとう見つけてしまいました。


ゆっくりと、ナメクジのいるところに蛇が近寄ってきました。


もうだめだ、食べられる!とナメクジは思いました。


すると、蛇は、岩の隙間に入ろうとした時に、急に苦しみはじめました。どうやら、ナメクジが冷や汗をかきながらにげた汗の道が、蛇を苦しめているようです。


ナメクジは、びっくりしました。


自分の辛い時に身体からでた汗が蛇には毒となり、自分を守ってくれているのが初めてわかりました。蛇は岩の隙間に入ってくる前に、なくなってしまいました。


自分が蛇に勝つなんて、自分はなんて凄いんだ、最強なんだとナメクジは思いました。自分を馬鹿にしたかたつむり、それを食べたカエル、またそのカエルを食べた蛇より、自分は偉いんだ。そう思ったら、自分は無敵さと、偉そうに地上で振る舞いはじめました。


そうこうしていると、なくなった蛇がいるのに気づき、お腹をすかせたカラスがやってきました。


ナメクジは、地上では、自分が一番エライんだと偉そうにしていました。蛇を食べ終わったカラスはナメクジをチラッとみました。


ナメクジは、カラスには気付かず偉そうにしています。しかし、そうしているのも束の間、鋭いくちばしをつきつけられてしまいました。


その時にナメクジは、


誰も傷つけていない時の自分が一番、何かに守られていたんだなと悟りました。


しかし、時すでに遅し。カラスは、そのナメクジをパクリと食べてしまいました。


カラスは、地を這う生き物はどれもこれも同じような味で美味しくないなぁといった面持ちで、他に美味しいものはないかとまた、餌を探しに飛んでいきました。



おわり

 


苦手な生き物が沢山でたかもしれません。スミマセン。ハッピーエンドでもないですし。

嫌なニュースに、世界情勢の不の連鎖が無くなるといいなと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございました!



先祖供養と坐

2022-02-25 06:01:00 | 神仏について

先祖供養でお線香は欠かせません。家で火を使う時は、料理をする時と先祖供養の時だけです。


食べ物は火を通すことで安全にしかも美味しく食べる事が出来、心まで温かくしてくれますね。


昔からお盆には、迎え火や送り火の習慣もあり、火は霊魂にとって目印なのかなと思ったりもします。


自分の中に繋がる数えきれないご先祖の中には、悪いことをした人もいて、浄化出来ない人もきっといるはず。それほど沢山のご先祖さまの末が自分だと思いますし、自分の根っこのように感じてもいます。


自分も悪い事を言ったり、したりした事があるし、それが人間なのだとしたら、どのレベルで昇天出来るか出来ないかも私にはわからないですから、


食べ物、特にナマモノが火によって滅菌されるなら、過去に生きた人の御魂で悪い事や遺恨がありこの世に残ってしまった悲しい霊魂が、火によって浄化されないはずはないと信じています。


火により燃やすとか排除するイメージではなく、ほのかな灯火を目印にし、集めて温めて上に上げるイメージでおこなっています。線香は短いものではなく、煙がきちんとたち、香りが好きなものを選びます。


火をイメージした時に、漢字の火をあらわす部首の「灬(れっか)」と心をあらわす「⺗(したごころ)」の部首が似ていて、火は心をあたためることに似ている!


だから、火は亡くなった御魂の冷えた御心を温めて昇天させる力がある


と(私の脳内で勝手にイコールで)結びついたので、随分昔から実践しています。


続けるうちに、やはり良い事だと確信していますので、どんどんと同じ様に感じて真心から行動する人が広がるといいなと思っています。



そういう事は、他にもあり、まだ初心者マークの身ですが、坐と暝想はなんだか良いです。


坐道を真剣に紹介してくださるブログで学びながらやっています。土に杭をうつように坐るのが「坐」だと、教えていただきました。


杭って、根っこみたいです。土は全ての根を育みます。根は一朝一夕に伸びません。また、この根を伸ばせば良いことあるかな、とかも考えず、黙々と伸ばします。




土に人。漢字のイメージからも坐は、大地にじっと座るイメージがあり、これも継続あるのみですね!



先祖供養に関しては、お線香の火で、自分の根っこであるご先祖さまの昇天のお手伝いが少しでも出来るならいいなと思っています。


命ある限り、命を繋いで過去に生きてくださった先祖のお陰様に感謝し、


また、坐は無心で、全ての恵みの基盤である大地に感謝して根を下ろすように坐るイメージで(実際は椅子にすわりますが)、継続あるのみです!!!







【先祖供養、先祖の画像はお借りしました】




ヒトの緒

2022-02-24 05:28:00 | 神仏について
生まれる前、生まれてから死ぬまで、死んだ後、ヒトは有形とも無形ともいえない緒で繋がっていると思います。

緒は「を」。ひらがなの最後「ん」の前。何かの終わりの直前の綱の様にも感じます。

胎児は臍の緒でお母さんとつながっています。无(=無)は臍帯の意味があるようです。胎児は勾玉のような姿です。

無から唯一無二の有として外に出て一個体で生活できるまで、胎児を孕み育て上げるのが子宮で、命綱緒が臍の緒ですね。


母体は、胎児にとっては無から有を生み出す宇宙そのもの。





臍の緒は生まれたら切られ、母なる宮とはさよならするけど、肉体は霊体と生きている間は「玉の緒(たまのお)」で繋がっているみたいです。この肉体と霊体を結ぶ玉の緒は伸び縮み自由らしいです。




人の成り立ちー肉体と霊体からお借りしました。



事故で死にかけた人が上空から自分を見たとか聞いたことありますが、霊体が、肉体から離れそうになったけど、玉の緒で繋がり、切れなかったから生還できたのでしょうか。


石上神社では、玉の緒祀りがあり、命が絶えないように、一条の緒に斎いこめて長寿を祈るようで、お守りがこんな感じ。



画像はお借りしました


このお守り、紐の結びが勾玉と結びつけられて、こちらからも、臍の緒と胎児のようなイメージがあります。


また、和歌でも玉の緒は命を繋ぐ縁語のように使われます。


「玉の緒(を)よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする」


出典新古今集 恋一・式子内親王(しきしないしんわう)


[訳] 私の命よ、絶えてしまうのならば絶えてしまえ。このまま生き長らえれば、(恋心を)人に知られまいと耐え忍んでいる力が弱って(人に知られてしまって、)いけないから。





昔から、「魂を身体につないでおく緒」=玉の緒が信じられていたのですね。霊体は目に見えないけれど、それは肉体のある自分と繋がっているなら、孕み育てるのは自分なんでしょうね。


人格はよく使われる言葉ですけど、霊格というのはこの目に見えない霊体の自分にあり、今生だけでない過去生を含め蓄積されたもので、その宇宙のような拡大も縮小もしうる霊格を高めるのは、自分しかないということでしょうね。



肉体から魂がぬけたら、その目に見える肉体は物体に変わるように感じます。肉体はあるのにいない。お葬式ではいつも感じます。

玉の緒が切れたらそんな感じですね。

身と魂を結ぶ玉の緒のようなものは多分ありそうです。


それなら、亡くなっても、肉体が灰となっても、霊体だけは残ると思うんです。魂は死んでも残る、死なないと信じています。


赤ちゃんは、臍帯で母と繋がり、

生きている人は、玉の緒で肉体(身)と霊体(魂)が繋がり、

死んで霊魂だけになっても、何かと繋がる気がします。


宇宙遊泳みたいに死んだらポーンとはいさようならではなくて、きっとまた霊体もあちらの世界で何かと繋がりがある気がします。

こちらの世界に残ってはいけない、郷にいれば郷に従えです。


しかし、どういうわけか、あちらの世界での繋がりを見失ってしまったり、あまりに未練があり、いくはずの時期を逃した先祖や故人が彷徨って残っているかもな、とも思います。幽霊とかはそうだと思っています。


だから、先祖供養って大切だと思っています。







迷える自分のご先祖や故人がまだこちらにいたときに、煙が道標となり霊線を辿ってあちらの世界との「繋がり」を見つけて、緒を結び固め、安心の世界にいけるようにするものかもなぁ、天国に行けるようにするのを助ける行為なのかなぁとも思っています。




【画像は全てお借りしました】