大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

除夜の鐘

2021-12-31 05:53:00 | ひとりごと

毎年近くのお寺に、紅白を観てから家族で行きます。除夜の鐘を撞くのが恒例でしたが、前回も前々回もコロナ禍で除夜の鐘はお休みでした。今回もおそらく無いかもです。

昔ながらのストーブのそばで冷えた身体に優しい甘酒を有り難くいただきたいと思います。





随分昔の写真




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煩悩よ、さようなら。




今から逆算して、3個ずつさよならしても、煩悩消滅に36年かかります。



まずは健康でいよう!

悩み過ぎず明るく笑おう!



私の煩悩よ、



さようなら。



ゴーン



新しい年が皆様にとって

佳き年となりますように。



今年一年ブログにお付き合いいただきありがとうございました。


感謝。



どうぞ皆様、良いお年をお迎えください。




笑門来福





【除夜の鐘検索画像より】


望月の歌

2021-12-30 05:26:00 | ひとりごと

この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたる事も無しとおもえば


この和歌を社会科の授業で習ったとき、平安時代の栄華を極めた藤原道長ってどんな人なんだ!?と思いました。


その後、人は思い通りにならない時こそ自分を高められるというような内容を著書で読みました。そんな時こそ自分の欠点を気付き反省し、内省できます。欠けてこそ月と思ったのでした。



生まれた時から、身体の自由が効かない子もいます。欠けることない人生って果たして成長に繋がるのかなとさえ思います。


昔から勝って兜の緒を締めよと言われるのは、傲慢という落とし穴に浮かれ調子の時ほど気付かずに落ちてしまうからかもしれません。


辛い事もきっと、月の満ち欠けや、潮の満ち引きと同じで、巡ってくることであり、自分にきたら、受け切るだけ。大切なヒトにきたら、寄り添うだけ。


そんな風に今は思っています。


辛い時に役立つ言葉が紹介されていました。そのまま引用しますね。


辛い時は成長しているとき

辛い時は休憩してもいい

辛い時は相談してもいい

辛い時は散歩するといい

辛い時は辛いと言っていい



これに、私はひとつだけ足そうかなと思います。





辛い時は頑張らなくていい








お節料理今年は頑張りません。


注文しました(*^^*)


美味しいといいな。



辛くないですけど、たまには年の瀬ゆっくりしようかなぁと。皆様もバタバタの年の瀬にご訪問ありがとうございました。








【画像は藤原道長、検索画像より】




愛子さまの作文

2021-12-29 06:16:00 | ひとりごと

敬宮愛子さま、美しくなられましたね。幼少期のお姿は利発そうです。少しお痩せになられた時は、心配しました。




愛子さまの作文が以前紹介されていました。


わずか8歳にして書かれた作文を以前読みました。凄い感受性に驚き、感動しました。

心があらわれる愛子さまの幼少期の作文をご紹介します。


………


「おかあさま」 


生まれたとき 私を抱きしめてくれたお母さまへ


私は8歳になりました 16歳まで半分になりました


生まれたときのことは おぼえていないけれど


お母さまとお父さまに出会うまで


おじいさま おばあさま ひいおじいさま ひいおばあさま 誰か一人でもいなければ 私は生まれませんでした


そう考えると いのちを繋げてくれたすべての人に『感謝』を伝えたくなりました


これから大人になっていくまで 雨の日も 雪の日も 曇りの日もあるでしょう


でも きっと お母さまと いつも一緒です


いつだったか 『ママ』ではなく 『お母さま』と呼ぶようになりました


ふと見ると お母さまはすこしさみしそうでした


たくさん泣いて 文句を言って お母さまを困らせたことや


『ごめんなさい』が素直に言えなかったこともありました


だけど いつもそばにいてくれた お母さま


怒った顔も 笑っている顔も 泣いている顔も


どんなお母さまも 大好きだから


私は お母さまが 私のお母さまで ほんとうによかったと思います


だから 見えない旅路も いつも そのままのお母さまを 見守りたいと思います


だけど いつかはきっと離れていく日が来るでしょう


だから おかあさま 産んでくれてありがとう 出会ってくれてありがとう 育ててくれてありがとう


そして 愛してくれて ありがとう


私は お母さまとお父さまの子供に生まれ 世界で一ばん幸せです


敬宮愛子



何度読んでも素敵です。



ご健康とお幸せを日本国民としてお祈り申し上げます。







【お写真はお借りいたしました】








津野山3人参拝

2021-12-28 05:44:00 | 神社仏閣

たった2泊3日の娘ひとりの高知旅行。ゴロゴロさせていいよー、と母に言いましたが、母が娘を津野山に連れて行ってくれました。


病み上がりの母に、大丈夫?って聞くと、お山の神様に○○(娘)を連れて来いって言われゆう気がするって。母も癌を治してもらったし何回行ってお礼をいっても言い過ぎは無いから、、と。


お言葉に甘えてお願いしました。


妹の車だと四駆なのでお山の上まで車で行けるのですが、お山の下から歩いて行くから、杖をついて娘に支えて貰いながら行くねと。(その道も元は無かった道ですから。全てに感謝です!)


いつも、私が支える!気質の母がそんな気弱なことを笑っていうはずはなく、私の娘に、おばあちゃんを支える事が出来るんだよとわからせたいのかな。そんな気遣いに母の優しさを感じます。

人の為に何かをすると、結局は自分の心が癒されるよって。


母から沢山写真が送られてきました。雲ひとつなかったようです。


以前、家族で行ったときは大雨でした。しかし、不思議とお山に上っている間だけ雨がぴたりとやみました。妹がいうには、その時は一週間ほど高知はどしゃ降りだったみたいです。


雨が止んだね、良かったね、と私は折り畳み傘を一本だけ持って車を降りてお山に上りました。30分位お山の頂上にいると、黒アゲハがひらひら飛んできたりしました。曇天ではありましたが、雲を見上げながら、娘はもう少しここでいたいなぁと言っていました。


お山から下りはじめて少ししたら、雨がまた降りだしました。ゆっくり下りるという娘に一本の傘を渡して、私と夫は急いで下りました。車に着いた時には私は全身ずぶ濡れでした。風邪をひくと思い後部座席で着替えました。


そんなお参りが前回でした。


今回はお山の神様が、快晴で母と娘を迎えてくれました。母の5センチもあった癌は、先日の検診で跡形なく消えていました。病院の先生、神様、全てに感謝。


娘は、お山に植える木を買って植樹したようです。良かった。お山に行く際、木の成長も楽しみになります。



母と先日電話で話をしていると、今回は夏にダウンした2人でお山に行ったと思ってたけど、悟くんが88箇所巡りした時の杖を母に置いていっていたようで、その杖をついてお山に上ったから、悟くんも一緒やったんやと言いました。


悟くんとは、従姉のご主人(津野山出身)で、歩き88箇所巡りを3回もしています。優しくていつも笑顔で、自分が辛くてもそんなこと見せず、大丈夫やからなぁ治るからなぁと言ってくれたみたい。その悟くんは、母の少し後に癌がみつかり、自分の事は言わず母を励ましつつ、自分は11月に旅立ちました。


悟くんはお山の話を聞いて、この夏に行きたいなぁと行っていたそうです。


お山の天気も雨になったり、晴れたり、人もダウンしたり、色々です。でも、雨のように降っても、地面に叩きつけるほど強く降っても、いつかは天に戻る。


そういう循環の中で人は自分の足で、時には誰かに支えて貰ったり、支えになった

にお世話になったりしながら生きるんですね。


お母さんお世話になりました。感謝。












自然がいいな

2021-12-27 05:43:00 | ひとりごと
友達が、数年前に若くして亡くなりました。子供達もまだまだお母さんが必要な年齢なのに、無念だったと思います。

癌が見つかったときには他の臓器に転移しており、ご主人によると余命宣告を受けていたようです。


私は入院したと聞いて、お見舞いに行ってよいかをたずねました。大丈夫とのことで、友人のお見舞いに行きました。コロナ禍の前です。


その時に、友人は私の前で○○が泣くんだよね。。。私の夢は可愛いおばあちゃんになることだからね。と言いました。私は友人の前では泣きませんでした。


友人は抗がん剤を頑張りました。余命は3ヶ月だったようですが、8ヶ月生きました。最後に病院であったときは、手を尽くしたけど、、とお医者さんにいわれちゃった、、と友人は言いました。


私はその時、言葉を発する事が出来ませんでした。


あんなに辛い抗がん剤治療をしたのに、髪も抜けて痩せて、しんどかっただろうし辛かったと思います。治ると一心で信じて、子供達のためにも生きなければと治療を頑張っていました。


入院中は、子供達の写真を眺めているんだとも言ってました。


もしかしたら、家族以外の私や他の友達と会うのも辛かったんじゃないかな、我慢して会ってくれてたのかも、色々思いました。


私はステージ4でも、彼女は治ると思って会っていました。でも厳しかった。


自分がもしそうなった時、自分はどういう態度をできるかわかりません。


私は自然でありたいと思います。


その時にならないと気持ちもわかりませんし、友人のように、人と会う心境でいられるかどうかもわかりません。


医療は発達して凄い治療も様々あるようです。しかし、自然界は、決して医学においても人がさわってはいけない部分があるとも思っています。


この部分を天の道理とすると、自然はそれに逆らわず自然に生きています。自然破壊がなされても、元に戻そうとしながらギリギリで今も踏ん張っている気がします。


人も生きていますから自然に逆らったら生きていくことはできないと思ったりします。治療も然りで、自然な治療と自然に反する無理な治療が今の医学には存在している気もします。


高齢化社会になり、寿命も伸びる社会ですが、人はいつか亡くなります。


だから、何かがおこって、自分の生き死にの選択を家族にゆだねられるような事が起きた時に、延命だけの為に管に繋がれる治療はしたくないです。自然に逝くならいきたい。


死は自然の道だと恐れていなくて、ただ不自然なことを自分に課すと、自然に還り辛くなりそうだから、それは避けたいなと思っています。



命の期限がいつかわからないからこそ、そういう大切な事は、自分の命の最期に主人公でいるために家族には伝えて置こうとも思っています。


まだまた生きたいし、生きるつもりですけどね。



いつかまたあちらで友達にあえると思っています。