大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

坂本八幡宮 令和と梅

2022-04-30 06:06:00 | 神社仏閣

昨日の続きです


サカのつく神社ってないかなと調べたら、真っ先に、福岡県の坂本八幡宮(さかもとはちまんぐう)がありました。


この神社、梅の花を調べていた時に見つけていました。


元号「令和」のゆかりの地とされる神社です。本地区の守り神として、地元の方々に守られ、また、新元号「令和」の起源となった、「梅花の宴」が行われた大伴旅人邸跡の候補地の1つです。


調べものの点と点が繋がったりすると、嬉しかったりします。


太宰府といえば、菅原道真公。


無実の言いがかりにより左遷が決まった道真公。悔しかったでしょうね。新幹線も飛行機もない時代。縁も縁も無い地に左遷。


幼少時から家の庭にあり親しんできた梅に、

「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春な忘れそ」


と詠って都を去りました。


道真公が太宰府に到着すると、一夜のうちに梅が都から飛んできたとの伝説があります。


梅と令和。


梅については


三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ。


出口直さんが国常立神の神懸かりをしたときのお話に出てきます。


なお(直)さんの筆先に「王仁三郎こそみろく大神」という啓示されたという出口王仁三郎さん。昨年知った方ですが、凄い大霊格者のようです。王仁三郎さんが梅に関して何か言ってないかな、、と調べていると、がありました。


王仁三郎さんの和歌より


「みな人の 眠りにつける 真夜中に 醒めよと来なく 山ほととぎす」


「梅の花 一度に開く 時来ぬと 叫び給いし 御祖畏し(みおやかしこし)」



また、霊界物語より↓↓


梅と桜


梅うめは支那しな(※)から渡わたって来きたものだといふ者ものがあるが、さうではなく、昔から日本にあるのである。もつとも信濃梅、信濃柿といふのは支那から渡わたつて来きたもので、支那の梅、支那の柿かきの意味いみである。


さくらでも日本の桜さくらは支那では咲さかない。又また土地の関係で京都から東へ行と桜は白くなり西にしへ行ほど赤あかくなる。


※注)支那は、紀元前3世紀末、中国を統一した(しん)王朝の秦の音がチーナChinaとかチンThinとして西方に伝えられたことによるという。なお、日本のアジア地域への侵略過程で、侵略を正当化する理由の一つとしてその地域の住民を劣等視したことなどにより、支那ということばに蔑視(べっし)の意味はないが、日本人が使用すると蔑称的性格をもち、また中国人も侮蔑(ぶべつ)感を強くもつため、第二次大戦後は使用を避ける人が多くなっている。(ウィキペディアより)



出口なおさんと、王仁三郎さんがおっしゃる、梅の花開くとは、


日本人が大和魂を発揮し、

心の眼が開くことなのかなぁと、


生きとし生ける全てと和すること、


また、さらには霊とも和して、


良い塩梅へ霊主体従の姿へ

変化することかもかなぁと思いました。



日の出の神エビス神と梅の花
荏原神社  





サカ族と鹿

2022-04-29 06:22:00 | 神話・物語・本から

昨日の続きです。


サカ族は、おそらく日本に海を渡ってきて、鹿をトーテムにしていたと考えます。


中国では、塞とよばれていましたが、古代でも、サカは塞の働き、境界を司るものとしての特性もあります。


熊を倒した金太郎のお話があります。神奈川県の足柄山田金時です。力持ちの勇敢な子ですね!熊を倒しますが、相撲で勝ち、マサカリ(武器)は使いません。実は山の動物とは仲良しなんです。







足柄山の別のお話が古事記にもでてきます。足柄之本神(あしがらのさかもとのかみ)です。


足柄神社という神社が元々は足柄山にあったようで、矢倉明神社とも云い「の神」、「の神」として恐れられ信仰されていたようです。


この坂(足柄峠)より東を「坂東」と言うようになったともあります。


ヤマトタケルの東征でも足柄山の鹿の話が出てきます。


景行天皇の時、日本武尊が蝦夷討伐のあと、大和へ帰ろうとまた碓氷峠の足柄山坂本に着いた時、白い鹿を誤って殺したことから、状況が悪化しヤマトタケルは致命傷をおう話です。


東へのをこえて蝦夷討伐後に、東の鹿に会い致命傷を負います。因果応報なのか、サカ、シカ、坂、鹿、サカ、シカ。。。境、鹿。。。


何でも、境や峠を越えたら、良くなったり、逆になったり。坂は、キーポイント。心は境に随って、転じると言われています。



群馬と長野(信濃)の佐久(サク)あたりの境(サカい)にも、同様の碓氷峠という地名があり、坂東と信濃の境の難所となっているみたいです。碓氷は、薄い氷。薄氷を踏むみたいにギリギリなイメージを地名に感じます。また、佐久は大祓祝詞でも祓いの筆頭の神、瀬織津姫のところで出てきます。


信濃にも、国譲りを無理やり認めさせた抵抗勢力、タケミナカタ神がいたから、境界を意味する似た地名がついたのかなぁと勝手な空想をします。


古代日本の勢力を分ける境(サカイ)のひとつは、

東北の坂東からさらに北上した蝦夷(出雲族が逃れた末裔)だと思っています。

もうひとつは

信濃かな。

他にもありそうですが。。


ところで、


あの世とこの世の境(サカイ)にも、

『さか』が出てきます。


サカには、黄泉比良坂(よもつひらさか)というのもあります。日本神話において、生者の住む現世と死者の住む他界(黄泉)との境目にあるとされる坂、または境界場所。


また、ヤマトタケルの話の中に、足柄の碓氷の坂本より東を「吾妻」アヅマ、西を「河内」と呼んだともあります。


アヅマの「ア」の阿には、離れて入り組んだという意味があり、アヅマは、離れた妻?となるかも。。笑


河内は、カワウチだけでなくカナイ、家の内の妻。の響きも。


男の人にとって、妻は自分のテリトリー、女心が解れば河内(家内)?わからないと、アヅマ、、なんてね。笑


単なる言葉遊びです。


サカ族からはじまり、鹿や境、塞の神へ、途中から古代史の謎より、日本語の言葉遊びになってしまいました。(o^^o)


塞の神は、古代縄文の神であり、交通の神、性の神、夫婦の神、さえぎる神、道祖神、、などなど、色んな意味を持ちあわせますが、


自分の中にある見えない境、境界に折り合いをつけることを目標にする神かもとも思います。


自己を肯定出来ない場合は、自分と向き合い折り合いをつけ、


夫婦や家族と喧嘩したりしてしまう場合は、そこに折り合いをつけ、


他人と仲良くできない場合は、他人と向き合い折り合いをつけ、


他国や隣国と仲良く出来ない場合は、そこと向き合い折り合いをつける。


神話の黄泉比良坂の境は、

この世とあの世を、伊弉諾様と伊奘冉様をわけました。


伊弉諾様は、黄泉比良坂でイザナミ様に追いつかれてしまい、千引石で「坂」を塞ぎ、妻に「ことど」を渡して追い返し、無事に葦原中国に戻ることができました。(ことどとは、配偶者と縁を切る呪言


黄泉の国から戻ったイザナギ様は筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原というところへ赴き、そこで禊ぎをするために、身に着けていた物を次々と投げ棄てていきました。すると、それらの物から次々と神が成っていきました。

イザナギ様が、今は亡き愛する妻、代わってしまったイザナミ様を思う心と折り合いをつけたのでしょうか。


人と人の関係でも合わなくなることは、誰しもあります。

その場合は、心に折り合いをつけることが、前に進むきっかけになりそうです。


ところで、鹿🦌はお釈迦様の説法を初めて聞きます。




お釈迦様は鹿にどんなことを優しく話されたのでしょうか。鹿の心にわかるように心でお話しされたんですね。


仲良くしましょうね、、

境を緩め

角は引っ込め

和しましょうね、、


なんて事かもしれませんね🤭







鹿について

2022-04-28 05:11:00 | 神仏について
タケミカヅチ神は雷の神、地震(ナマズ)を抑えるで、鹿島神宮の御祭神ですね。鯰(ナマズ)を眷属にするタケミナカタ神と相撲をとり、勝ちます。


どこで相撲をとったか?は、鯰をトーテムにした神社の多い九州のミナカタ(南方)の方かななんて想像します。宗像(ムナカタ)神社なんかもあるし。そして、タケミナカタ神は諏訪大社へ。


相撲は、武器ではなく裸でたたかい、輪の外に出たら負け、神事ですね。武器で脅すのは卑怯かなと。。


勝った方のタケミカヅチ神が御祭神の茨城県の鹿島神宮には鹿がいます。

鹿は昔から神聖な生き物とされており、神の使い=神鹿(しんろく)と呼ばれています。その為、鹿の角は魔除けとしても珍重されてきましたし、私の趣味ではないですが、鹿の首の剥製をインテリアにして飾る方もいます。


鹿について、面白い話があります。紀元前 11世紀から紀元初期,中央アジアにいたイラン系の遊牧種族にサカという名称の一族がいたようです。







(サイ)はサカの中国名であり、境(サカイ)はサカのギリシアでの名です。

中国では塞,または、釈という字でも表わされたサカ族は、鹿をトーテムにしていたようです。



サカ族



サカ族に釈尊の釈の当て字がなされるように、古代インドの釈迦族に繋がると言われています。確かに、シャカ族王子であるお釈迦様は、悟りを開いた後の最初の説法を『鹿野園』にてしています。








また、モンゴル帝国の建国神話で蒼き狼と白き牝鹿が結婚してモンゴル人の祖先が誕生したというのもあるようです。






全然時代は違うけど、白鹿は騎馬民族と結婚するミーユエのイメージ(o^^o)



これは鹿をトーテムとするサカ族が狼(山犬)をトーテムとする北狄テュルクに乗馬技術を伝えたことで、モンゴル高原に遊牧騎馬民族が誕生したのだという方もいます。


狼をご眷属とするチュルクについては、三峯神社参拝記で少し書いています。


サカ族は、ペルシア、インド、中国あたりを遊牧しながら、古代において、鹿をシンボルとして遊牧していた一族と考えます。


中国では、サカ一族を塞とよぶようですが、日本も縄文時代には塞の神を信仰していますので、海を渡ってきた一族の中に、鹿をトーテムとするサカ一族がいたのかもしれません。





サカ族との繋がりがあるかはわかりませんが、古代イスラエル12氏族のひとつにナフタリ族という一族もおり、「鹿」をトーテム(象徴)としていました。

ナフタリ族が来日したという伝承は無いようですが、鹿のトーテムを守りながら混血したのかもしれません。中国東北部の満州を拠点とした扶余族(ふよぞく)が神聖視していた動物が「鹿」なのだそうです。

いまでは、国の海域を侵さない取り決めがあります。(たまに破る国はありますが、、)

日本は他国と陸続きではないから、取り決めがない昔も、侵略は他国ほどありませんでした。しかし、海は要塞ではありながらも絶対ではなかったのです。


荒波や危険をおかしてのり超え辿り着いたもののみがこれる場所が古代、東の最果ての地、日本。東に神国あり、、。大きな和の国、、だったわけです。


その地へ、海難の危険をおかしてでも辿りつこうとする民には、国で覇者争いに負けたような一族もあり、新天地に希望を託した一族もいたかもです。


サカ族のトーテム、シカにちなんでかはわかりませんが、九州北部には、シカにちなんだ地名があります。福岡の志賀島(シカ島)でAD57年頃の中国から送られた金印が発見されています。


鹿で有名な神社は奈良の春日大社や鹿島神宮です。春日という地名は、実は福岡県にもありますので、九州にサカ族が入ってきて、地名などにつけ、その後全国に散らばって、鹿をトーテムにした名残なのかなとも勝手な空想を膨らませます。


役小角を助けた渡来人の偉い自覚という、飛鳥寺のお坊さんがいました。「鹿」の杖を持っています。

役小角の御魂に自分の尊敬する偉い古代の人物を見ます。神の国、争いのない国、饒速日命が創り上げた神の国の再建を出来るよう、飛鳥寺をでて、役小角に沢山教えます。


役小角は加茂族で、八咫烏とかと縁があります。鹿をトーテムとする一族は、饒速日命の御魂を通して融和する仲間だったのかなぁ思いました。

自覚は、役小角に、我らが王(饒速日命)の生まれ変わり、といいます。饒速日命は、素戔嗚尊のお子様で三輪山の御神体ではないかと思っています。


古代には、様々な種族がトーテムを身につけて、仲間かどうかを見分けたりしてたのかもです。


さて、さて、色んなトーテムがありますが、

鹿と鯰と、八咫烏、

鰐族もいました。

蛇や狼なども。


皆んな全ての生命は神様の分け御霊をお持ちです。人間だけでなく動物も、和することは、動植物が生きる野生の環境を守る意識にも繋がるのかなぁと思います。


その反面、


そもそも、人と人が会えばあらそうのが性ならば、

老子様がおっしゃるように、

で国を囲み、合うものだけとしか交わらない方が命を守るには良いのかもしれないとさえ思う現実を、今は見せられているようにも思います。


武器を持つものだけが生き残る?

もはや核戦争がおこれば誰も生き残ることはないです。


武器を持って自分の国だけ生きる?


相手が核のボタンを押さないか

ビクビクしながら、

押したら、こっちも押してやる?

そんなマインドで生きることが

本当に幸せだろうか。


沢山のお陰様により

生かされていたことに気づくと、

全てが有難いです。


世界が和する、

人が殺しあわない世界、

歴史の痛みを繰り返さない、、

そんな世界がいつくるのかなぁ、、と思ってしまいます。


さて、鹿の聖書のお言葉を再度書いておきます。クリスチャンではないですが。

鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。わたしの魂はあなたを慕いあえぎます。

鹿は喉が渇いたら感覚を研ぎ澄ませ水を探し出すそうです。
主に対する飢え渇きを潤すべく、鹿のように神を求めなさいということ?
人はなぜ、渇きあえぐのか??
悔い改めるなら、潤いは与えられるのではないか。。

融和と分離、境目って何なんだろう。

鹿のような感覚で潤う水を探す。

燃え盛る炎を鎮火させ
戦いを停めるには、
静かに頭を冷やして
悔い改めることからかもしれないなぁ
と思ったりしました。


つづく



鯰について パート3

2022-04-27 05:40:00 | 神仏について
昨日の続きです。

諏訪大社の鹿の神事について書いています。

生贄を最初にしたのは、エジプト王メネス(ナルメルか?)といわれています。鯰を意味するナルメルは、戦争や贅沢な生活様式とともに生贄の習慣を作ったとあります。

旧約聖書の中でのモーセのエジプト脱出の話しがあります。出エジプトという大事件で、モーゼ が海を割る話しです。




その流れはこうです。アブラハムの子には、生贄にされかけたイサクがいます。そのイサクの子がヤコブ。またその子であるヨセフの時代にイスラエル人はエジプトに移住します。
その時は、エジプト王の厚遇を得て栄えますが、王朝が代わって迫害が始まります。
イスラエル人たちはモーセに率いられてエジプトを脱走し、40年間荒野を放浪して約束の地であるカナンに辿りついたというものです。
エジプトを出る時、海を割るわけです。。放浪の末辿り着いたのが約束の地カナンです。カナンがどこなのか?それは、東の国らしいです。日本かも!?

つまり、エジプト第一代王朝創始者、ナルメル(鯰の意味)が生贄の習慣をつくります。その地に移り住んだのがイスラエル人。
アブラハムはイサクを自分が信じる神にさしだそうとしたことでエジプトでなされていた生贄の習慣を断った御方。
時系列はわかりませんが、その後イスラエル人は、迫害されエジプトから出る。。という流れが垣間見えました。

エジプトではじまった、人身供養。奴隷の子なら良いのか?
自分の子なら差し出せるのか?
その痛みを神様は試練としてアブラハムとイサクに試されたのでしょうか。
真相はわかりません。。

ところで、神事にささげるナマモノは、確かに生贄の意味があり、人柱として若い娘が嵐を鎮めるために差し出されたり神話でもヤマトタケルの妻は海に飛び込み嵐を鎮めようとします。

古代祭祀では人を捧げることがあったようです。


炭焼き小五郎の話しより


生贄が動物に置き換えられ、今は、剥製になったり、時代の流れはあります。九州の鬼八の猪をお供えするのも太古からの神事です。





今なお続くそれら神事には想像を絶する複雑なものが絡まっている気さえします。

鹿と鯰をとってもそれぞれに、日本だけにとどまらない宗教を超えた、様々な糸が絡まりあった深い意味がありそうです。


神事や伝統とはそのようなもので、今を生きる人が意味などわからなくても続けることに意味がありそうです。社や神事や祈りを続けること、御神域を汚さないこと、大切ですね。


それぞれの眷属神を、踏みつけたり、お供えしたり。


陰陽のような、勝ち負けのような、戦いや差別の歴史もそこに感じ、祈り続けることにより絡まった糸や思いを溶かすのかもしれません。


出雲に皆が集まる神奈月すら、タケミナカタ神は信濃から出ないのです。


古代渡来人は、おそらく命がけで海を渡って日本にきています。その地で、民と交わり子孫を増やして村を作ったのでしょう。

しかし、また、どこからか違う一族との戦いを強いられる環境が太古はあったのかもですね。


そして、タケミナカタ神が自分の住んでいたところから追い出された時のお気持ちがどれほどのものか、、と想像してしまいます。




鯰と地震は昔から結びつけられます。

要石が鹿島にあって地震をおさえている?かもしれませんが、


もしかしたら、人の土地の神様への純粋な祈りと感謝が、要石の役割を果たすようにも思います。


神社参拝に、


パワーください、

お金持ちにしてください、

合格させてください、

〇〇をお願いします、、


などなど自分のことを祈願するのは、

それは自分の努力かなと、、思っています。そんな私も昔は祈ってましたが。


今は、そういったお陰信仰よりも、


神社参拝の醍醐味命を繋いでくださった太古からの存在に思いを馳せる事ができることにある気がしてます。


神社には自然があり、はるかに人間の寿命をこえた木々が育ち、太古から坐します磐座があります。山そのものが御神体のような神社からは、数億年の地球創世を感じます。刹那に生きる人の欲の小ささを思います。


御祭神や伝承やご眷属神を調べると、継続してきたもの、存在し続けるものの中に、実際、様々な思いをもって生きただろう太古の人々を重ね、勝手に空想できるから楽しいです。


祈りとは敬虔なもの。

心が時空を超えて届けと思います。

恨みや悲しみならば溶けてほしい。


信濃には、天岩戸の扉が投げられて飛んできた戸隠神社もあり、戸隠神社の山頂には、岩戸を放り投げた力持ちの神様と、土着の九頭龍神を祀られたお宮があります。龍神は、地球を練り固めお造りになった存在だと思っています。



非常に信濃という場所は神話と結びつく興味深い場所だなと思います。大切な今は亡き友が長野出身です。


久しぶりに気になる長野にゴールデンウィークに行ってみようかな。。


混むかな?笑






鯰について パート2

2022-04-26 05:32:00 | 神仏について

天津神タケミカヅチ神が、国津神タケミナカタ神と相撲をとり、タケミナカタ神は負けて諏訪に行く話があります。

伝承ではその折に大鯰が現れて、タケミナカタ神を背に乗せて対岸まで渡したとされています。


それ故、信濃には、国譲りに納得せずに相撲をして力で負けてしまった大国主命の息子タケミナカタ神は諏訪大社にいます。タケミナカタ神は相撲の神様で、ご眷属は鯰です。


国譲りを怒っていたと思います。神事の相撲は、輪のなかに塩をまき(清め)四股を踏み(邪気を踏む)と言われています。心を清め正々堂々裸一貫で戦うのです。武器がない潔い戦いです。




ところで、力相撲に勝ち鯰を踏みつけた神様が、鹿島神宮にいるタケミカヅチ神です。


鹿島神宮



タケミカヅチ神をお祀りする鹿島神宮には、大鯰(地震)を抑える要石がありました。


鹿は、タケミカヅチ神のお祀りされています鹿島神宮のご眷属です。



鹿島神宮には沢山の生きた鹿もいました。

この鯰と鹿に関して、古代エジプトや旧約聖書の話しと、諏訪大社にのこる神事について書いてみたいと思います。

以前、古代のエジプトの神様が気になり調べていました。そのエジプトにナルメルという御方がおり、ナルメルの名の意味は「荒れ狂うナマズ」、怒る、苦しむ、悪い、脅かす、刺すという意味があるようです。ナルメルは、紀元前31西紀のエジプト第一王朝の創始者のようで、メネスと同一人物とも言われています。年代は物凄い昔です。。




ナマズには、地中に長く潜んで、雨が降って沼になるまで待つという話があるようですが、水を感じて動き出すナマズは、まさに再生復活の象徴だと考えられていたようです。

ナイル川のヌンの神 は最初の一滴の水の神 でしたが、そこに生命が住めるようになるまで待ったのがナマズであり、初代エジプト王、ナルメルなのかなと思いました。


ところで、ナマズをご眷属神とするタケミナカタ神を祀る信濃の諏訪大社は、神事に鹿の首を75頭も捧げるものがあるようです。




今は剥製のようです、、が、、この神事は特殊神饌として昔は七十五頭の鹿が献じられたこともあり、中に必ず耳の裂けた鹿があって高野の「耳裂鹿」(ミサクチ)と言われています。

この神事の名前、ミサクチ神事。耳+裂+鹿。。少し怖いですね。
信濃は精霊信仰として、ミシャクジ信仰もあるようです。以前紹介した時はわかりませんでしたが、この響きから、旧約聖書との関係、アブラハムが生贄としてイサクを差し出そうとした話しと繋げると、言葉の響きから、「御+イサク+血」かもしれません。

守屋山は諏訪市にある山ですが、妻と長年不妊でやっと授かった愛すべき一人息子イサクをアブラハムが生贄に捧げようとしたのもモリヤ山です。サク(佐久)という地名も信濃にはあります。


アブラハムがイサクに剣をつこうとした瞬間、神に許されて茂みに角を絡ませた雄羊がいたので、彼はそれをイサクの代わりに神に捧げたとあります。






信仰の強さをはかられ、アブラハムはこの試練を乗り越えたことにより、模範的な信仰者としてユダヤ教徒キリスト教徒、並びにイスラム教徒によって讃えられたとされているようです。

この話しは、イスラエル民族人身御供の習慣を絶たせるためになされた試練という解釈もあるようです。




羊は、吉祥や、善の漢字の一部にもなっています。神と繋がります。

諏訪大社の神事は羊ではなく鹿ですが、聖書では、鹿も羊もどちらも神の使いであり、また、角があります。そもそも、羊は百済からもたらされるまでもとは日本にいなかったですし。

鹿も聖書のお言葉にでてきます。

鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。わたしの魂はあなたを慕いあえぎます。

鹿は喉が渇いたら感覚を研ぎ澄ませ水を探し出すそうです。主に対する飢え渇きを潤すべく、鹿のように神を求めなさいということでしょうか。





もののけ姫より





つづく