大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

天龍寺と三十三間堂へ

2024-03-20 09:26:00 | 神社仏閣

貴船神社に参拝した次の日、どうするかを娘に聞いてみました。

すると、竹林の小道に行きたいというので、どこにあるのか調べていたら、天龍寺の北口から続く道とありました。

天龍寺という名前は、夢で見たことがありました。石碑に天龍寺と刻まれたところの門からすごい数の馬が走りでるのです。それをテーマに愚作の創作童話を書いたっけ😅


夢では、亡くなった友と貴船姓に縁がある友ともう1人の友と眺めていました。不思議な夢だったので覚えていました。


嵐山の駅に着くと平日ですが外国からの観光客が沢山いました。そして、天龍寺に到着です。

お寺の門の隣に大きな石碑がありました。大本山天龍寺と刻まれています。この石碑みたいなの、あの時、夢でみた、、かも、正確にいうと、天龍寺の門の隣に、この石碑みたいなのがあって、同じではないけど、似ている、デジャブのような感覚になりました。




南北朝時代をいきた禅僧、夢窓疎石は、南朝の後醍醐天皇にその才覚を見い出されます。天龍寺は、その夢窓疎石が後醍醐帝の鎮魂のために建立しました。夢窓疎石は世界史上最高の作庭家で、庭園は今でも観光客を魅了しています。

また、近くの渡月橋も夢窓疎石の作のようです。




母の実家である津野山出身の臨済宗の僧、義堂絶海らと共に、夢窓疎石は五山文学の有力漢詩人だったようです。特に絶海中津は、夢窓疎石から教えを直接うけたとありました。

義堂も絶海も五山文学の双璧であり、以前十牛図をこのブログで書いた時に紹介しています。


天龍寺に入るとすぐに達磨仏の絵がありました。


私は坐をしていますので、達磨仏を尊敬しています。また、寺院内にあった雲龍図はそれは圧巻でした。








庭園を散策後北口を出て竹林の小道に入りますが外国人観光客が多かったですね。きっとガイドブックにあるんでしょう。竹林は風で,ザワザワゆれ、まるで風に龍が泳いでいるようでした。雲龍図の龍かしら?






人混みからか、娘の体調が少し心配になり、折り返して嵐山駅に向かいました。

京都駅につくと、あとひとつ行きたい神社があるというので、東山方面にある神社に行きます。


その神社はひとりでいくというので、私は娘を鳥居前で待っていました。御祭神の一柱が大物主神でした。三輪山の御祭神です。この神社は強い縁切りと縁結びの神社らしく、私と縁が切れたら嫌だから、、と験担ぎのようなことをいうので、娘の意向を尊重し、鳥居近くで待っていました。沢山の鳩が飛んできました。




平和だなと思いました。


最後は、三十三間堂にいきました。姉も妹も良かったというので、私が同じバス路線だし、行こうとリクエストしました。観音様の像が沢山あります三十三間堂の33って、三三だな。

津野山のミミの神様、観音様。と先日

教えてもらいました。

津野山の恵比寿様の御神木が千手観音みたいだと以前書いたことがありましたが、沢山の千手観音様の像が三十三間堂にはありました。



津野山神界 恵比寿様の御神木


何か形にあるもの、ご本尊にでもすがって祈りたいという人の思いや、この地に蓄積された祈り、人がもつ様々な思いや、どうしようもいかない思いを、ただ救いたいという優しい無形の思いで、仏像という形あるものをこえた、みえない菩薩様がおられる気がしました。

津野山の耳の神様のような優しい神様かもしれません。


娘に色々良かったね。行く予定していなかった三十三間堂を娘は気に入ったみたいです。

少しずつ。一歩一歩。

きっと大丈夫。

辛かった分大きく成長することでしょう。



娘と貴船神社へ

2024-03-18 05:40:00 | 神社仏閣

長女から行きたい神社が京都にあるから一緒に行かない?と言われ、どこ?と聞くと貴船神社といいます。


私は2回行ったことあるよーというと、

えっ、、そうなの!?


という感じでした。


どうして貴船なの?って聞くと、水に関係する神社に行きたくて調べてたら貴船神社がでてきたみたいです。


玄天の龍神様がいらっしゃるんだよ、、と以前教えてもらった事を娘に教えてあげました。


岐阜の伊奈波神社の黒龍大社に参拝し、次は玄天の龍神様かぁ、、行こう!と即決。


長女が、自分から行きたいというのは珍しいので、これはすごい事だなと2人で京都旅行に出かけました。


娘なりに何か思うことがあったのかもです。以前娘は大きな黒龍神がついているといわれたことがありました。兎に角、行きたいなら行って貴船の空気だけでもお腹いっぱい吸い込むといいなと思いました。




年頃の娘との旅ですが、娘は非常に静かなので、私もその静かさの中で神社参拝をしてきました。


貴船の奧宮まで参拝を終えると

お母さんつれてきてくれてありがとう

と言ってくれました。


私は、この神社には良い思い出があってね、、と以前2回来た時のことを色々話しました。




小雨が降る日でした。そんな中、奧宮を参拝した後、ひとつだけお母さんのお願いを聞いてくれる?と娘に頼みました。

貴船川に行っていい?と。。

いいよ。と、言ってくれたので、小雨降る中、河原に一緒におりていきました。




そこで、暫くいました。そして目を閉じて経をとなえました。傘にあたる雨音が弱くなったので、傘を閉じ、暫くすると少し光を感じました。その後何かの気配を感じたので、娘かなと思って目をあけたら、娘ではなく白鷺でした。


とても美しい。はじめは遠くにいましたが、2羽のうち、1羽はその後すぐに私の目の前を飛翔していきました。




そして、あとの1羽も近くに飛んできて、その1羽は美しい姿を近くで長い間見せてくれました。




その場には、私と娘しか居ませんでした。


白鷺も応援してくれてるよ。きっと色々大丈夫だよ、なんとかなるからね。。

ケセラセラ。。。


来て良かったね。


家族旅行ではなく、こうして2人だけで旅行したのは初めてでした。とても嬉しかったです。


貴船の神様、ありがとうございました。


織田信長公 岐阜と金華山

2024-03-03 06:28:00 | ひとりごと

伊奈波神社をあとにして、金華山のロープウェイで頂上に上り岐阜城に行ってきました。




ロープウェイ乗り場があります岐阜公園につくと、山内一豊と千代についての話しの石碑がありました。

お二人婚礼の地とあります。




さらには、板垣退助の銅像も。土佐出身のこれらの御方の銅像は、高知城にもあるので、岐阜城と高知城にある銅像が同じで驚きです。



板垣死すとも自由は死せず

ここは板垣退助遭難の地でした。
土佐は生誕の地。

金華山の頂上、岐阜城にて、織田信長公や義父、斎藤道三について様々な説明がありました。


岐阜は、織田信長公が井ノ口と呼ばれている地を岐阜に命名したようです。中国の故事にならったもので、その説明がこちら。






岐阜の「岐」は、周の文王の時代に「岐山(きざん)」という所に都を置き、そこを拠点にして殷の国を滅亡に追い込んだ縁起のいい地名とされており、「岐山」という山は西安近くに実在する山で、この山にちなんだということになっているみたいです。


岐阜の「阜」は、孔子の生誕地、曲阜から、とあります。中国の古代の賢者の教えを信長公は学んでいたようです。


周の文王と孔子は易経を作った賢人でもあります。


また、古代中国の古典『春秋左氏伝』には、「武の七つの目的を備えた者が天下を治めるにふさわしい」とあり、「七徳の武」として、「天下布武」があります。



この「天下布武」を、信長公は自身の印章に用いたようで、信長公のイメージから、「天下を武力で平定する」というような意味で捉えられがちですが、「武」とは本来、「戈(ほこ)」(武器)と「止」から成るため、戦いを止める意味です。


この徳を持っていた戦国大名は上杉謙信かなと私的には思っています。

美濃を制するものは天下を制すと戦国時代の頃は言っていたようですね。その美濃の金華山に信長公は居城を構えます。


また、応仁の乱で荒廃した地の復興を考え、楽市楽座の制度をしいたり、要塞としての城の機能に、美意識を追加して魅せる城を造りました。
稲葉山を金華山と名前を変え、信長がつくった城は、極楽の理想郷に相応しくキリスト教を布教にきた外国人達を魅了したようです。


再建された岐阜城の屋上の天井図には、麒麟が描かれていました。信長公を描いたドラマ「麒麟がくる」を私は観ていませんが、、信長は、とても大胆で行動力のある御方だったんだろうなぁ、と感じました。



屋上階からは、鵜飼で有名な長良川を見下ろします。


昔はもっと蛇行していたのかもですね。



飼は古くから、人と鵜が意志を疎通させながら魚を捕る姿も珍重されており、信長公は、鮎を捕る鵜の使い手に、「鵜匠」の名を与え、鵜飼を保護しました。


とあります。


信長公の妻濃姫の父、斎藤道三を演じたもっくんが居ましたので一緒に写真を撮ってきました。





ミーハーおばさんですみません。。笑

この金華山を歩いてわかったのですが、全てチャートの固い岩盤で出来ています。





気づかれないほどの片隅に、大金龍大神神社とありました。
背後にチャートのゴツゴツ感!

また、先日紹介しました、金華山山中の旧伊奈波神社がありました丸山は、


信長公の義父、斎藤道三が今の場所に伊奈波神社を移したのでした。こちらも、チャートの事が紹介されていました。





金華山のチャートが、南半球の海底岩石とありますが、まるで、龍体がこねこねして、やっとこの地に落ち着き海底から地上に浮き彫りになって固まったかのようにも感じます。

こういう磁場はエネルギーが高いのかもしれませんね。




江戸時代に生きた白隠禅師も、この金華山の麓の瑞雲寺で坐禅修行をしています。

白隠禅師は禅僧の中でも、最近とても気になっています。

また近々紹介してみたいと思います。




伊奈波神社 in 岐阜

2024-03-01 06:35:00 | 神社仏閣

思いつきで岐阜まで一人バスに乗っていきました。伊奈波神社にあります、黒龍神社に参拝したくなり、気持ちにまかせ、家族に明日帰るからと言って、夜中に家を出ました。


家族の都合がなかなか合わないから、一人で行ってこよう、、と思い立ったらすぐ夜行バスを予約していました。


翌朝早朝岐阜に到着。岐阜は、数年前、白山中居神社を参拝して以来です。郡上の山奥にあります白山中居神社は3月末でも雪深かったですが、いなば神社は岐阜駅から徒歩で行けますし、そんなに寒くは無かったです。


なぜ急に行きたくなったのかはさておき、黒龍神は、私のイメージでは地龍神です。人が生まれるずっと前から、大地を形成した、そんな神様。大地が汚され削られたりすると全身で痛みを受けたりするのかもしれません。


大地は人間の罪の蓄積を引き受け耐えきれなくなり揺れるのかも。まるで、生きた龍体が溜まった膿に悶え悲鳴をあげるごとく。。


大地に人が落とした罪を引き受ける神様、そんなイメージが黒龍神にあります。お陰様、気づかれないお働きをする神様のイメージです。大地は生きていて、人はすまわせてもらえています。落とすなら感謝の気を。


岐阜の白山中居神社も、黒龍神と縁深い地のようでした。伊奈波神社に祀られます黒龍大神も、ずっとこの地にいらっしゃる神様のようです。






早朝でしたから、人もほとんど居なくて静かな空間でした。


伊奈波神社と黒龍神社だけ参拝する予定でしたが、これですぐ帰るのもなぁ、、と調べていると、伊奈波神社の背後にある金華山ロープウェイで金華山頂上に行けることがわかりました。

折角きたから、山の上にいってみることにしました。


金華山の山中の丸山に、実は旧伊奈波神社はあったようです。行って分かったことですが、金華山は昔は稲葉山という名前でした。それで、「伊奈波」神社なんだ!と急に親近感があがります。




母の実家の高知県高岡郡津野町にあります稲葉洞は、龍王洞で、昔から白龍神と黒龍神がおられるという逸話があり、同じ「稲葉」で、さらには、黒龍神!だと思ったわけです。


そして、金華山の登山道に、旧伊奈波神社跡地である丸山があるのをロープウェイ乗り場でみつけて、歩いて山道を登っていったのでした。


麓から15分くらい歩いたところでしょうか、そこには、烏帽子岩があり、昔のような社はないもののお祀りはこの地で継続されているようでした。そして、地質は龍体のようでした。

南半球海底の岩石層ってすごいなと思いました。地球創生🌏を感じました。金華山は、チャート、この岩石層で出来た山でした。





丸山到着です。山中、急に開けたゴツゴツした地の周りに生い茂る森を、ざわざわと何かが動く音がしました。


可愛いリス達が沢山🐿️駆け回り、小鳥が私の目の前を飛び近くにとまってくれました。この太古からの祈りの地にひとりでしたので、神社跡地にすわり、この小動物にとても癒されました。






帰りの新幹線の駅へむかう電車の中で、なんと、、ちりゅう、、という地名が案内板にでてきました。




黒龍神様、地龍神様、伊奈波神社の神様、参拝させていただきありがとうございました。🐉