大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

観音様の手

2023-05-29 05:16:00 | 神仏について

自分の力ではどうしようもないな

お手上げだと思った時

まだ出来ることがあるからねと


救いの手が

差し伸べられると


その手は

観音様の手のように感じます。


無償で愛と優しさだけが

その手にはあります。


なす術がない、と、もどかしい自分の

手を握って、

大丈夫、明るく自分らしくいなさいね、

応援しているからね、

諦めないで、自分が出来る事を

頑張りなさいね、


そんなふうなことを言われた時


なす術は実はあったのだと


うす暗いトンネルの先に微かな

光を感じます。


その差し伸べられた

観音様の手を

信じて、握りしめて


前を向けるように

導いてくださる



そんな存在に感謝して



ただその光を信じて


歩いていこうと

思いました。



いつか、その光が

きちんと遍く届き


全てが癒されると信じて。



生きる意味と方法

2023-05-27 06:41:00 | 神話・物語・本から

の中は物で溢れ、情報で溢れ、AIの発明や、発展は、人の暮らしを便利にするだけでなく、脅威にすらなっている時代。


そんな時代に生きながら、

私はいまだ自分が何故生まれてきたのかも

わからない。

そんな話を妹としていたら、


50にして、天命を知る

孔子様でさえ、50歳という年齢を

天命を知る年としてあげたのだから、

まだ天命がわからなくても、今信じた道を歩もうと励ましてくれました。


全ての生には、意味があり

そしてまた、方法がある。


生きる意味と方法


この著書を最初に読んだ時は非常に難しいと感じました。


しかし、何度も読み返してみると、生きることには、意味と、そして、方法があること、


形而上のことを、とても、わかりやすく仙女様が教えてくださっていることがわかりました。


最初、難しいと感じたのは、

自分の器に初めて注ぎ込まれた価値観ばか

りで、浸透するまで時間がかかったからで

した。


何でも、継続してこそ浸透しますから、

何度も読み返しました。

生きる意味、

一から生まれた全ての人には天命があり、

また、一に帰るには方法がある。


方法は

先天坐の継続


方法は、じつはシンプルでした。

この方法も著書の中で説明してくださっています。お薦めの本です。


Simple is best.

様々な物や情報に溢れる今、

シンプルに無為自然に委ねる大切さを感じます。

老子様の無為自然の教えにも繋がりました。



2023-05-24 07:09:00 | ひとりごと

父が亡くなり、先日49日の法要と納骨が終わりました。


父は安らかな顔で旅立ちました。父の通夜、葬儀の日は高知は季節外れの嵐でした。


遺骨となり、白い骨壷を抱え帰路についていると、雨足が緩み、徐々に雨は上がりました。

自宅に真っ黄色な美しい夕陽が充満しました。

私はあぁ、お父さんはもう肉体からは卒業したのだなあと、思いました。


母には長生きして欲しいなと思います。


納骨をする日の朝、妹と実家のお墓の掃除にいきました。墓は綺麗に掃除されてはいましたが、雨が降ったので念のために。


お墓につくと、とても大きな蜂🐝がお墓の入り口にいました。


蜂とはちあわせ。


私は、あっ、お父さんだ、、と思いました。

ずっと、お墓を掃除している時も、ブーンとお墓の入り口あたりを飛んでいました。


30分程、掃除をしている間、蜂はいました。


49日の間、何度か父を感じました。


姉も、甥っ子も、父を感じたと言っていました。


霊体になると、意識がすぐに思う人の所に飛んでいくのかもですね。


こちらが思えば、故人とも直ぐに繋がる。


亡くなったおばさん(父の姉)のことも久しぶりに思い出しました。巫女のような優しい人でした。父を導いてくれているのかもしれません。


故人となって目に見えなくなっても、

霊体となって生きていて、

50年以内にはまた会えるから、



それまで頑張って、譲り受けた身体を

この世できちんとお役に立てるように

生かしていきたいなと思いました。






奥入瀬渓流

2023-05-12 06:39:00 | ひとりごと
奥入瀬渓流を訪れたのは2回目。
前回は5年位前で、真冬でした。

今回は新緑美しい季節に訪問。

冬はガラガラでしたが、
ゴールデンウィークはさすがに混んでましたね。




ケヤキの木

水のあるところはいいですね。

音も風も気持ちいい。
まさに、セラピーロード。

十和田湖には青龍大権現の龍神伝説がありました。青龍は清流。

水と共に織りなされた自然の造形美、木々の緑、野鳥のこえ、風、音、神聖な気が至るところに充満していました。












十和田湖から流れる水は奥入瀬渓流となり素晴らしい景観を四季折々みせてくれます。

冬は滝も氷柱になって氷っていましたね。それはそれで美しかった。
雪靴を履いて渓流そばを散策しました。

当時、雪解けの季節は良いですよ、と言われましたが、今回また来ることになるとは。



近づいてみると、


うわぁ、可愛い。



頑張れ!と思わず。

小さな命が水辺で育まれています。

苔って凄いですね。

生命の誕生の奇跡を感じます。

きっと、全ての命が奇跡の連続、偶然のようにみえて、全て揃ったが故に命となる必然を感じました。

十和田湖から八甲田山に向かうところに日本一大きなブナの木があり、森の神と呼ばれているようです。
神社関連は、ただいま忌中のため参拝を慎みました。

山の神、森の神、水の神、

ヤオロズの神







自然は全てをわけることなく
あるがままに

包む




秋田、青森をまたがるのが世界遺産
白神山地です。

津軽や東北には、シラヤマ信仰があります。

千と千尋の神隠しでは、オシラさまがなんとも、ほのぼのとした姿であらわされていました。

オシラさまは、津軽の山岳信仰の象徴的存在、岩木山の民衆信仰でもあり、

響きが何となく「白神」に通ずるということで、オシラサマはシラカミサマとなっていったと言われているようです。

北海道の「白神崎」にもオシラサマが祀られていたり、

また、加賀の「白山」繋がりで、津軽の白山から、「白神」に発展していったという説などもあるようですね。

雪深い地には、過酷な自然があり、
また全てを真っ白に覆う美しい雪は、
過酷と静寂をイコールで結ぶような
そんなイメージもあります。

オシラさまは、そのような土地の神様。
流れるものを凍らせたり、
時を静寂の中でとめたりしているかのようにみせかけて、
実は命を蔵し、
こうしてゆっくりと命を守り育み、
時を待ち、繋ぎます。

そんな自然の懐の深さに
この土地を護る神々の
慈愛のようなものを
感じました。











十和田湖 龍神伝説

2023-05-11 06:24:00 | 神仏について
大湯環状列石がありました秋田の鹿角(かづの)の地名が気になり調べていました。
上津野(かづの)と昔は表記していたようで、母の実家のある高知県高岡郡津野町の「津野」繋がりで、一気に親近感があがりました。


上津野があれば、下津野もあるのかなぁ?と調べると、ありました。和歌山県有田市に!


高知県の津野町は、四万十川源流の里で、白龍神がおいでになる地のようです。


鹿の角は、龍の角みたい、と思っていたので、秋田県に鹿角(旧、上津野)は龍神と関係あるかも、と調べてみると、十和田湖の龍神の話しがありました。下津野のあります有田川町には、高野龍神スカイラインがあったりと、「津野」は角だけに、龍神つながりがあるのかもですね。



鹿の角


八郎潟干拓地が秋田の男鹿半島にはあります。




この八郎は、鹿角出身の八郎太郎という人間が龍となり、まずは十和田湖を作り、その後十和田湖から追い出され八郎潟へうつりすんだと言われています。


十和田湖を追い出される際の話としては、その地をめぐり、南祖坊と八郎が戦い、南祖坊が勝って青龍大権現となり十和田湖の主となったようです。


そのお話はこちら。



その昔熊野で修業をしていた「南祖坊」という修行僧が十和田湖にやってきました。


南祖坊は熊野で権現様から「この草鞋を履いて諸国を修行し、草鞋が切れたところを住処とせよ」と鉄の草鞋を授かりました。


そしてその草鞋が切れたところが十和田湖でした。


(十和田神社には鉄の草鞋が奉納されているようです)


ところがその十和田湖にはもともと、秋田の鹿角の八郎太郎(もとは人間)が姿を龍にかえて住み着いていました。


八郎太郎が人間から龍になる話には次の逸話があります。


八郎が人間だった頃、水を汲みに沢におり、そこでおいしそうなイワナを3匹串焼きにし、我を忘れ、仲間のイワナも全部食べてしまいます。


そのあと、どうしたことか、喉が渇いていくら汲んだ水を飲んでも足りず、沢に行って水を飲み続けました。


やがて、沢に映った自分の姿を見て、八郎太郎は驚きました。なんと、大きな龍に変わっていたのでした。仲間のイワナまで食べてしまったからでしょうか。


八郎太郎は涙を流し、仲間に別れを告げました。そして沢の流れをせき止め、湖とし、その主となったのでした。こうしてできた湖が十和田湖です。


美しい十和田湖で暮らしていた八郎太郎ですが、南祖坊という修行僧が十和田湖のほとりにやってきました。


南祖坊は南部の出身であり、紀州(今の和歌山県)の熊野で修行をしていました。

南祖坊は目の前に広がる十和田湖を、権現様からお告げのあった永住の地と考え、喜びました。


そのとき、南祖坊の前に八郎太郎が姿を現しました。この湖の主である八郎太郎は、南祖坊に闘いを挑みます。


南祖坊は、熊野権現のお告げに従い今日からこの湖の主となると言いはります。


こうして、八郎太郎と南祖坊の激しい戦いが始まったのです。


十和田湖の八の太郎は八つの頭を持つ龍に化身し南祖坊を襲いました。


静かであった湖は急に荒れ狂い、雷が鳴り響き、山々が鳴動し、それは凄まじい光景でした。この戦いはなかなか決着がつかず、七日七晩続きました。


一方、南祖坊は九頭竜に化身しこれを討ち取るのです。


まるで、八の龍、ヤマタノオロチ、九の龍、九頭竜、の話しみたいですね!


南祖坊は最後の力をふりしぼり、最後の法華経のお経を八郎太郎に向けて投げつけました。


すると、経文の一字一字が鋭い剣となり、八郎太郎の体に突き刺さったのでした。とうとう八郎太郎は力尽き、十和田湖を自らの血で真っ赤に染め、体を引きずりながら十和田湖を去ったのでした。


77晩闘う、八の数をもつ八郎の龍と、南祖坊(九の数をもつ龍)が、十和田湖を巡って闘う、、7.8.9.10ですね!

まるで、素戔嗚尊がヤマタノオロチをやっつけて、剣を手に入れた、そんな話しみたい。


八郎太郎に勝った南祖坊は、静かに十和田湖へと入っていき、十和田湖の主となり、青龍権現として祀られました。


十和田湖に向かう道路沿いには「十和田青龍大権現」碑が現在も残っており、かつてはその碑より奥は女人禁制の十和田の神域だったようです。


十和田湖の御蔵半島は一部が赤く、八郎太郎の流した血の跡だといわれています。


一方、八郎太郎は、鹿角の里を追われ、最終的には、八郎太郎は川を堰き止め、八郎潟という大きな湖を作り、そこで暮らすようになります。


また、秋田にあります水深日本一の田沢湖には、辰子姫という女龍がおり、八郎と辰子姫は恋仲になりました。そうして、毎年冬は田沢湖で一緒に暮すようになります。



秋田の三湖物語(龍神伝説)


そのため、冬になっても田沢湖は凍りませんが、八郎潟は凍ってしまうと言われています。田沢湖には、辰子姫の像があります。




辰子姫


田沢湖に八郎が通うようになると、八郎潟の水は少なくなったとも言われています。


ちなみに、記録(三国伝記)に残る南祖坊は室町時代までさかのぼることができ、十和田湖で山岳信仰を開山した修験者として登場します。


法華経の徒、南祖坊が勤めに励んでいると女が現れ、女は自分の住処で法華経を読んで欲しいと乞いますが、弥勒の世を待っているから行けないと南祖坊が断ります。

(弥勒の世=弥勒菩薩が現世にくだり民衆を救うとされる思想)


女は、自分は十和田の龍女だと明かし、弥勒の世を待つのなら長命な龍へと化身してはどうかと持ち掛け南祖坊は了承し十和田信仰の礎となったとも言われています。


十和田信仰とは、龍神・水神・修験(山岳信仰と仏教が合わさったもの)がベースで、南祖坊が十和田信仰の創始とされています。



以上、水に纏わる龍神伝説でした。

湖や水を龍神が棲まう地として大切にする心が物語を創作させたのかなぁと思いました。とても興味深い話しでした。




十和田湖から流れる奥入瀬渓流