大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

幣立神宮 in 熊本県

2022-08-31 05:31:00 | 神社仏閣
熊本県の弊立神宮に行きました。こちらは、今色んな方がパワースポットとして動画などに載せていますね。

別名、日の宮(ひのみや)ともいい、社伝によれば、神武天皇の孫である健磐龍命が、阿蘇に下向した際この地で休憩し、眺めがとても良い場所であるとと、幣帛を立て天神地祇を祀ったといわれます。






幣帛で思い出すのは、菅原道真公の百人一首に詠まれた和歌。


このたびは幣もとりあへず手向山
紅葉の錦 神のまにまに

幣(ぬさ)はこの度の旅に持ち合わせていないですが、この美しい自然の紅葉の錦を取り敢えずは手に取り、神様の御心のままに手向けます(お供えします。)




百人一首の中でも大好きな一首です。
和歌の名手、道真公。

この後、九州太宰府に左遷された道真公。どのような思いだったのでしょうか。

ところで、熊本の山の中にあります弊立神宮の御祭神は


です。
祝詞に出てこられる神様や
宇宙の始まりなどの神々です。


天気が下り坂で、なんとか曇り空の中参拝しはじめます。
夫は長旅の運転が疲れたようで、少し休んでからいくと駐車場でリクライニングを倒し休憩。

私は、凄い神社の前の駐車場の車中にボーっと留まるのも落ち着かず、1人で早めに傘を持って行く事にしました。



田舎の一風景に溶け込む古社です。







境内をゆっくり見ながら、参拝します。

日露戦争開戦に当たり同年の2月に、日本全国の8ヶ所の神社に戦勝祈願せよとの神示が宮中に降ったとされ、その中に弊立神社が含まれていたといいます。

当時無名だった弊立神社以外の7つの神社はいずれも各地の有名な一の宮であったことから、これに感激した氏子がこの記念として、この時、記念樹として植えたのが「日露の大役・記念の真木」です。

御神木が聳え立ちます。凄い大きな御神木の方ですが、写真だと光ってしまいます。上までずっと高く聳え立ちます。





拝殿をはじめに1人で参拝します。






雨がパラつきはじめます。
なんだか不思議な気分。。
神殿に落つる天水、、とかいています。

火山のある阿蘇の近く。地球を天水で冷やし固めたのでしょうか。地球創生を担うご神水に、心酔。。。🤭



こちらの摂社は、応神天皇と健磐龍命とあります。健磐龍命は、この後に行きます阿蘇神社の御祭神でもあります。

龍神様の尾に🌀

こちらは摂社です。
水波能貴神、日子八井命とあります。日子八井命は、別名、彦八井耳命とも、草部吉見神または「国龍命」( くにたつのみこと )とも言われていますが、記述が曖昧な神様です。神武天皇の息子と(一応は)いわれており、草部吉見神社や阿蘇神社の三の宮に祀られています。記述の曖昧さもさることながら、宇佐・豊家の血を引く水沼系日下部族だったのではとも言われています。阿蘇神社はこの後で行きましたが草部吉見神社は横目で見ながらも時間の都合で通り過ぎてしまいました。縄文の龍蛇信仰に繋がる一族ではないかと。

少しパラパラ雨が降りますが、夫も合流したので200m山を降った先にあります御神水の所へ向かいます。



鳥居横の看板には、瓊瓊杵命が御神水で全国を清められたこと、秦始皇帝が不老不死の水をこの地に求められたとも。

沖縄復帰にも、天皇陛下の渡米の際も清めとして使われたり。また、朝鮮の李殿下も持って帰られたと書かれています。

李殿下の奥様は李方子妃殿下。日本の皇族から朝鮮に嫁ぎ、お子様を亡くしたりと苦難を経験されるも、殿下亡きあと朝鮮の恵まれない子たちの施設をつくったりと、朝鮮の母として崇敬された方と聞いたことがあります。



まさに、時代に翻弄されながらも生かされた場所で生き抜いた妃殿下だと思います。


話はもどり、小雨でしたが、途中から傘が要らない位になりました。足元が濡れていますから滑らないように向かいます。 
200m下に到着です。眼下には美しい稲穂が青々として少し雨に濡れて光り輝き美しかったですね。







稲穂の近くの水神様の前で夫が参拝します。
背後に緑に光っているのは稲穂です。






よく見ると、山椒魚のような魚がいました。手足?が魚にありました。水は澄んで綺麗です。

神社の境内を参拝します。傘は要らなくなりました。雨の水滴に光があたり辺りが澄んでいます。


八大龍王のいらっしゃる地なのですね。
大嘗祭の起こりの水田、、だとは。天武天皇のご時世に大嘗祭が確か始まりました。伝統を守る神国、日本。守りたいですね。

神恩感謝。





こちらの鳥居の龍王様に🌀。鳥居にも、模様があります。人為なのか、まさかね、ということは自然なのか。😳

先程の、神殿に落つる雨水、、の看板は、神田に落つる雨水のことも兼ねているな、、と美しい神田を見て感じました。


参拝を終えると、稲穂の上を大きな黒アゲハがヒラヒラ。感動しました🥹。

雲行きがあやしくなり、急いで山を上りはじめると、またポツポツ雨が降ります。

そしてだんだんと傘が必要に。
急ぎます。

お宮に着くあたりにはかなり土砂降りになりました。
これでは動けないな、、と境内の社殿の軒下で30分くらい雨宿り。。
夫は雨の中参拝です。







小雨になります。





アマビエ。

九州の巡礼の旅はまだまだ続きますが、全日程終えてあんなに雨が降ったのも弊立神宮だけでした。

その雨に、こちらの神宮に伝わる様々な話を合わせて、有り難い雨だったなぁと感じました。









高千穂峡 眞名井の滝

2022-08-30 06:30:00 | 神社仏閣
高千穂といえば、ここは見ておきたい!!とお願いして眞名井の滝に行きました。




京都にあります籠神社の奥宮も眞名井神社です。忘れられないほど気持ちの良い空間でした。

眞名井神社以外に真名井の水、真名井の井戸、真名井の滝と呼ばれる天の真名井の水が溢れ出る御神域が日本各地にあります。他にもあるようですが、ネットにあったものを紹介します↓


★真名井の水が頂ける神社・水汲み場(京都府、奈良県、和歌山県、鳥取県、島根県、徳島県、山口県、福岡県、宮崎県のみ)

京都府

元伊勢籠神社奥宮 真名井神社

出雲大神宮

真名井の清水

市比賣神社

奈良県

丹生川上神社  丹生の真名井

和歌山県

熊野本宮大社末社 真名井社

鳥取県

天之真名井

徳島県

真名井の水(大麻山山頂より200m降った所にある小さな祠から湧き出る真名井の水)

山口県

中津瀬神社 真名井の井戸

福岡県

天之真名井 宗像大社中津宮の社務所横の道を通り境内外にある天の川付近の小さな祠から湧き出ています。

宮崎県 

眞名井の滝


因みに京都の眞名井神社の水は籠神社海部家三代目の天村雲命が神々が使われる「天の眞名井の水」を黄金の鉢に入れ、天上より持ち降った御神水のようです。


天村雲命はその水を初めに日向の高千穂の井戸に遷し、次に籠神社奥宮の眞名井原の地にある井戸に遷しました。

その後、倭姫命によって伊勢神宮外宮にある上御井神社の井戸に遷されたと伝えられているようです。

いくつかは参拝して思い出深い所もありますが、いつか眞名井巡りなんかもしてみたいです。

またまた、、脱線しました😅


宮崎県眞名井の滝に戻ります。。


同日、宮崎→熊本→福岡の強硬スケジュールのため、早朝から頑張って動くも、時間のロスは避けたい。

って、もうこの年になって、

夫婦2人旅でガツガツ動くのも少し笑えます。もっと優雅に旅すればいいものを。。山登や滝下りや移動など、かなりハードかも😅


それでは高千穂の写真を。。





水神様がいらっしゃるところですね。鳥居をくぐり遊歩道を片道20分くらい歩きます。すぐ、このよくパンフレットなんかに載っている景色がみられます。

ボートは、時間の関係でやめました。





この石が力石みたい。200トンって、どれだけ重いんでしょうか。
鬼八は気になり調べたいです。何故鬼と呼ばれたのか。。
九州では、高千穂神社なんかでは鬼八の祟を鎮めるため、まるまる猪を奉納する神事があります。
抵抗した土着民(縄文人)が関係しているのかな、、?








20分くらい歩いた先に鉄橋が、、また来た遊歩道を戻ります。






安心院にも似たような屏風岩がありました。


今回は、黒アゲハでなく白い蝶。



五ヶ瀬川の中で最も川幅の狭いところのようです。

天正19年(1591年)高千穂・三田井家が県の領主(現在の延岡)高橋元種に三田井城を攻められ、落城、城を脱出した三田井家の家来達はここまで逃げのびて来ました。橋がないので槍の柄(やりのえ)を突いて渡ったといわれています。

「手前の岩に槍を突(つ)いた者は無事飛び渡ることが出来たが、向こう側に突いた者は川の中に転落した」と伝えられており、ここを「槍飛び」と言うようになったとの事です。

三田井家は、大神家の末裔ですね。竹田の健男霜凝日子神社周辺は、末裔の方ばかりのようでした。






高千穂の眞名井の滝はとても綺麗なフォトジェニックなところでした。



天岩戸西本宮 in 宮崎県 高千穂

2022-08-29 05:33:00 | 神社仏閣
天の安河原のあとは、天岩戸神社の西本宮に行きました。子供連れ親子、中学生くらいの娘さんがお父さんにおんぶをせがんでいました。微笑ましいです。お父さんの体力も凄い👏



今回、夏休み子供達のスケジュールを聞いて8月前半を選び旅の日程を組み立て夫に休みを合わせてもらいました。しかし、神社や、登山のスケジュールに、じゃあ、やめとく、と最後にいわれました。😅私も若い頃は興味無かったですから仕方ないですね。

しかし、帰ってから写真を見せると、エモい。とか言ってました。
現代用語ですね。笑。
行けば良かったと。

久しぶりの夫婦2人旅でした。

さて、9時から神職の方のボランティアツアーに参加することにしていました。


こちらの入り口では、手力男がいました。岩戸を持っています。天岩戸だけに、岩戸を放り投げた力持ちです。




前日夜神楽でみた手力男命

岩戸のうち一つは、長野県戸隠にとんでいったとか。真冬にいき、雪山遭難の危機に遭うも一期一会、若い可愛い女神に会い助けて貰いました。

この日は、戸隠の雪が恋しくなるくらい暑かったです。


芭蕉の句碑です。

松尾芭蕉は国文学者の研究によると実は九州には来たことはないようです。確かに、奥の細道は、北陸、東北ですしね。

しかし、九州にも数多くの句碑があるようで、それは、芭蕉の高弟らが九州で蕉風(俳風)を広める努力をしたためのようです。
しかも、全国で初めて芭蕉を俳句の「神」として祭ったのは久留米のようです。俳聖とかとも言われていますね。

松尾芭蕉の松尾といえば、松尾大社を私は思い浮かべます。秦氏が祖である松尾大社は、関西でも随一とされる山吹の名所で、山吹の花の命が短いことを詠んだ芭蕉の句があります。

松尾大社
画像はお借りしました

ほろほろと山吹散るか滝の音

松尾大社の神はお酒の神様でもあり、味わい深い酒を醸す神様は、
発酵の神→
ハッコウ、
ハイコー、
ハイクー
→俳句の神



松尾芭蕉


となるわけですね😄


ナンチャッテ😚


話を西本宮にもどします。拝殿の脇にこちらの御神木があります。



これは、

おがたまの木(招霊の木)と呼ばれており、アメノウズメがこの木の実がなる枝を鈴のようにもって踊ります。



↑この鈴(後日、宗像大社でも出てきます)



天安河原はこちらに参拝前に行きました。こちらから遥拝できるんですね。
説明もあります↓

こちらの神社で印象的だったのは、ボランティアツアーで拝ませていただいた、拝殿裏から見える天岩戸でした。

撮影禁止のため写真はありませんが、深い谷の向こう側に注連縄がありその奥にありました。禁足地です。

その、まさに神域の谷間の空間に黒アゲハがまたヒラヒラ飛んでいました。

神職さんの説明が終わり、夫に黒アゲハいたね!というと、エッ、いた?と。確かに飛んでいましたけどね。


アゲハはもちろん、天岩戸の写真もないですが、ポスターがありました。


崖の向こうにある岩戸に冬至の日に注連縄をはる神事があるようです。
陰極まり陽転する日。その日は、娘の誕生日でした。

注連縄神事は、岩戸から出た天照大神が再び岩戸に戻らないように、という結界でしょうか。かなりの崖でしたから、神事は真剣なものでしょうね。




この神社周辺は、世界農業遺産にも選ばれた場所で、棚田の田園風景が広がりとても牧歌的でした。



車から撮影。

参拝させていただきありがとうございました。


天の安河原 in 宮崎県 高千穂

2022-08-28 06:54:00 | 神社仏閣
天安河原に行きました。この場は神々が天岩戸にお隠れになった天照大神をどうやって出そうかと作戦会議をした場所だと言われています。




早朝でしたからすれ違う人が2.3人居ただけでした。


到着です。賽の河原のような石が積み上がっています。地獄で、鬼が夭折した子が積み上げた石を壊す話を思い出しました。
その子供達はお地蔵さん救われます。



それだけ、親の子を思う気もちは深く、逆縁はそれだけ親を悲しませたということでしょうか。昔は子供が7歳まで生きるとホッとしたと言われています。


賽の河原
少し怖い雰囲気なので可愛いイラストを選んでみました。😉

この場所の氣は陰が強いなと感じました。だから、神話の中では、闇の中で岩戸を開くための会議をした場所だということでしょうか。

夫は遠くから遠隔参拝しました。
洞窟は苦手のようです。




私も得意ではないですが、近くで参拝してきました。




また、クロアゲハがヒラヒラ。


神話と場所が結びつく地が高千穂ですね。

どこか、黎明期というか、まだ明け切らないというか、明ける前というか、そんな陰陽の陰が極まる雰囲気を感じました。

多くの神社は高い所にあったり、太陽に近い光が届くイメージがあるのですが、こちらは、下りきった、さらには洞窟の中にあったので、暗い中これからどうしようか考える天岩戸神話にピッタリの不思議な所でした。

早朝参拝でも少し怖かったのですが、夕方とか一人参拝はさらに怖いかもしれません。

陰極まれば陽転するのみですが😅。



参拝させていただきありがとうございました。

天岩戸東本宮神社

2022-08-27 05:31:00 | 神社仏閣
朝食前に徒歩で天岩戸東本宮に参拝しました。

朝食後に天岩戸西本宮にも参拝しました。(後日記載します)

入り口にアメノウズメの銅像がありました。近くによるとまわります。
西本宮には、天岩戸の岩戸を投げた手力男がいました。二柱とも、天岩戸開きの立役者ですね。







早朝参拝は気持ちいいですね。
紙垂が高千穂は3.5.7です。





造化三神の3からです。高天の原に最初に成り出た独り神の三柱で、アメノミナカヌシ(天之御中主)、タカミムスヒ(高御産巣日)、カムムスヒ(神産巣日)です。次に別天津神の二柱を合わせ五柱となります。

その後も多くの神がうまれ、神代7代の国生みの神として知られるイザナキ(伊耶那岐)とイザナミ(伊耶那美)が最後に登場します





6時台、誰もいません。贅沢な空間です。





参拝をおえて、裏手にあります7本の杉を見てきました。

3.5.7の7なのでしょうか。
7本の下の部分がくっついています。神代7代は二柱で一神と数えらる神様がでてきます。国生みのイザナギノミコトとイザナギノミコトは神代7代の最後の二柱です。



7でいえば、昔は子供が7歳まで生きたらホッとしたといいます。今のような予防接種なんかも無くて、医療も発達してないころの祈りが七五三なんですね。

スクスク育て子供たち。

ここで、杉の小話を紹介します。

どこの神社にも杉の木は大体ありますが、とりわけ神社には大木が多く、参道の傍に聳え立つ見上げるような威風には神々しさを感じますね。鎮守の森や杉の木の力を感じます。

杉の木とは、古来から、神様は高天原(天上界)から地上界へ杉の木を伝って降臨してくると考えられていました。

杉の木を介して天上界と地上界を往ったり来たり、神様はします。つまり杉の木がないと神様は降りて来られない、天上にも帰れない、と考えられていました。

杉は木々の中でもとりわけ太く高くまっすぐに成長し、下から見上げると、この後も天まで届きそうな立ち姿にそんな役割を感じます。

そういうことで、神社には大きな杉の木があるわけです。

前日の夜に、神楽を見に行きましたが、天孫降臨の聖地高千穂では、夜神楽で、神が杉を伝わって降臨する神楽「高千穂神楽 杉登り」も舞い継がれているみたいですね。

天まで届けと言わんばかりに、社殿の裏手でひっそりと聳え立つ杉に、神話を重ねる事のできる神社でした。
神話は物語ですし、多くの古代史研究家が指摘するように、強者により書かれた部分があるとは思いますが、それはそれとして、まず自然ありき、そして一からどんどん分かれてヤオロズに神を見出したり、和することの大切さを暗示していたり、自然に学ぶ視点を与えてくれる話のように思っています。

東から昇る太陽を見ながら、拝殿に向かい、その背後に伸びる夫婦杉も見ることができて、朝から清々しく感じました。