大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

巫女と土蜘蛛

2022-12-31 05:18:00 | 神仏について
昨日からの続きです。

ヤマト朝廷に服従しなかった人を土蜘蛛と呼んだ時代、土蜘蛛に、「大山田女」と「狭山田女」の二人の女性がいたようです。佐嘉川(今の佐賀県にある川)の土地の支配者が川に坐す神様について二人に占わせた話があります。


二人の土蜘蛛の女性は、下田の土で馬と人を造り、荒ぶる神が川に坐すことがわかり、祀ることで荒神を鎮めたようです。


與止日女命(ヨトヒメ)と呼ばれる水の荒神を鎮めた土蜘蛛の大山田女・狭山田女は巫女だったと言えそうです。九州地方の土蜘蛛と呼ばれたまつろわぬ人々には、巫や農耕的呪術の特徴があったようです。


二人の土蜘蛛と呼ばれた女性は、祈りにより災害を鎮めたため、崇められ感謝されて「賢女」(さかしめ)と呼ばれます。


賢女、とは佐加志売(サカシメ)として、古事記に記載があります。それがこちら。


大国主神が、北陸のヌナカワヒメに求婚したさい、ヌナカワヒメはいったん拒みますが結局大国主を受け入れます。大国主命は、国中で、理想的な妻をめとることができなかったので、はるかに遠い高志の国(北陸の白山あたり)に賢い女(サカシメ)があると聞いて、何度も何度も求婚し、やっと娶ったとありました。

高志国(越国)は、女性を首長とする地。昔は神と繋がる女性🟰シャーマンがサカシメだったのですね。

賢女を娶り、建御名方神が生まれます。古代出雲王朝の勢力範囲は九州から越国にまで広がっていきます。


越後辺りのサカシメ🟰巫女もヤマト王権に恭順しなかったため、土豪とよばれます。気比の禁足地、土公は土蜘蛛の塚かなと思います。

土蜘蛛は、国栖(くず)八握脛八束脛(やつかはぎ)大蜘蛛(おおぐも)と蔑称でも呼ばれたようです。


八束脛はすねが長いという意味で、まさに、東北に逃れた長髄彦の末裔も同じだと思います。


白山、シラヤマ、シラは磯良とも。


九州の竹田に行った際、土蜘蛛塚に行きました。沢山の蜻蛉が空を飛んでいたのが印象的でした。


「土蜘蛛」の名は、陸奥、越後、常陸、摂津、豊後、肥前など、各国の風土記で語られています。特に大分豊後は多いみたいです。佐伯は山の佐伯、野の佐伯と、かなり大和をサエギル勢力だったようです。。


土蜘蛛の女性の首長には名前に「女(め)」や「媛」などが使われていました。


土蜘蛛は「都知久母(つちぐも)」とも書きます。

水の神は、都海神のようです。

この漢字から、琵琶湖にあります妹が行きました水神を龍神を祀る「都久夫須麻神社(竹生島神社)」も、繋がりがある気がします。


また、瀬織津姫は、別名、木厳之御魂天疎向津命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)です。サカシメ(賢女)。


賢い姫、厳しい女性、荒魂で、水に関係があり、隠されてしまう点などに、古代祭祀をする縄文の女性、巫女、土蜘蛛など縄文の女性巫女の共通点を感じてしまいました。


また、邪馬台国女王、卑弥呼のあと卑弥呼の統治を踏襲したのが、彼女と血の繋がった台与(とよ/いよ)でした。また、トヨです。


琵琶湖から流れる淀川の神、

ヨトヒメ🟰

佐賀のヨトヒメ(與止日女)🟰

ヨタヒメ(世田姫)🟰

滋賀の瀬田姫🟰

トヨヒメ(豊姫)🟰

神話の豊玉姫🐊🟰

卑弥呼の後継の台与(トヨ)


名前の偶然にしては良く出来ています。


卑弥呼の邪馬台国の九州説と近畿説は、川に纏わる水神の名前だけをみても地名縁起から両者に繋がりがあるように思います。



邪馬台国の卑弥呼は歴史に名を残しますが、あっという間に歴史からは消えます。卑弥呼や台与(トヨ)のような縄文時代のシャーマンのような女王が、太古の大和政権の敵であり、土蜘蛛などの蔑称で呼ばれたといえそうです。


祈りと密接に繋がった縄文時代の一族が土蜘蛛です。


土蜘蛛八十女(つちぐもやそめ)の話もあり、山に居構えて大和朝廷に抵抗したが、全滅させられる話もあります。


八十(やそ)は大勢の意であり、多くの女性首長が大和朝廷に反抗して壮絶な最期を遂げたようです。


日本書紀の土蜘蛛の記載によると、最初は、八女津媛(やめつひめ・八は多。多世代の媛の意)を「女神であって女王ではない」と判断し、一旦は討たなかったとありますが、代々神格化された女性の象徴、八女津媛は「田油津媛」(たぶらつひめ・たぶらかしの女性呪術者)という蔑称で呼ばれ、誅殺されたとありました。

王は2人は要らないということで、勝った方が権力を示すため、負けた方をめちゃくちゃに描いたのでしょう。


魔女狩りは、ヨーロッパで中世にありましたが、先立って土蜘蛛征伐は太古日本で行われました。日本は世界の雛型ですね。


卑弥呼(169-248頃)の墓や後継者・台与(とよ)の墓は破壊され、魔女を封じ込めるために大量の塩がまかれたようです。。


そして、古代史研究家によりますと、地域では大和政権に遠慮して女王山を「女山」(ぞやま)と呼んだようですが、後に蜘蛛塚と名前を変えたとありました。


土蜘蛛について書いていると、悲しくなります。戦わずに平和な縄文時代を生きた神と繋がる巫女や一族が蔑称で呼ばれ、戦わなかった人々が、新しい勢力にやむなく抵抗してなくなったのは、無念だったと思います。


歴史をみても女性の地位は虐げられ、男性中心の社会の幕開けがスタートしたのかもしれないと思いました。


男女については、身体の仕組みや役割もあり、男女機会均等、女性の社会進出、選挙権なども、長い歴史の中で最近女性は徐々にゆっくりと力を手にしました。


陰陽、男女仲良く、和して、平和な世が良いですね。夫婦も縄文の道祖神、塞の神のように、仲良くです。

歴史の闇や隠された部分すら、その土台を日本の国土で繋げた人々がいたことを思います。

糸🧵はもとは一本の針の穴に、糸を🪡通すことから繋がります。様々な絡み合う糸を、切ったり、よったりしながら過去を生き抜いた人々の末裔が今を生きる人。


そう感じると、神さまからいただいた命は、やり直しを何度もさせられた命だと思っています。大切にしたいですね。


年末まで、このようなワカメマニアな話に付き合っていただきありがとうございました。



どうぞ皆様、佳い年🐇をお迎えください💕来年もどうぞよろしくお願いします。☺️






ワニ族 ⑥豊玉姫

2022-12-30 05:30:00 | 神仏について

昨日のつづきです。


佐賀で沢山祀られています與止日女命は海神豊玉姫だとも伝わり、正体は「鰐🐊」だと記紀神話で書かれています。


豊玉姫はワニの姿で子供を産むのを見られて恥入り竜宮に帰ったと浦島太郎のおとぎ話には残ります。


この夏に九州の祖母山に登山しました。くたくたになりました😅が、今年の最高の思い出のひとつ。素晴らしい経験でした。祖母山は、神武天皇の祖母、豊玉姫に因み名前がつけられた山で、健男霜凝日子神を祀ります。


豊玉姫はおそらくワニ氏だとすると、拠点は北九州八幡の西に存在したと考えられる伊都国のようです。


「與止日女命」「豊玉姫」「豊姫」「淀姫」「世田姫」は実は同一神のようで、その中の豊姫(とよひめ)について、伝承・風土記などによる話を紹介します。


話の中では、豊姫は三韓征伐を為した第十四代仲哀天皇のお后である「神宮皇后」の妹にあたると記載があるようです。しかし、日本の正統的な歴史書と言われる「記紀神話」には一切名前は出てこない、謎の多い神様です。


その話がこちら↓💁‍♀️


住吉の神は、大海の南面をしばらく御覧あそばして、沙迦羅龍王が潮干珠・潮満玉と言う二つの玉を金の鉢に入れて、いまこれを愛でて遊んでおられる。


あの玉をお借りして、力を尽くして異賊を降伏させるべく使いを送るべしと仰った。


とはいっても、あまりにも強大な龍神に相応しく御使いになれるような方は誰であろうと武内(恐らくは武内宿禰)が申されるには、

(神功)皇后の御妹であられる豊姫は、如来のような相貌で、世に比類なきお姿であるたとえ龍の身なれども、この女性に対しては争う心なども解されてしまうだろうから、豊姫を遣わしたまへ」と、住吉の神は計らい申し給う。


この後、龍宮城へ赴いて、沙迦羅龍王より潮干珠・潮満玉を借り受けとります。その宝を手にした神功皇后と武内宿禰は三韓征伐に赴くわけです。妹の豊姫なら、争う心を解したとありますので、戦わなかったのかな😅


ということは、この話では三韓征伐の際、神功皇后のおそばで神功皇后を助けた武内宿禰様が、御伽話の浦島太郎ということでしょうか。


玉手箱を開けるとあら大変、お爺さんに変わりますが、360歳まで武内宿禰が生きたそんなバナナ、、🍌話と繋がりますね。😄


また、珠を授けた沙迦羅龍王(さからりゅうおう)とは、天龍八部衆の龍族のうち、もっとも強大な八大龍王の一神です。




古くはインド神話にに起源を持つこの神は、「サーガラ」と名を持ち、サンスクリット語での意味は「大海」であり、「龍宮の王」だそうです。


沙迦、サカ、佐賀、、、サカラ、、ヨトヒメを祀る神社の多い佐賀は、沙迦羅龍王に縁のある地なのかもですね。


以前、三本鳥居ついて調べた際、磯良(いそら)が気になりました。九州北部地方は海人族の治める地で、万葉仮名では「磯」を「し」と読むため、シラとも呼びます。


磯良からは、「高良磯良」「阿曇磯良」と二つの名が出てきます。


高良はタカラ(宝)ともいえますので、高良磯良は、恐らく、龍宮から宝を授けられた武内宿禰の率いる部族かな。

「阿曇磯良」は福岡の志賀島を拠点とする部族かなと思います。

どちらも、実は元のルーツは同じで、北九州に大海原を渡ってきた強大な海の民だと思いますが。

トヨヒメ(🟰豊姫🟰与止日女神)は神功皇后の妹と伝わりますので、神功皇后三韓出兵の際、与止日女神の力により、凶賊を海底に没し難を逃れたと伝わります。


与止日女神を「旱珠満珠を以て日神・月神とし、日月の明神と号するものなり」とも伝わっていたり、


また、一説では月向かい・日向かいの神、あるいは月読み・日読みの神として陰陽道の暦作りに影響したともされているようです。


なぜ、トヨヒメが記紀神話では隠されているのか?ですが、


トヨヒメ🟰ヨトヒメ🟰豊玉姫。また、磯良🟰シラの関係から考えると、


福井にあります気比の神が九州に多く祀られている事に繋がる気がします。


磯良をシラと呼ぶ、つまり、越国のシラヤマ、白山信仰を、神功皇后の子、応神天皇を祀る八幡信仰に置き換えたことに一因があるのかなぁと思いました。


古代祭祀の大きな変更です。名前が隠されてしまう神々は、この際都合が悪かったのかもです。


宇佐神宮を八幡神社の総本宮として、太古の縄文からの信仰を帰順させるというか、吸収するイメージです。


元は一つなのですが、壮絶なたたかいがあったのかもしれませんね。。全国に散らばる大和政権に恭順しなかった土蜘蛛にも関係がありそうです。



つづく



ワニ族 ⑤ ヨトヒメ、豊玉姫のルーツ

2022-12-29 07:09:00 | 神仏について
昨日の続きです。

琵琶湖から始まり、瀬田川、宇治川、ときましたら、次は淀川です。


淀川のヨドの響きで神社ないかなぁと探したら、琵琶湖から離れてはいますが、與止日女神社(よどひめじんじゃ)が佐賀県にありました。肥前国一宮。


残念ながら、夏の1週間の九州の旅では行かなかったです。次は行きたいですね。


別名、「淀姫(よどひめ)神社」とも表記され、通称として「淀姫さん」とも呼ばれているようです。


別件ですが、高知にも仁淀川(によどがわ)があり、祖父の実家のあたりで仁淀ブルーは素晴らしく美しいです。






話を戻します。


肥前国風土記によれば564年の111日に與止姫の神が佐賀にあるこちらの神社に鎮座したといわれています。世田姫神社も近くにあり、風土記の説話から全て水神のようです。


與止日女命は神功皇后の妹との記される一方で、海神豊玉姫だとも伝わり、正体は「鰐」だと記紀神話で書かれています。ワニ氏との関係がありそうです。

豊玉姫はワニの姿で子供を産むのを見られて恥入り竜宮に帰ったと浦島太郎のおとぎ話には残ります。


「與止日女命」「豊玉姫」「豊姫」「淀姫」「世田姫」は同一神のようです。

佐賀県を中心とする北九州地方には、與止日女神(淀姫神)を祀る神社が多数あり、そのうち6社が嘉瀬川流域にあります。


嘉瀬川とは、有明海北端に注ぐ川で、古くは「佐嘉川」と呼ばれていました。この川の上流には、與止日女神社の奥宮とされる巨石群があり、その石神は世田姫(ヨタヒメ)🟰與止日女神とされています。

荒ぶる神のようであり、川の通行人の半分を殺した話もあるようですが、橋がかかっていない時代、氾濫したり急流なら、流されたりする人も多かったのでしょうか。水神は穢れは祓うイメージもあります。


與止日女神とは、

与え(與え)➕止める日の女神、

穢れあれば、流したり、必要ならば止めたりしそうなお名前です。


この地域では、なまずは淀姫さん(與止日女命のこと)のお使いとされています。九州には鯰を眷属とする神社が多数あり阿蘇国造神社でも鯰が御眷属でした。ナマズに纏わる昔話もありました。


佐嘉川の神、世田姫(ヨタヒメ)🟰與止日女神は、侮れば祟る威力ある神で、

ナマズが、毎年遡上して神の所に小魚を引き連れて来て、人がその魚を恐れ畏まれば災いはないが、捕って食べれば死ぬことがあるとか、魚達は二三日留まると海へ帰ると佐賀のこの辺りでは言われており、今もナマズを食べないようにする言い伝えまあるみたいです。


ところで、「與止日女命」🟰「豊玉姫」、神武天皇の祖母、豊玉姫もワニ氏だったとして、ワニ族の拠点は、北九州八幡の西に存在したと考えられる伊都国にあったようです。


志賀島の阿曇族らの海人族と同じく、祭司の役目を担ったユダヤの民レビ族ではないかと言われています。


イスラエル12部族の中では、神宝を担ぎ移動し、それを安置して守るような宗教的儀式を行うのはレビ族だけで、カナンの地、東の最果ての地に足を踏み入れる際は誰よりもまずレビ族が先行して、宗教儀式に相応しい神聖な土地を選別し、そこで神を祀ったようです。


以前エジプト神話と鯰が気になり調べました。初代王ナルメルは鯰でした。ユダヤの民は後にエジプトで迫害されて出エジプト、東のカナンの地を求め旅をします。


ワニを騙した因幡の白兎の神話のワニには、サメの他、実はナマズ説もあるようです。


ワニ一族は、北九州の佐賀あたりに、また、志賀島あたりには志賀海神社には神事をする阿曇族もいました。どちらも祭祀に関係するユダヤの民、海人であり、佐賀や志賀(滋賀)は元は同じ祭祀を司る海人の拠点とも言えそうです。


鰐は北九州には存在しない生物ですが、壮大な大移動の中、水中の最強な生物を御眷属に祀ることで、航海の無事を祈ったのは想像できる気がします。


兎の名前をもつ宇佐神宮は八幡神社の総本宮。宇佐神宮は神輿の始まり。つまり、御神体を運ぶ儀式の始まりとされます。





神宝を運ぶ一族であるレビ族の名残のような儀式も、実は太古、海から渡り様々な日本の地域で、神宝を鎮めなから一つに和合し、神国日本に古代祭祀拠点を広げていったような気がします。


ヤマトタケルの叔母にあたる倭姫様も神宝を担ぎそれが鎮まる地を探し全国を旅しました。瀧原宮に辿り着き、そして、その後に伊勢へと。


ワニやら、鹿やら、兎やら、ナマズやら、動物達を通じて語られる逸話も海人族と関係があり、日本の古代からの祭祀に深く関わりがありそうですね。


滋賀県の琵琶湖から瀬田川→宇治川→淀川と名前を変えて大阪湾にそそぐ一本の川。


境で合う、逢う、一つになる、逢坂が大阪。


滋賀の琵琶湖に源泉をもつ淀川の水神に、ヨド繋がりで佐賀の川の水神様ヨトヒメを繋ぎ逢わせてみました。境はなく元の一つに和して逢う、のが大阪の地名のような気がしています。


琵琶湖から流れる川は、水の女神様の瀬織津姫様、神話の中でワニとして描かれた豊玉姫🟰ヨトヒメ様も想起させる水の女神の名前があります。

名前は様々に変わりますがはたらきは、元は一つ。人が生きるには欠かせない水を浄化する神様。水神様。有り難い神様です。




【画像はお借りしています】


ワニ族 ④瀬織津姫様 小野神社参拝記

2022-12-28 05:45:00 | 神仏について
昨日の続きです。

日本最大の琵琶湖から瀬田川宇治川淀川へと名前を変える川。


元の琵琶湖には竹生島があり、妹が参拝しています。


琵琶湖に浮かぶ竹生島 ② 都久夫須麻神社 - お山にお宮がたちました

琵琶湖に浮かぶ竹生島 ② 都久夫須麻神社 - お山にお宮がたちました

竹生島神社は、市杵島比売命、宇賀福神、浅井比売命、龍神の四柱をお祀りした神社で、御本殿は国宝に指定されています。 宝厳寺と舟廊下で繋がる「都久夫須麻神社」の...

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瀬織津姫(弁財天)は琵琶を持っていらっしゃいますね。




瀬田川については昨日書きましたので、京都の宇治川についても少し書いてみます。


宇治川には橋姫(はしひめ)という神様がおられるようです。

橋は、交通の便を良くしますが、一方で人の出入りが簡単になり入り乱れるために、橋渡しにより2つに封印されているエネルギーが交流して衝突したりすることもあるようです。


塞の神、道祖神は交通の神でもありましたが、人の流れを見張る神様なので、橋姫も同様の働きの神様でしょうか。


古代縄文時代信仰は、橋渡しなどで人の交流がなされることをエネルギーの放出と考えたのかもしれません。放出したら、一方でバランスを取るために止める塞ぐなどバランスが必要なのかもしれません。


そういうエネルギーの流れは、気のエネルギーのようであり、昇降する龍神の様でもあり、その気を感じるシャーマンが太古はおり、豊作の為に雨を願い祈りを捧げていたのかもしれません。


九州などは佐田京石のようなストーンサークル ような縄文跡地がありました。


たとえば、神社にあります地震を起こす神社の要石や、諏訪の巨石などもエネルギーのバランスを取り、地球をぐっと押さえ守護している石であり、私達が気付かないだけで、自然災害を抑える役目があるような気すらします。


人も磐座のように邪念なく無となり少しの時間でも静かに坐ったり、瞑想する人が増えると良いなと感じています。


地震に関係があるナマズについては、阿蘇国造神社など九州の神社に多く祀られており、土蜘蛛にも繋がる話がありますが、また後日紹介します。


地球破壊やら、大規模な埋め立て、橋をつくり、海中にまでトンネルをつくり、人の生活は便利になった一方で、エネルギーの磁場や門を人間が塞いだり、放出したり際限なくすることは、実は、人間が自然のエネルギーから離れることで自然災害を生んでしまっているのかもです。

人間が作りだした負のエネルギーは、人間がまた正なる静なるエネルギーで溶かす必要があるのかもしれません。


橋姫に纏わる日本の伝承に現れる女性は、鬼女、女神であるとされています。

古くは水神信仰の一つとされ、橋の袂に男女二神を祀ったことが始まりともいわれている。道祖神ですね。


橋姫の中でも有名なものが、

宇治橋に祀られる宇治の橋姫と、

大阪の淀川の長柄橋と、

滋賀県瀬田川の瀬田の唐橋の水神

であり、つまり、琵琶湖から流れる一つの川で呼び名を3つに変え3つの橋に坐します姫神様となります。




宇治川に架かる宇治橋の近くに橋姫神社があるようです。こちらは、正式には、上流から遷祀されたとされる瀬織津媛を祭っているようです。上流とは琵琶湖のことでしょうか。


小野篁がワニ氏だったことから、ワニ氏を調べ初めましたが、小野篁も閻魔大王への橋渡しのお役目のあった御方でした。


先日、妹と小野神社に早朝参拝しました。都会にありながらも静かに佇むお宮です。武蔵国一宮、御祭神筆頭が瀬織津姫様でした。







川にかかる橋についてですが、伊勢神宮の五十鈴川には、かつては橋はかかっておらず、人々は流れの緩やかな川を禊しながら渡っていました。

あるいは渡るための石が並べられており、そこを渡る時代もあったといわれています。


しかし、それでは大雨の増水のために渡れなくなることもあり、やがて橋がかけられるようになります。


伊勢にあります饗土橋姫神社の創建は、宇治橋が架けられるようになった平安時代より後、鎌倉か室町時代と考えられるようです。


伊勢神宮の五十鈴川の橋姫も、京都宇治と同じ瀬織津姫を祀っているようですね。伊勢の内宮にあります天照大御神の荒御魂は、瀬織津姫様です。


また、江戸の繁栄を築いた徳川家はこの橋姫を祖とし、その名を冠した一橋家を産み落としたとする説もあります。


ところで、瀬織津姫様は、白龍を思わせる饒速日命とご夫婦です。私の中ではずっと千と千尋の神隠しのハクのイメージです


兵庫の廣田神社(西宮市)は、今は天照大神荒御魂を主祭神としていますが、戦前の由緒書きには、瀬織津姫を主祭神とすることが明確に記されていたようです。



昨年、妹と参拝しました。



御神体の神鏡は、元は宮中の賢所に祀られていたようですが、武内宿禰・神功皇后の御代に廣田神社へ遷したことが廣田神社由緒書きに記されているようです。


瀬織津姫は祓戸の水神ですが、どこか隠されたり、名前を弁財天やら市杵島姫など沢山お持ちの水の神です。名前は人がつけますから、変えることはできますが、神様の働きやエネルギーは変わらない。しかし、神社祭祀において、作為的に何か大きな変更が加えられたことはうかがえそうです。





ワニ族③瀬田川逸話

2022-12-27 07:29:00 | 神仏について

琵琶湖は、楽器の琵琶に形が似ているので名付けられたと聞いたことがあります。





琵琶はシヤモジ型。杓子。



陰陽の片割れの勾玉のようであり、





そして胎児の形。型の始まりのイメージすらあります。


私は逆子だったので、妹とはこんな感じだったのかな😂


富士山の近くに杓子山という山がありました。杓子のような、鋤のような、農具のような道具を国祖、国常立神が手にしていた絵を見た事があります。



出口王仁三郎氏の描く国常立神

妹と参拝した不二阿祖山太神宮宮司さんに杓子山の杓子は、富士山と関係あるんですか?と尋ねたら、杓子、おしゃもじ、田んぼ、米を育てる大切さ、道祖神、諏訪の縄文時代のミシャクジ信仰(龍蛇信仰)、国常立神、太古から日本が大切にしてきた大和魂、全てに繋がる貴重なお話を聴く事ができました。
国常立神の化身、金龍が坐す御神木が不二阿祖山太神宮にあり、全世界の全ての始まりが富士山なのだそうです。(後日、詳細は紹介します。)


琵琶湖は淡路島とセットで陰陽だとすると、琵琶湖には陰のイメージがあり、イザナギとイザナミの国造りは淡路島から出来たとありますが、陰極まって陽転するなら、琵琶湖が最初なのではと思います。


その琵琶湖から流れ出る唯一の河川に淀川があります。

この淀川ですが、瀬田川宇治川淀川と名前を変えて大阪湾に流れ込みます。昨日書きました難波あたりを通ります。


ワニ氏のワニ🐊は、どこか龍蛇にも似ており、クネクネして土を練るイメージがあり、また瀬田川から大阪湾に注ぐ川は柄杓の形で北斗七星のような形にも見えてしまいます。




北斗七星は、北極を周ります。北極についていうと、北極はぶれない一、はじまり、つまり北極神が国常立神、元主一の太神だと不二阿祖山太神宮の宮司さんは仰っていました。


琵琶湖から流れる川周辺は、陰のエネルギーゆえなのか、太古から都があり争いが絶えない土地なのかもと逸話↓を知ると感じます。


まずは神話の時代、

神功皇后vs忍熊皇子の対立です。

忍熊皇子軍は退いて菟道(うじ:宇治)に陣立しましたが、武内宿禰と武振熊(和珥臣の祖)を将軍とする皇后軍側の武内宿禰の策略によって弓・刀を失います。

忍熊皇子は逃走した果てに、逢坂(現・滋賀県)にて敗れ、最期は瀬田川に身を投げ、その遺体は数日後に菟道河(うじがわ:宇治川)から発見されたという話がありました。


同じく宇治川で、次の世の仁徳天皇の時代にも、異母兄弟の菟道稚郎子が身を投げた話もあります。仁徳天皇の時代に疫病が流行り鎮めるために建てられのが難波八坂神社でした。


忍熊皇子は、瀬田川に身を投げて、宇治川で発見、菟道稚郎子が宇治川に投身。この川が名前を変えるにはそれなりの理由がありそうです。


瀬田川については龍神伝説がありますので紹介します。


三上山(近江富士)の大ムカデ退治を、龍が藤原秀郷に依頼します。今、この地には勢田橋龍宮秀郷社があるようです。


室町時代に書かれました

「御伽草子(おとぎぞうし)」の「俵藤太物語」で語られる藤原秀郷は、大ムカデ(暗に平将門公)を討ちます。それをおとぎ話にしているようです。





俵は、大ムカデを退治して竜神から贈られた尽きることのない米俵から、藤太は、藤原の太郎(長男)として名乗り、相模、山城、近江のそれぞれにある田原の地名に由来するという説もあるようです。

実は、この龍神と共に祀られた藤原秀郷については、クリスマスイブに妹と富士山に行った際にも麓の道中に石碑を目にしました。どのような人かはその時は知りませんでした。

 

琵琶湖から唯一流れる瀬田川の龍神の名は跋難陀龍王(ばつなんだりゅおう)のようです。跋難陀龍王とは、雲を呼び雨を起こす蛇形の鬼類。




慈雨の龍、密教で雨乞いの時に拝まれる八大龍王の一柱で、善神の一柱です。近江富士近くにある勢田橋龍宮秀郷社には龍宮の扁額もあるようです。 





大ムカデ伝説の平将門公については、福島の相馬に縁があり、相馬中村神社の馬追い神事を見て感動したことがあります。この物語藤原秀郷の話は、後世の創作とはいえ、敗者を大ムカデと蔑称にして呼ぶ感じがなんだかなぁ、、とは思います。土蜘蛛と同じですね。


人が勝者をまつりあげるストーリー、勝てば官軍、しかし、そこには敗者の悲しみが必ず残り、敗者を完全悪にするストーリーです。完全悪人など存在しないと思っています。


瀬田川の龍神様は瀬田の守り神で、川底に棲んでおり、瀬田橋(瀬田唐橋)を依代(よりしろ:神様が宿る場所)にしているといわれています。


琵琶湖を行きかう船は、龍神が宿るこの橋をくぐるのを畏れ多いとしていたようです。


また、瀬田唐橋の決戦とよばれる戦いがこの地には別件でもあります。皇族同士が戦った壬申の乱の決戦地でもあるようです。この地で繰り返される皇統を巡る戦いは、非常に因縁めいたものを感じてしまいます。


勝ち負けにより、地獄を味わう戦いがこの川の近くでいくつもあり、同じような歴史は繰り返されるんだなぁと、琵琶湖から滋賀県→京都→大阪をまたがり、名前を変えながら大阪湾に注ぐ川を地図でみながら感じました。


ところで、母の実家である津野山の龍神様が、瀬田川の龍神様と繋がりがあるとブログで書いてあるのを以前みかけました。


また、瀬田川の龍神様は関東では品川神社に縁があると知り、以前参拝した経緯もありました。階段を登るとすぐに富士講があったりと、富士山との縁もその時に感じました。

年末に参拝しました富士山🗻の写真をどうぞ!富士山は国常立神が坐す山❣️です。万歳❣️




石割山にて



つづく