白山の神様といえば、白山くくりヒメと言われていますが、隠された神様で、イザナギ様イザナミ様の間をとりもった神様です。記紀神話には、菊理ヒメと一度だけ現れ、白山神と同一のようにいわれていますが、それは、吉田兼倶様が歓請し、白山神=菊理比咩となったようです。
御神名というより、そのお働きを感じると、白山のあります福井県の氣比神宮(敦賀市)の別名は「笥飯(ケヒ)宮」で、ケヒとは、交・契・係・経緯の意味もあり、くくりヒメとは、仲を取り持つ、交わりや、契約、などのイメージも膨らみます。
以前、一年ほど前ですが、京都に行った際に、宿泊先と近かったので、ふらっと吉田神社にいきました。
吉田神社は、平安時代に藤原氏全体の氏神として崇敬を受けるようになり、鎌倉以降は、卜部氏(吉田家)が神職を相伝するようになり、室町時代末期は吉田兼倶が吉田神道(唯一神道)を創始したようです。
吉田家は幕末に至るまで神道界に大きな権勢を誇ります。白山のご祭神については、平安時代末期に、大江匡房が「扶桑明月集」に、菊理媛神を記載したのが最初のようです。
その後、室町時代、応仁の乱が勃発した2年後の1469年に、吉田兼倶が編集したとされる「二十二社註式」において、「客人宮第五十代桓武天皇即位延暦元年、天降八王子麓白山。菊理比咩神也。」と記されているようです。
「八王子麓白山。菊理比咩神也。」
この時代背景をみると、戦いの世(100年続く戦いの時代の始まり)です。太古から人々が崇めた真っ白な霊山を、仲直りの神、間をとりもつ神、女神であると神道でしめしたことは、とても意味がある気がします。
「八王子」といえば、八岐大蛇と結びつきます。八王子祭りは、八岐大蛇やそれを退治したスサノオ神を祭ります。全国の八王子の地名には、八岐大蛇伝説との結びつきがあります。
八岐大蛇伝説は須佐之男命が、人々を困らす大蛇を退治し、最後には、大蛇の尾からは一振りの剣が現れ「天叢雲の剣」と名付け、姉である天照大神へと献上するお話です。
「八王子麓白山。菊理比咩神也。」
八は、様々な方向に荒れ狂う動き。それをいさめるには、統べる、「す」さの王のような一振りの剣、一つになる力が大切なのかもです。
多くの人民が犠牲を伴う戦争が世界でおこり、いがみ合っています。まるで、八岐大蛇の形相のごとく。
仲良くなりませんか?あの美しい白い霊山の女神のお働きが大切ですよねと白い山を女神にみたてて語りかけているかのようです。
白山の神のようにいわれている、菊理比咩様は、死者(伊弉冉尊)と生者(伊奘諾尊)の間を取り持つシャーマン(巫女)の女神ではないかとも言われていたり、
ケガレを払う神格、
ご神名の「ククリ」は「括り」の意で、他に、糸を紡ぐ(括る)ことに関係があるとする説、
「潜り」の意で水神であるとする説、「聞き入れる」が転じたものと説明されたりします。
「潜る」。どんどん潜ると闇に到達し、更に潜るとそこは闇さえないひらかれた境地。世界。辛さ、苦しさの先は、それらの経験を糧にできる和の境地が開く。
八はスエヒロがり、開くともいえます。闇から光へ。光を集めた「白」で、表されるのかもしれません。無形の様々な光が全て合わさった全ての光を併せ持つ色が白。
白山は泰澄が奈良時代に開山します。十一面観音や、九頭竜に出会った逸話があります。
山は、様々な様相を見せ、刻々,微々とかわり、同じ状態ではないけれど、あたかも変わらない姿を日々みせます。
時には九頭竜神のような怖い様相、時には、十一面観音のような優しい様相。一面だけでは、けっしてないそんな霊山が白山であるのかなと思います。
くくりひめ様は、アメノミナカヌシ神、宇宙根源神のひとつのあらわれ、あるひとつの御姿である気もしています。
故郷に縁がある白太夫の度会家を調べ、伊勢の外宮に豊受大神が雄略天皇により歓請されるまえ、あの聖地では外宮の神職、度会家の氏神をまつっていた話をしりました。その元の神は、太古は、天照大御神の坐ます前から、アメノミナカヌシ神、宇宙根源神が坐ますような気がします。それが、「天叢雲の剣」をスサノオが姉である天照大神へと献上した話になっているのかもですね。空想ですけど。
繰り返す歴史の混乱の世にあって、たたかわない大切さを、優しい女神のお姿になりしらしめる、白神は、根源神、アメノミナカヌシ神のひとつの顕れかなと空想したりしています。