大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

因果律を超越した病 ツインソウル、死にゆく私が体験した奇跡より

2024-12-30 19:02:00 | 神話・物語・本から

動画に対するコメントを先日いただきました。

なるほどなぁと思いましたから、一部紹介します。


ハンセン病に対して、因果律を審神しても、それほどの刧劫は見えない。

(あき注※ 因果関係がない、もしくは少ないということでしょう、、過去に悪い事をしたからこの病になったわけではない)


神は人を幸せにするために、多くの技能を人に与えた。しかし、反面、多くの人を不幸せにするために(逆行からの神化)多くの因果律に歪みをもたらせた。


ハンセン病に対して、神唯一の愛は、天使が自らを犠牲にして、世の刧劫に堕ちる覚悟があり、神はその上での始末に、上乗を約束されている。


(あき注※地上で最大限の試練に立ち向かった天使達は因果律に支配されたこの世を卒業することは約束されており、それは人間の最大目標でもあり、ブッダやキリストと同じようになるということ、、かなと思っています)


勝手な注釈はあき、自らしました。


コメントは一部のみですが、そうかもな、、と思いながら、ふと飯田史彦先生の著書の言葉を思い出していました。

飯田先生が瀕死の状態になった時に光の存在と対話した内容です。善因善果、悪因悪果に支配された世界は順調な学びの場であることを述べたあとの所です。紹介します。↓


精神宇宙の真理......その上に、それを超える、さらなる真理があったのですね・・・・・

それは、精神宇宙が、真に自らを成長させるために、自らに対して仕込んだ、総仕上げのような巧妙な真理・・・・・・いわば、「最終的な真理』つまり、

「自ら予定した順調な学びを、強制的かつ自動的にかき乱すようなしくみを、わざと自らの内部に埋め込んでおくことによって、その予定外の混乱状態を通じた極限の学びを、自らに強いておいた」ということなのです。


「生まれる前に計画しておいた人生が、予定通りに順調に展開していき、予定通りの喜怒哀楽を通じて学ぶ」というだけでは、その範囲の学びだけに、留まってしまう。

それに対して、「生まれる前に計画しておいた人生ではあるが、実際には、自動かく乱システムが強制的に作動し、予定外の出来事が生じたりすることにより、大いに混乱してしまう」という体験をする方が、学びの内容や成長度は、はるかに大きくなることでしょう。


だからこそ、精神宇宙は、物質宇宙という学びの場の中に、「時間」と「空間」の観念を創造するにあたり、わざと、「時間のひずみ」と「空間のゆがみ」というしくみを、用意しておいたのです。


そのため、その物質世界で生きる人間の人生にも、「思わぬ時に、まったく理不尽なことが起きてしまう」という現象が少なからず生じてくる、というわけなのです」


飯田先生は、下記の文章で死という言葉を使っていましたが、そこを病(ハンセン病)におきかえてみます。


したがって、人生では、「予定外の病」もあり得るのです。その病から、何の意味も感じられないような、あまりにも悲しく空しい病が•・・・・その病が、それほどまでに悲しく空しいからこそ、その病にかかわる人々や、その病について知った人々が、より深く心揺さぶられ、より大きな学びを得ることのできるような病が…・・・・・。


そう、その病は、まさに、「一見すると意味の見出せない病だからこそ、その病がもたらす深い絶望感、虚無感、喪失感を通じて、人々に、より大きな学びの機会を与えることができる」という、これ以上ないほどの逆説的な価値を持っているわけです。


その瞬間、先ほどまで対話してくださっていた、ほのかな紅色の光が、ふたたび、私に語りかけてくださいました。


光「物質世界における学びの初期段階にある魂は、生まれる前に計画した予定通りに、順調に人生が展開していきます。時間や空前のいたずらによって生じる、あまりにも悲しく空しい試練には、まだ、とても立ち向かえないからです。したがって、すでに充分な学びを積んだ魂にだけ、予定外の試練が生じるようになっているのだということを、忘れないようにしてください。そして、「だからこそ、それほどの試練に直面した魂は、誇りを持って、その試練に立ち向かうべきなのだ」ということを、人間として生きている魂たちに、どうか伝えてください」



らい予防法違憲国賠訴訟動画⑥ 「ハンセン」病問題への闘いと「反戦」への切なる願い

2024-12-27 02:46:00 | ひとりごと

  高知県高岡郡津野町(旧東津野村)の津野山の神様に謝罪に行ったのが5年前の11月23日でした。母と妹と私と山﨑さん。母が若い頃、お山の頂上にあったお宮を、村の人が高齢化を理由に取り壊し、下に移した事がことの発端でした。誠の心で神様に謝るようにと、山﨑さんに言われました。

神様がみえるわけでもない私たちにとって、どこで謝ればいいのか、山﨑さんに言われるがままの場所で謝罪しました。山﨑さんは、私たちが謝ると神様が笑ってくれましたといいました。


妹がその後、少し温かい季節にその山の頂上に登りました。この地に祠をたてたいといいました。鳥居も立てたいと。私もその後、夏に帰省したときに、のぼってみました。凄い雑草を掻き分けて山にのぼりました。妹に、道がないやん、道がなければ、なかなか難しいよ、、といいました。


秋の彼岸花が咲くころ、母と妹が山の頂上まで手作りで道をつくりはじめました。


そして、手作りの階段が出来上がったあと、ちょうど謝罪から1年後の11月23日に、お山の頂上に祠が立ちました。、100キロもの祠を担いで上げました。その階段は本当に急で、私は15キロくらいの砂利をかついで何回も往復しました。


その話が同郷の琴さんにつたわり、あれよあるよという間に車が通れる道ができ、お宮が善意でたちました。そして、妹のお宮友達が草木やら狛犬やら灯籠やらを奉納をして、5年目に鳥居がたち、落成式を2024年11月23日にすることにしました。


恵比寿様、金毘羅様、耳の神様(龍神様)の三柱の神様の地です。


11月23日は、今は亡き父と、大好きな母の結婚記念日でもありました。落成の日は神風が吹いたり、鳥の大群やら、煌めく蝶がお出ましになったりと、この地が神の地で神々がお慶びになっておられることを感じました。


落成日が決まって準備がすすむ中、10月頃、門屋さんという主婦の方から妹に連絡がありました。門屋さんは6月に、竪山さん繋がりで知ることになりました。  

 門屋さんは、高知県中村市(四万十市)出身のハンセン病元患者の曽我野一美さんの手紙を妹に持ってきました。

門屋さんご自身も高齢になる中、どうしても大切な手紙を高知にいる妹に託したいとのことでした。そして、曽我野さんを高知に帰してあげたいとのことでした。


曽我野さんは、らい予防法違憲国賠訴訟を統一原告団代表として闘った御方です。(竪山さんは副会長)。曽我野さんは生涯隔離先からふるさとに帰らず、ご遺骨になっても帰ってこられてない御方です。


私は、その時はすでにらい予防法違憲国賠訴訟動画を作りはじめていたのですが、曽我野さんについて高知の方というくらいで、当初は動画の中にいれる予定はありませんでした。しかし、妹が手紙を託されたことより、調べると、この方は動画に必ず残さなければならない貴人であり、歴史に残る偉人であり、この方を高知、ふるさとに帰したいと強く思いました。


妹も同じ思いで、曽我野さんについて調べてみると、一男四女の長男としてお生まれになり、享年は11月23日。落成式を行うまさにその日が、13回忌だというのです。


私の母も、一男四女の末娘。母の兄、長男であるおじさんは、戦争に行きました。

何かと共通点があり、これは津野山の神様、四万十川源流の神様が、四万十川下流が故郷の曽我野一美さんを繋いでいるのだと覚信しました。


どうか、この動画をみてください。

人と人が殺し合う愚かさ、人が人を差別する悲しみ、それを自分におき変えてみてください。


この動画は、お山の神様が何度も示唆してくれた気もします。








らい予防法違憲国賠訴訟動画⑤ 長いトンネルからやっと抜け出る事ができました

2024-12-24 10:24:00 | ひとりごと

昔話には鬼退治の話があり、また、古代史を学ぶと、「鬼」がよく出てきます。デイダラボッチのような、ひとりぼっちのような、カオナシのようなイメージがあります。

鬼は、差別された人々の象徴だと思っています。


鬼門の神様、艮の金神は、私にとっては金龍をご眷属にした国常立大神であり、ニギハヤヒであり、天孫降臨前の差別なき縄文時代のようなトキを愛する国土の神だと思っています。


草葉さんの作品(国常立大神)


国常立大神の元では、

戦いを嫌い自然の中に生きた人々がおり、

そして自然に生きること、自然そのものを破壊するものへ闘いを挑んだ人々がいたのではないかと感じています。


九州を参拝した時、鬼が作った階段があり、99段で壊される話がありました。土蜘蛛の話もありました。太陽がでたり、鳥がなくと壊されるのです。


百にしない。一をひく。まるで、住む場所を奪われボロボロになったハク。白。




ももよろず(百代)の神々は、自然破壊と共に一つになれなくなり、消えていったのかもしれません。


星神を信仰したカガセオは、天孫に最後まで抵抗した神です。星降る地、星塚敬愛園が鹿児島にあります。


今回の動画は、鬼太郎の中に出てくる目玉おやじを愛する谺さんです。谺さんの作った鬼まつりの詩を読んだとき、古代史の相剋の歴史の中、勝者に都合良くかきかえられ、跡形を残さないように消された、いにしえの無念な御霊、名を変えられた神々の叫びのようにも感じました。


暗黒の中に隔離され、やっとトンネルから出てきたのは70歳を超えてから。


そこから、ヒトトキも無駄には出来ない、命の限り、人生の無念を晴らすべく、その命尽きるその日まで、命を輝かせた御霊が今回の動画の谺さんだと思います。尊敬します。


谺さんは、バラが好きだったようです。

らい予防法違憲国賠訴訟動画 ⑤  暗いトンネルからやっと抜け出ることができました


東京提訴


是非ご覧ください





らい予防法違憲国賠訴訟動画④ 母との絆を求めて

2024-12-19 08:19:00 | ひとりごと

最期の力を振り絞り真っ赤に燃えたあと、冷たい冬の風に耐え切れずはらはらと落ちる葉。

美しさと儚さと物悲しさを感じます。





動画の最初の画面に使用した竪山さんの写真。

この真っ赤な落ち葉を

「天使の落とし物」と竪山さんは題していました。


  ある日を境に深く傷つき凍りついた少年の心。12歳で母につれられ療養所に入所した千葉龍夫さんことチョンヨンブさん。


竪山さんが兄として慕う御方です。


竪山さんは13歳で親元から引き裂かれ隔離されました。その時から時がとまった、殺された、自分の誕生日は忘れても、その日は忘れられない、と竪山さんは語っていました。名前も変えられ,存在を消されます。


私は、これを拉致被害だと思います。


親の庇護が必要な子供にも隔離を強いたらい予防法。


チョンヨンブさんの逸話から、真っ直ぐな、純真無垢な赤子のようなお方だと感じます。


龍の名前を日本名に持つヨンブさん。

妹は、竪山さんから、

「やっと人間になりました」

これはすごい言葉だから思いを深く込めて語ってくれと言われました。


そして、何回も何回も取り直し、その度に、なんでこんな言葉をいわせるような事が起こったのか、、と妹は涙が溢れてきたようです。


竪山さんのお話の中には、ヨンブさん以外の在日のハンセン病患者の方々のお話もあります。


種族をわかたず。


同じ血が流れた人間です。在日差別も昔は酷かったと聞きます。差別は敵対をうみ「和」から一番離れた行為です。


ハンセン病元患者の平均年齢が90歳に迫る中、

市民の知らない闇の中で何が起こっていたのか事実を知る必要を感じています。


もし、自分なら、もし自分の子なら、その痛みに耐えられるだろうか。


らい予防法違憲国賠訴訟動画④

母との絆を求めて   国境を越えた闘い   

岡山訴訟

是非ご覧下さい。





らい予防法違憲国賠訴訟動画③ 亡き夫の思いと共に闘った裁判

2024-12-18 08:20:00 | ひとりごと

色んな宗教がありますが、異教同根だと私は思っています。

教祖経典の無い日本神道、自然の中に遍く神をみる道は、自分に合っている気がします。


とはいえ、天皇崇拝や右翼のように捉えられると困ります。自神の道として、廃れたような、しかし、自然に還ろう、自然と共にある神社を参拝するのが好きです。

右翼も左翼もなければ、鳥は空を飛べません。


籠目,籠目、籠の中の鳥も、竹を取って上げると、龍になります。龍は、籠の中から六角形(六芒星)の穴から点(天)と繋がる日をじっと目で観ています。声なき声を聴いています。魂の叫びを。

繋がる日が来たら竹をサッと取って龍🐉は空を飛び、空を飛んだら鳳凰🐦‍🔥かな。


ハンセン病問題の全面解決に向けて動くこと、闘うことは、私の中では神の道と同じです。

戦いではありません。


虐げられた神々が自神を奮い立たせ、針の筵の中から立ち上がったらい予防法違憲国賠訴訟の闘いは、人間の残酷さに、無関心に、鎮まるわけにはいかない神々が、無心にして武神となった姿だと感じます。


ハンセン病療養所では、思想でいうと右も左もいたようですが、ハンセン病問題は超党派です。また、キリスト教、仏教、天理教、無宗教、創価学会、などなど、様々な宗教の方もいたようですが、同じ血がながれる人として宗教の垣根を超えて立ち上がった闘いがらい予防法違憲国賠訴訟です。


私にとっては神の道にみえます。


あらゆる差別から、差を取る。弥勒の世が

皆が悟る(差取る)世なら、

自身の中にある差別意識をひとつひと取る必要を感じています。


神と繋がっているという方々がおられます。それなら、そんな方々こそ、他者の痛みに無関心でいられないと思うんです。


らい予防法違憲国賠訴訟動画③  

亡き夫と共に闘った裁判  山口トキさん。


是非ご覧下さい