色んな宗教がありますが、異教同根だと私は思っています。
教祖経典の無い日本神道、自然の中に遍く神をみる道は、自分に合っている気がします。
とはいえ、天皇崇拝や右翼のように捉えられると困ります。自神の道として、廃れたような、しかし、自然に還ろう、自然と共にある神社を参拝するのが好きです。
右翼も左翼もなければ、鳥は空を飛べません。
籠目,籠目、籠の中の鳥も、竹を取って上げると、龍になります。龍は、籠の中から六角形(六芒星)の穴から点(天)と繋がる日をじっと目で観ています。声なき声を聴いています。魂の叫びを。
繋がる日が来たら竹をサッと取って龍🐉は空を飛び、空を飛んだら鳳凰🐦🔥かな。
ハンセン病問題の全面解決に向けて動くこと、闘うことは、私の中では神の道と同じです。
戦いではありません。
虐げられた神々が自神を奮い立たせ、針の筵の中から立ち上がったらい予防法違憲国賠訴訟の闘いは、人間の残酷さに、無関心に、鎮まるわけにはいかない神々が、無心にして武神となった姿だと感じます。
ハンセン病療養所では、思想でいうと右も左もいたようですが、ハンセン病問題は超党派です。また、キリスト教、仏教、天理教、無宗教、創価学会、などなど、様々な宗教の方もいたようですが、同じ血がながれる人として宗教の垣根を超えて立ち上がった闘いがらい予防法違憲国賠訴訟です。
私にとっては神の道にみえます。
あらゆる差別から、差を取る。弥勒の世が
皆が悟る(差取る)世なら、
自身の中にある差別意識をひとつひと取る必要を感じています。
神と繋がっているという方々がおられます。それなら、そんな方々こそ、他者の痛みに無関心でいられないと思うんです。
らい予防法違憲国賠訴訟動画③
亡き夫と共に闘った裁判 山口トキさん。
是非ご覧下さい
仁山智水。
彼は、身をもって、挑み、すべてを明らかにされました。
大山とは、大愛。人を愛し、尚愛してやまない御魂。
彼は、自ら、生まれる前に、その苦難を受難された御魂。
人は知らないが、救神とは、自らイエスキリストの如く、へりくだり、最低に、堕ちながら、自らの魂を損なっても、愛一筋に輝き発揮する存在なり。
ああ、かむながらたまちはへませ。
コメントありがとうございます。
私にとっては、父であり、神である方です。気迫と存在感に圧倒されることもありますが、私のような者にも優しく声をかけてくださいます。
かむながらたまちはえませ。
養女めぐみさんは、富士山の美しい観音さまとなって、ご夫妻を見守っておられます。
また、色々教えてくださいね。コメントありがとうございました。✨✨✨