陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

咲かずとも咲いても重い彼岸花

2007-09-23 07:10:49 | Weblog
これだけ暑いのに彼岸花が時期を忘れず咲いている。
彼岸花を見ると思い出す。

亡骸になった夫を自宅へ葬儀屋の車で連れ帰った田舎道。
車窓にはずっと真っ赤な彼岸花が咲き誇って連なっていた。
気温ではなく日照時間で開花する花なのかもしれない。

夏の盛りに末期がんを宣告され、
一般病院ではどうしようもない痛みに緩和ケア病棟への転院。
とても帰りたかった我が家へはもう息絶えての帰還となった。
私は私で夫の容体以外何も見ておらず
もう見守る必要のなくなった時
彼岸花でようやく季節の移ろいに気が付いたのだった。

2004年9月24日開設の当BLOG。
明日で4年目に入る。そして夫の死から7年目突入。
開設当初は、
全身の体毛を失う広汎性円形脱毛症がようやく発毛へと転じ始めた頃。
人から乞われては就いていた単発の仕事の休憩時期でもあり
通院が唯一の仕事だったからたいくつしのぎで開設したBLOG。
こんなに長く続くとは。
ちょっと過去記事で命日の自分など振り返ってみた。

昨夕、
夫婦ぐるみで付き合っていた人が仕事帰りに
線香をあげたいとメールが来ていた。
待っているうちに
私に利用者の緊急入院連絡が入り家を空ける都合ができた。
息子に仔細を告げるように頼んで出た。

急いで帰ったら待って下さっていた。
息子のこと、言われた通りと告げたら
自室にこもってお茶ひとつ出してはいない。

コーヒーを淹れつつ
お互いの近況報告をしていたら、
彼のポケットで携帯が鳴った。妻からの帰れコールだった。
そくさとコーヒーを干して立ち去った彼が
仏壇に残した御香料の薄墨は
書を嗜む彼の妻の手になるものだった。
鈍感力が養われていない私は片割れの寂しさを
彼の座っていた空の椅子など見ながら感じてしまった。

弔問は
私のためでなく亡き人への思慕の現れなんだと
当たり前の事に思い至った。
そして
まだ思い出してくれる人が居るほど夫は良い奴だったってこと。

良い奴だった、そしてもう居ないと
色濃く感じてしまう命日が法要がいつまで経っても重い。

私は未だに線香をあげても仏壇に手が合わせられない。
私にとって共に歩む人であったから
どうしても拝む対象として馴染むことができないでいる。