大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

夕焼けの歌

2024-02-28 11:56:00 | ひとりごと

魂の父であります竪山勲さんが、涙した歌だと書いておられたのが、島倉千代子さんの夕焼けの歌。


竪山さんは、ハンセン病被害訴訟、原告団のおひとりです。


お母さんを、幼い頃ハンセン病で亡くします。竪山さんの目の前で、お一人看取り、そして、ご自身も中学生の時、療養所に隔離されました。

お母さんは慈悲の方だった、優しかったと仰っていました。


竪山さんは、ハンセン病により母と、また自ら発症したことにより、父、ご兄姉、家族と生き別れ、国の政策で自らの人生を奪われた御方です。


この歌が沁み入るのは、すべての毛穴からなのかもしれません。すべての感覚が研ぎ澄まされている御方。


果てしなく優しくて

果てしなく厳しい


感覚が研ぎ澄まされ、

心で観て、

心で感じ、

心で発する。

その言葉も行動も。


いつかお空で竪山さんがお母さんにあったとき、

「よくがんばったね、いさお」

と優しい手で、息子の手を握るんだろうな。


みえない手は、今もずっと握っているとは思いますけど。


また会いたいな。魂の父に。鹿児島の父。



夕焼けの歌   島倉千代子


夕焼け空です お母さん
いっしょに眺めた 幼い日
握ってくれた手の中の
あのあたたかさ あのなつかしさ
もう一度 握りたい
お母さんのやさしい手
なんにもいえずに 泣くでしょうね

一番星です お母さん
明るい子供に なるように
教えてくれたあの歌が
今この胸に よみがえります
もう一度 聞きたいな
お母さんの歌う声
私もいっしょに 歌うのよ

わがままいいたい お母さん
生きてく悲しみ ありったけ
ぶつけて聞いてほしいのに
ああいないのね ああ遠いのね
もう一度 みつめたい
お母さんのやさしい目


心配かけたい 甘えたい




寒川神社参拝記

2024-02-17 11:35:00 | 神社仏閣

久しぶりの神社参拝記となります。

神奈川県相模國一ノ宮寒川神社です。

以前、職場で神社巡りが趣味だと話していたら友人が、それじゃあ寒川神社今度一緒に行こうと誘ってくれました。

私は、よく、ひとり神社参拝をしたりするので、あまり関東で誰かを誘って神社に行く事はないのですが、誘っていただけたので一緒に行く事にしました。

大きな神社でしたが、人も少なく、青森県のねぶたを思わせるはりこが飾られていました。


友人がいいます。

「パパと前に来た時は、誰も居なかったのよ。今日は人いるね」

私は、「ん!?」と感じました。

こんな大きな神社なのに、今日は人が少ないなぁと感じていたからです。

「これより少なかったの?誰も居ないなんて、人祓えじゃないかなぁ」

と私は言いました。

「うん、誰も居なかったよ。」と。

神社の歓迎の証で、太鼓の音がなったり、人が居ない神社に参拝出来たりするのは良い事らしいよと言いました。

色々話していると、友人のご主人のご実家の亡くなったお祖父さんは、新潟の由緒正しい神社の奧宮の神主だったというのです。

今は過疎で、神主も違うかもだけど、義理のお兄様は細々とお祀りしているとか。

また、友人自身の母方のお祖父さまは、福井の永平寺の小僧だったともいいました。

私は、永平寺にも行った事があり、常住坐臥の道元さんのことや、私も坐をしていることを話しました。

また、高知の津野山の神様の話しを友人にはじめてしました。

田舎で過疎で神社を守るのは大変かもだけど、きっとご先祖様やご自身のルーツには、深いご神縁があるから大切にしてね、きっと深いご神縁により、歓迎されて人祓えがおこったのかもね、と言いました。

友人は、私の話を聞けて良かったーと言ってくれました。

そしたら、拝殿を後にしようとしたら、ドーンと太鼓の音もしました。



自宅に戻って、今日私と神社で話したことを、ご主人に話したようです。すると、あんな山奥の神社をその様に言ってくれて嬉しいと言って、こちらの神社だよと教えてくれました。そちらの神社は新発田市の二王子神社(奧宮)でした。


後由緒、二王子岳に鎮座、山裾の本社に大 国主命、豊受姫大神、一言主命、熊野加布呂命を祀っている

老婆心ながら、マニアな私は調べて、神様のいわれを色々と伝えました😅

すると、今までそこまでとは思ってなかったけれど、私の話を聞いて、ご主人がとても喜んだようでした。

早速夏に、義理のお父さまと子供達も連れて皆で参拝に行く事にしたと言っていました。

いつか、私も参拝させていただきたいな🥹と思いました。


私にありがとうと言ってきましたが、こちらこそ、職場でも仲良くしてくれて、ご縁に感謝でした。


あ、、寒川神社のお話は、どこかにいってしまいました。申し訳ありません。とても、とても、素晴らしい神社でした。

御祭神は、寒川比古命(さむかわひこのみこと)と寒川比女命(さむかわひめのみこと)のニ柱の神を祀り、寒川大明神と奉称しています。 寒川大明神は相模國を中心に広く関東地方をご開拓になられ、衣食住など人間生活の根源を開発指導され、関東地方文化の生みの親神様として敬仰されてきました。いわれはこちらより。



八方よけのご利益があるようで、四方の神獣もおりました。











また、狛犬はそれはそれは見事でした。




参拝させていただきありがとうございました。





坐と気質の変化

2024-02-02 06:16:00 | ひとりごと


自分の嫌なところは、自分で気付いている場合もそうでない場合もあります。

自分で気づいて治そうとしても、なかなか自分では治せない。染み込んでいるから。


ただ、坐をするようになって、穏やかになったと家族からも言われます。


気質を自分で無理矢理治すのではなく、坐が少しずつ気質を直してくれているのかもしれません。


エネルギーがある人ない人いますが、気が病になるのは、清浄な気が不足した状態かもです。


様々な外からの影響や育った過程で積もった塵のような妄想を含めた濁気に身体ががんじがらめに絡まってしまうのかな。


昔は、良いと信じていたことが、間違っていたように今は感じています。坐により自分の濁が見える化されます。


沢山反省しますが時間は戻せません。だから、気づいたその時から直します。


気質が変わると、自分が自分がという我が無意味で、りきまなくなります。


ただ、シンプルに、悲しんでいる人や病の人には寄り添うとか、優しさとか、全部おかげさまだとか、生かされていることが有り難い、そんな感情が自分の中に満ちてくる感じです。それはとても幸せです。


写真は坐している役小角です。座禅🧘ではなくで、坐は椅子にすわってこの形で物は持たずです。


敢えていうなら、手のひらを脛にくっつけて、舌の先を前の歯の後ろにくっつけて目は半眼にしてやります。時間も16分からスタートです。ただ坐る、それだけです。


坐はまだまだ未熟ですが、気質の変化についての実況報告でした☺️。



【写真はお借りしました】


脳について ② 精神と気

2024-02-01 08:01:00 | ひとりごと

昨日の続きです。


お医者さんは心は脳だから、心は実際は無いといいます。しかし、無いはずの心が様々な病を引き起こし肉体に様々な症状を及ぼすことは少なくないです。


心(脳)の病の中には、肉体を蝕み、できていた事がどんどん出来なくなるものもあり、それを食い止めるために、医師は薬を処方します。


精神科の薬は誰しも飲みたくはないのでしょうが、医師が薬を処方するのは、脳が誤作動することによる破壊的なダメージにブレーキをかける折衷案のような感じかもしれません。


副作用もそれなりにあり、難しい所なのでしょう。しかし、薬に頼らなければどんどん日常生活が出来なくなる人がいるのも事実です。



脳を科学するのが脳科学。

今の所、心の病は薬に頼るのが医学の常識です。

脳に張り巡らされた精密な神経、この精神を司っている主体は気です。


この気を整え、心を自分で守ることが出来れば、気が引き起こす病の多くは、きえうると私は思っています。だから、薬に助けて貰いながら徐々に気を整える。


病は「気」からという言葉があるくらいですから、気を整えるのは、この唯物論を唱えるお医者さんがいうマインドフルネス、また、私が感じる自らの氣を浄化するイメージに繋がります。


気を整えるといっても、自分でそうしようと思ったりしてもなかなか出来ません。


それなら、食べ物を飲み込んだ後自動的に内臓が消化してくれるように、

自分の気も自動的に浄化してもらえると考えます。


心が鎮まり、気が平静になる方法、自然に委ねる方法は静坐だと思っています。


自分の気は自分で守る。

自分の心は自分で守る。


という信念が私にはあります。


坐をしはじめて暫くたちますが、不思議と、感情の振れ幅が緩やかになり、怒りの感情は最速でなくなりました。色んな事をスーッと受け入れることができるようになりました。期待してなかったんですけど、これは自分の中では進歩です。


最近は娘も寝る前に私の隣で坐をするようになりました。自分しか自分を守れませんから続けて欲しいですね。😌