大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

内経図 上丹田②

2023-06-29 06:29:00 | 神仏について

前日の続きです。内経図について書いています。

禅宗の開祖、達磨大使の上にいるお方は、老子様です。老子の道徳経は愛読書です。


その上には、老翁が腕組みをして座っている。「白頭老子眉垂地」と書かれており、白髪で眉が地面に垂れている老子が、上丹田で結跏趺坐をして深く坐忘(静功に入っている。この達磨と老子は、儒家を含めた三教(※仏教、道教、儒教)の融合した思想を表している。Wikipediaより


白髪で眉が地面に垂れている老子は、私のイメージは白です。



前回の話につながりますが、真ん中の存在(🟡)を碧眼で象徴される達磨仏(🔵)と白髪白眉で象徴される老子(⚪️)が前後で坐しながら静かに共にいるような感じにも思えました。


その背後には、時空を超越した険しい九峯山がそびえ、真中に、昇陽府(太陽が昇るところ)と泥丸宮がある。(Wikipedia)



九峯山は、中国の霊山です。9つから、先日書きました九曜紋や中国の9つの太陽を思い出しました。また、九峯山については下記の説明が為されていました。


九峯山 は大荒西経典で言及された「霊山」であり、巫影、巫威、巫即、巫股、巫姑、巫真、巫礼、巫抵、巫謝、巫羅という10人の魔法使いがここから天に上る。


景勝地の面積は約180平方キロメートルで、火炎の峯、白虎峯、光背峯、元武峯(※玄武峯かな?)仙人峯、朱雀峯、長年筆、天牙峯と龍峯で構成されている。


4方を守る神獣、白虎、玄武、朱雀、龍(青龍?)がいるのでしょうか。

母が昔中国を旅行したとき、水墨画のような山が連なった場所があると言っていました。


真中に、昇陽府(太陽が昇るところ)と泥丸宮がある。「一粒粟中蔵世界」と書かれ、修煉を究めることで「(タオ)」と本来の自己が合一した還虚の境地を表現している。(Wikipediaより)


太陽は山々の真ん中、昇陽府から昇るのですね。覇者争いが中国の歴史にはありました。太陽は一つで良いということでしょう。日本🇯🇵は、天照大御神を祖とする天皇家の歴史を脈々と守り続けている稀有な国だと思います。

泥丸宮とは脳の色が黄色で土に似ているから泥丸らしいです。脳は黄色🟡なんですね。目の大切な点も黄色🟡でした。5行で黄色は真ん中の色。




また、一粒粟中蔵世界は(いちりゅうのぞくちゅうにせかいをぞうす)とありますが、その意味は下記の通りです。☟


私たちの目から見れば、小さな粟粒も、原子の目から見れば巨大な宇宙です。その逆もまた然り。この地球でどんなに大きなものでも宇宙から見たら芥子粒(けしつぶ)ほどでもない。



そうなれば、極小といっても極大といっても結局は同じことです。差別や区別の心を持たないことです。

小さな小さな一粒の粟、それはすなわち私たちの心です。一切の差別心、執着心を離れた心は全世界も収まってしまうということです。「五燈会元 より」


脳は小宇宙。その働きの無限大たるや、虚空でありながら全てを創造し生み出す大宇宙のような感じすらします。そして、老子の説かれる無為自然こそ、その働きの本来の姿のように思いました。


修煉を究めることで「(タオ)」と本来の自己が合一した還虚の境地を表現している。


と締めくくられていました。


内経図から感じたことを長々書きましたが、お付き合いいただきありがとうございました!


内経図 上丹田

2023-06-27 05:14:00 | 神仏について
前回からの続きです。内経図から。

今日からは、上部を。


上部との境には、十二重の塔が描かれており、「十二樓臺藏秘訣(じゅうにろうたいぞうひけつ)」と書かれ、喉が後天の気(食物など)を取り入れる入り口を意味している。


12という数は、干支の数であり一周周るイメージがあり、それは螺旋🌀のようでもあり、螺旋階段を登るように、一歩一歩果てしなくという感じです。


喉が後天の気を取り入れる入口。とありますが、


この話を読んだ時、易の兌を思いました。口に関係あるとか、沢や水場、のほか、少女などのワードが目につきます。女+少で、妙。微妙なこと。





易経ネットより。


私は坐をするとき舌を前歯の後ろにそっとおきます。さい兌といいます。任脈、督脈のキの流れを繋ぐと聞いたことがあります。


この微妙な感じ、易の話とも合わせ、いつも、お釈迦様が苦行をしてもう生きていられない程の時(陰極まった時なのか)、少女が差し出したお粥🥣により救われ、救われた話、悟りを開いた話を思います。


兎に角、陰極まった先に陽転するような陰陽を繋ぐ微かなところが喉辺りにもある気がしています。


頭部の2つの丸は両目を表すと同時に太陽と月を象徴している。顔の部分の帯状のものは、上側が督脈、下側が任脈を表し、任脈は四角い池の橋に入っている。この池から気は下の中丹田へと流れ行き、生命の循環を象徴している。

とあります。(Wikipediaより)


この図は頭部。太陽と月が目🌕☀️→👀なんですね。言われてみるとそう見えますが、目だけにも見えませんか?





視覚を用いて認識することを「見る」といい転じて「読む」「会う」「試す」ともいい、「試す」の意味での見るは、やって「みる」など、通常は仮名書きされていて、遠くから大局を眺めるというニュアンスや、深い認識の過程(いわゆる「心の目」)は、「観る」とも書きます。


内経図に描かれているのは太陽と月を持っている大きな目。目の水晶は碧色。これは、超越的眼力かなと想像💭が膨らみます。つまり、見るよりもっと大きなニュアンスを含む、「妙を見る(妙見)」🟰「観る眼かもとも勝手に思いました。

形や色を見分ける「視細胞」が特に密集しているところを「黄斑部(おうはんぶ)」といい、網膜の中心です。黄斑部という名前の通り、黄がかった色で斑点状の部分のようですが、網膜全体から見るととても面積の狭いこの部分は感度がとてもよくなっており、特にはっきりと見える場所のようです。


内経図では、☀️が描かれ、また、黄斑の黄色🟡は、陰陽5行では中心、目にとっても中心的な色なんですね。




黄色🟡の黄斑が視覚の中心、人体の不思議を感じます。


昔、絵画教室に通っていた時、絵を描きながら🖼️、「物を見る事は、本来、観る眼を養うことよ」と絵画教室の先生がよく言っていました。なるほど、先ずは実体の姿を月🌕で弱めてから、本当の実相☀️、真の姿を内なる眼で観る、妙を見る👁️のが、目👀の本来の役割かも、なんて思いました。


また、内経図の説明によると、

その下には両手を上げ天を支えている僧が立っている。「碧眼胡僧手托天」と書かれた碧眼の胡僧とは禅宗の開祖とされる達磨大師である。(Wikipediaより)とあります。


碧眼。子供が赤ちゃんの頃、瞳の白いところが、碧いと感じたことがあります。あぐらとは座と書きます。座を身体が麻痺するまでやりつづけた達磨。そして達観した境地。手托は、手で支えること。碧眼胡僧手托天は、坐を通し自らを純化して超越的眼力を得て、物の実相を観るようになった達磨のありのままの名前かもなと思いました。達磨は仏となり、天を支える、自然の化育に参加したのかもです。稀有な真人のお一人といえそうです。



【画像はおかりしました】




内経図 中丹田②

2023-06-26 05:02:00 | 神仏について

前回の続きです。内経図から勝手に検証、中部第二弾😅


中部には、童男が渦巻き(中丹田の象徴)の上に立ち、北斗七星を手にして遊び、その下には童女が糸車を回して機(はた)を織っている図が描かれている。


Wikipediaより



身体の中枢で童男が北斗七星を手にして遊んでいます。何やらモコモコした雲から出て遊んでいるのです。 


そういえば、雲にのる仏というと来迎する阿弥陀如来。また、中世においては弥勒菩薩や地蔵菩薩をはじめ多くの仏たちが雲にのった姿で表されています。平等院鳳凰堂でも沢山いらっしゃいました。






雲は、天の結びの姿。そこから出て、柄杓(北斗七星)で遊ぶ存在。前回の続きとなりますが、妙見神のようでもあり、

幼子であり、老人でもある、そんな存在が、実は中丹田にいたりするかもです。


時には憤怒相に早変わりして、まるで不動明王のようでもあり、地獄の審判閻魔大王のように厳格で、罰を与える天帝のように厳しくて、そうなったかと思うと、また時には、童子のように無邪気で、七変化。結んで開いて、手を打って結んで🎵、なんて歌いながら、柄杓で、熱くなりすぎた火❤️‍🔥が燃え盛る時は水で調整しながら、水火を上手い具合に合わせている、、

そんな内なる神様が、胸の奥には隠れているかも、なんて想像💭を膨らませます。☺️


雲に立ったり、雲から出るということは、雲(天の結び)や天の開き、始まり🟰終わりのサイクル🔁から出て自由な存在。

陰陽や、天地の循環、アマツチの運行、四季にも全く左右されない存在だとすると、

実はこの胸にいる☁️に乗った童男子、

何気なく内経図に描かれていますが、

奥の奥にお隠れになっている尊い存在かもです。


丁度、人体では心臓🫀あたりです。

心斗神と教えて貰ったこともあります。

名前は七変化しますが、それほどまでに全てを包括するのかもしれません。


ところで、心臓の働きは、1分間に60100回、静脈、動脈、弁などを使い、規則的に収縮を繰り返し、1日約10万回も血液を送り出す働き者です。



人が無意識のうちにこれだけの命を保つ働きを陰でコツコツしてくれている心臓は、まさに、神。

❤️‍🔥は程よく温かいのがイイですね👍


また、心臓は、血管を介して全身のあらゆる組織とつながっています。




まぎれもなく、人の身体の、小宇宙の中枢のようでもあります。

その中枢で織姫、彦星に象徴される陰陽が和合、中和するのは、厳しい天帝が許した時だけ。

陰陽がバランスよく中をとった状態は、振り子の真ん中の一点、静止の極まったところ、人にとったら難しいのかもですね。☯️



【画像はおかりしました】



内経図 中丹田

2023-06-24 06:27:00 | 神仏について

前回の続きです。今日は中部を。


中部には、童男が渦巻き(中丹田の象徴)の上に立ち、北斗七星を手にして遊び、その下には童女が糸車を回して機(はた)を織っている図が描かれている。


この2人には牛郎橋星、織女運転と記されており、七夕伝説の牽牛(=彦星)と織女(=織姫星)であることが分かり、織女に織られた布が上に伸びて、督脈を天の「銀河」になぞらえていることを示している。

Wikipediaより


これを読んだとき不思議に思いました。

中部に描かれている3人の中で、上の2者に、織姫、彦星と名付けられています。どちらかというと、下2人かなぁと思いました。



そこで、彦星が北斗七星に結びつく逸話は何かないかなぁと思い、最近北斗七星と北極星が気になっていたので、もう少し調べて見ることにしました。


すると、北斗星君(ほくとせいくん)という名前で呼ばれる神様がいることがわかりました。道教では、北斗七星を神格化していました。

その神様は、「死」を司っており、死んだ人間の生前の行いを調べて、地獄での行き先を決定するという日本の閻魔大王のような役目を持つ神様らしいです。


北斗星君は厳格な性格をしているらしく、人の寿命を記した巻物を持っているとされ、そこに記された数字を増やしてもらえれば寿命が延びるとされているようです。


更に一説によると、その姿は氷のように透き通った衣に身を包む醜い老人とされ、黒仙人と呼称される場合もある(偕成社 星と伝説 より)そうです。


これを読んだ時、北斗星君は、織姫、彦星が怠けたことを怒った天帝みたいだなぁと思いました。中国の七夕伝説では、天帝の娘が織姫です。婿が働かない、娘はそんな婿にゾッコン、だと怒りたくなる、、。


ところで、内経図の牛をひく男性は、私のイメージでは、牛を探し自らを悟る十牛図を思います。暴れ牛→穏やかな牛→と一体になる。仕事を通して、仕事と一体になる、公の幸せに仕事を通して貢献する姿にも見えます。


織姫のおる織物に関しては、にぎたえやあらたえをイメージします。自然(植物)の麻から作るにぎたえ、そして蚕(動物)からつくる糸があらたえ。糸に、植物(静)動物(動)の違い素材の違いがあります。そして、それらを織りなすヒメに象徴されるのは、静動を織りなし和諧する女性のようにも。


男女とも、先ずは誠の心で目の前のことをコツコツやる大切さを思います。


そうしたら、天帝に許され、鵲(カササギ)が橋をかけ、織姫と彦星はあえる。天の川銀河は、2人の陰陽の見えない努力の賜、錦の帯のようでもあります。


ところで、亀が世界を支える神話があるようです。中国神話で人間を創生した女媧(じょか)は天が落ちそうになった際に、巨大な亀の4本の脚でそれを支えたとされています。


また、遥か東方には天の川や世界のあらゆる河川が流れ落ちる底なしの谷あるとされ、そこにある5つの山を支えているのは15匹の亀だという話しもあります。


🐢については、北方の守護神は玄武をイメージします。亀蛇(キダ)とも今います。中国の想像上の神獣ですが、北極星や北斗七星の化身であり、妙見菩薩の神使ともされます。妙見菩薩は、像容も一定していないとあり、忿怒形や童子形、他に甲冑を着けた武将形で玄武に乗るものなどがあるとのことです。


亀にのった童子の妙見神がおられ、一番、内経図の童子と近いなと思いました。




日本においては、「中世には、子供は老人と共に神に近い存在であったことは、国文学や歴史岳、民俗学といった分野から指摘されて久しい。」とあり、北斗七星の神が、童子の姿で表されることもあるのかな。中世には多くの童子形の仏像、神像もあったりしますから。


長くなりましたから、また、続きは次回に。👋


内経図 下丹田

2023-06-22 06:31:00 | 神仏について

一昨日からの続きです。内経図から。


「下丹田」 は臍の下に位置するとありました。


今日は下部の絵を見ながら感じた事を記します。


下部には、生命の海から「気」を汲み上げるために足を踏んで水車を回している童男と童女のペアの姿を描いている。そのすぐ右隣には「坎水逆流」と書かれた(かなえ)があって、


脊柱に沿った経絡督脈を気が下から上へ逆流すること(回光逆法)を意味している。

とWikipediaにありました。


注→督脈は下から上は男性、上から下が女性、と教えてもらいました。男女役割があり両者は流れが男女で逆のようです。


それでは、勝手に下部から検証します。


下部には、童子2人がいます。水車からは河車をイメージします。河車は、それが出来てしまえは何ら作為を加えなくても水が轍から汲み上げられ車は周りはじめます。


幼子は無邪気で、無垢です。無作為な童子のような活動、胎児をそっと温かく子宮で温めるような、まるで羊水のような温もりで優しい活動が人体下部には好ましいのかもです。


赤ちゃんを守る胎盤は漢方の世界では、紫河車という名前で知られているようで、紫河車は、過去には不老長寿・滋養強壮のお薬として使われていたようです。


妹が脳脊髄液減少症という病になったとき、プラセンタが効くと聞いて、何度か試しました。このプラセンタの別名が紫河車のようです。

生薬、紫河車の出典の一つである「本草綱目」(1596)によれば、健康女性の胎盤とあるようで、人胞、胞衣、胎衣、混沌衣、 混元母、仏袈裟等の別名もついています。


それらの名前から、陰陽では、陰、女性的なイメージがあります。



画像クラシエより


中国では、古代、秦の始皇帝は不老不死の妙薬のひとつに用い、また西洋では、ヒポクラテスが治療に利用していたと伝えられていたり、エジプトの女王クレオパトラや、フランスの王妃マリー・アントワネットは、若返り・美容の目的で利用していたようです。


また、水車の少し上に上がっていくと、


牛を使って田(丹田)を耕している。「鐡牛畊地種金銭(鉄の牛が地を耕し黄金の銭を得る)」と書かれ、何事にも動ぜずに丹田で気を煉り育てる象徴として描かれている。


何事にも動じないとは、昨日の道士呂祖様(呂洞賓様=孚聖様)の逸話を思い出します。周りの景色は仮、幻想であり、流れる映画のスクリーン🎞️のようなもの。実相を観る眼力を養いながら、鉄の牛を使い耕作する姿を描いているのかもです。


その右にある4つの太極図は、ここが下丹田(正丹田)であることを象徴している。とあります。



4つの太極図。易が太極→陰陽にわかれてから4象、一から多へということなのか、




丸の中の4つの紅白の太極図が何を指すのかは分かりません。下の水部分💧から上がってきて、次は火🔥。そこが下丹田なのですね。イマイチ私には何もわかりませんが、これを描いた人は、下丹田を絵にするとこんなイメージがあったのでしょうね。


描いた人のイメージを絵で創造する力はスゴイなぁと思いました。