前日の続きです。内経図について書いています。
禅宗の開祖、達磨大使の上にいるお方は、老子様です。老子の道徳経は愛読書です。
その上には、老翁が腕組みをして座っている。「白頭老子眉垂地」と書かれており、白髪で眉が地面に垂れている老子が、上丹田で結跏趺坐をして深く坐忘(静功)に入っている。この達磨と老子は、儒家を含めた三教(※仏教、道教、儒教)の融合した思想を表している。Wikipediaより
白髪で眉が地面に垂れている老子は、私のイメージは白です。
前回の話につながりますが、真ん中の存在(🟡)を碧眼で象徴される達磨仏(🔵)と白髪白眉で象徴される老子(⚪️)が前後で坐しながら静かに共にいるような感じにも思えました。
その背後には、時空を超越した険しい九峯山がそびえ、真中に、昇陽府(太陽が昇るところ)と泥丸宮がある。(Wikipedia)
九峯山は、中国の霊山です。9つから、先日書きました九曜紋や中国の9つの太陽の話を思い出しました。また、九峯山については下記の説明が為されていました。
九峯山 は大荒西経典で言及された「霊山」であり、巫影、巫威、巫即、巫股、巫姑、巫真、巫礼、巫抵、巫謝、巫羅という10人の魔法使いがここから天に上る。
景勝地の面積は約180平方キロメートルで、火炎の峯、白虎峯、光背峯、元武峯(※玄武峯かな?)仙人峯、朱雀峯、長年筆、天牙峯と龍峯で構成されている。
4方を守る神獣、白虎、玄武、朱雀、龍(青龍?)がいるのでしょうか。
母が昔中国を旅行したとき、水墨画のような山が連なった場所があると言っていました。
真中に、昇陽府(太陽が昇るところ)と泥丸宮がある。「一粒粟中蔵世界」と書かれ、修煉を究めることで「道(タオ)」と本来の自己が合一した還虚の境地を表現している。(Wikipediaより)
太陽は山々の真ん中、昇陽府から昇るのですね。覇者争いが中国の歴史にはありました。太陽は一つで良いということでしょう。日本🇯🇵は、天照大御神を祖とする天皇家の歴史を脈々と守り続けている稀有な国だと思います。
泥丸宮とは脳の色が黄色で土に似ているから泥丸らしいです。脳は黄色🟡なんですね。目の大切な点も黄色🟡でした。5行で黄色は真ん中の色。
また、一粒粟中蔵世界は(いちりゅうのぞくちゅうにせかいをぞうす)とありますが、その意味は下記の通りです。☟
私たちの目から見れば、小さな粟粒も、原子の目から見れば巨大な宇宙です。その逆もまた然り。この地球でどんなに大きなものでも宇宙から見たら芥子粒(けしつぶ)ほどでもない。
そうなれば、極小といっても極大といっても結局は同じことです。差別や区別の心を持たないことです。
小さな小さな一粒の粟、それはすなわち私たちの心です。一切の差別心、執着心を離れた心は全世界も収まってしまうということです。「五燈会元 より」
脳は小宇宙。その働きの無限大たるや、虚空でありながら全てを創造し生み出す大宇宙のような感じすらします。そして、老子の説かれる無為自然こそ、その働きの本来の姿のように思いました。
修煉を究めることで「道(タオ)」と本来の自己が合一した還虚の境地を表現している。
と締めくくられていました。
内経図から感じたことを長々書きましたが、お付き合いいただきありがとうございました!