動画に対するコメントを先日いただきました。
なるほどなぁと思いましたから、一部紹介します。
ハンセン病に対して、因果律を審神しても、それほどの刧劫は見えない。
(あき注※ 因果関係がない、もしくは少ないということでしょう、、過去に悪い事をしたからこの病になったわけではない)
神は人を幸せにするために、多くの技能を人に与えた。しかし、反面、多くの人を不幸せにするために(逆行からの神化)多くの因果律に歪みをもたらせた。
ハンセン病に対して、神唯一の愛は、天使が自らを犠牲にして、世の刧劫に堕ちる覚悟があり、神はその上での始末に、上乗を約束されている。
(あき注※地上で最大限の試練に立ち向かった天使達は因果律に支配されたこの世を卒業することは約束されており、それは人間の最大目標でもあり、ブッダやキリストと同じようになるということ、、かなと思っています)
勝手な注釈はあき、自らしました。
コメントは一部のみですが、そうかもな、、と思いながら、ふと飯田史彦先生の著書の言葉を思い出していました。
飯田先生が瀕死の状態になった時に光の存在と対話した内容です。善因善果、悪因悪果に支配された世界は順調な学びの場であることを述べたあとの所です。紹介します。↓
精神宇宙の真理......その上に、それを超える、さらなる真理があったのですね・・・・・
それは、精神宇宙が、真に自らを成長させるために、自らに対して仕込んだ、総仕上げのような巧妙な真理・・・・・・いわば、「最終的な真理』つまり、
「自ら予定した順調な学びを、強制的かつ自動的にかき乱すようなしくみを、わざと自らの内部に埋め込んでおくことによって、その予定外の混乱状態を通じた極限の学びを、自らに強いておいた」ということなのです。
「生まれる前に計画しておいた人生が、予定通りに順調に展開していき、予定通りの喜怒哀楽を通じて学ぶ」というだけでは、その範囲の学びだけに、留まってしまう。
それに対して、「生まれる前に計画しておいた人生ではあるが、実際には、自動かく乱システムが強制的に作動し、予定外の出来事が生じたりすることにより、大いに混乱してしまう」という体験をする方が、学びの内容や成長度は、はるかに大きくなることでしょう。
だからこそ、精神宇宙は、物質宇宙という学びの場の中に、「時間」と「空間」の観念を創造するにあたり、わざと、「時間のひずみ」と「空間のゆがみ」というしくみを、用意しておいたのです。
そのため、その物質世界で生きる人間の人生にも、「思わぬ時に、まったく理不尽なことが起きてしまう」という現象が少なからず生じてくる、というわけなのです」
飯田先生は、下記の文章で死という言葉を使っていましたが、そこを病(ハンセン病)におきかえてみます。
したがって、人生では、「予定外の病」もあり得るのです。その病から、何の意味も感じられないような、あまりにも悲しく空しい病が•・・・・その病が、それほどまでに悲しく空しいからこそ、その病にかかわる人々や、その病について知った人々が、より深く心揺さぶられ、より大きな学びを得ることのできるような病が…・・・・・。
そう、その病は、まさに、「一見すると意味の見出せない病だからこそ、その病がもたらす深い絶望感、虚無感、喪失感を通じて、人々に、より大きな学びの機会を与えることができる」という、これ以上ないほどの逆説的な価値を持っているわけです。
その瞬間、先ほどまで対話してくださっていた、ほのかな紅色の光が、ふたたび、私に語りかけてくださいました。
光「物質世界における学びの初期段階にある魂は、生まれる前に計画した予定通りに、順調に人生が展開していきます。時間や空前のいたずらによって生じる、あまりにも悲しく空しい試練には、まだ、とても立ち向かえないからです。したがって、すでに充分な学びを積んだ魂にだけ、予定外の試練が生じるようになっているのだということを、忘れないようにしてください。そして、「だからこそ、それほどの試練に直面した魂は、誇りを持って、その試練に立ち向かうべきなのだ」ということを、人間として生きている魂たちに、どうか伝えてください」