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納棺夫日記 (文春文庫) 青木 新門

2009-05-22 05:58:29 | 
納棺夫日記 (文春文庫)
青木 新門
文藝春秋

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おくりびとの誕生の原点と帯封に大きく書かれ
本屋に平積みでいっぱい置いてあった。
あとがきに
1993年に地方の出版社から出された本が文庫化されこうやって売れていることに戸惑っているとあった。

そう言えばこの本の半分は
人からの序文と終わりに推薦文と
『納棺夫日記を著して』というあとがきと文庫本のためのあとがき。
いいけど、本分の印象がなんだかいいわけいっぱいみたいで薄れた。

確か亡夫の時は
湯灌、納棺する係の人は確か葬儀屋さんが一セットで用意してくれた。
自宅で布団に寝かせて一晩、友人が回りでどんちゃん騒ぎの仮通夜が開けて、
本通夜、葬儀の会場に移すためにお棺が運び込まれた後、
女性ふたりが神妙な顔でやってきた。
何も言わないで見ていたら白装束に三角布が頭に付けられた。
あんなにお洒落だった人が着こんなへんてこな衣装を纏わされてイヤがっているように見え
大あわてで一番好きだった大島の着物を一式出してきて、
一旦着せてもらったものの着替えをお願いした。
私はお手間を取らせて申し訳ないから、女性2人にせっせと話しかけた。
葬儀関係者は絶対に微笑まない訓練をされていると思うが
お愛想で一生懸命な私と結構にこやかに世間話しながら2度目の着替えはなされた。
今、思えば映画のごとく肌の露出すくなく手早かった気もする。
私の精神状態はむしゃくちゃで沸点を超えており、
死後2週間くらいは弔問客に猛烈なおしゃべりだったように記憶する。
納棺の女性は元職は美容師だったと聞きだした。

葬儀もお寺も納骨場所も姑主導で、
死まで私ひとりが見守っていた人がいきなり親類縁者の物となりえらく遠くへいってしまった。
せめてもの抵抗が私の思うように白い布を顔にかけないとか白装束を止めてもらうことだったのかもしれない。

遺体はきれいな状態ばかりではない。
けがらわしいと言われ自分自身も仕事に誇りが持てない時を経て
死から生きる意味を問うようになる。

私が訪問ヘルパー始めた介護保険前、

  「年寄りがする仕事じゃないの?」
  「人のおしめをかえるんでしょ?」
  「おじいちゃんの一人暮らしのところへ一人でいくの?」

と、人は異生物でも見るような言い方をした。
老も汚いものとしての無意識の認識。ましてや死である。

本書の後半はいろんな引用が多くて、ちょっと私には難解だった。
親鸞の悟りの光のというあたり、雰囲気としては分かるかな?程度の読解力。
金子みすゞの詩が2編入っていた。ここだけ良いかんじ。
著者はもともと詩人だそう。

『おくりびと』は銘々もよかったか?
元職がチェロ奏者の設定も良かったか?
ロケ地の緑多い景色も良かったか?
ふ~~んこれがモトになったのねと言うミーハー感覚は満たされた。


あとがきで興味惹く言葉が2点あった。
すぐ忘れるから記しておこう。

☆最近の遺体は枯れるようにというのが少なくてぶよぶよ

  食べられなくなったら
  胃に穴をあけて直で栄養をいれる胃ろう施術が最近は多くなった。
  ここまでして本人は生きたいのか?
  食べられなくなったら生の限界で静かに老死を迎える準備段階では?

☆末期患者には激励は酷で、善意は悲しい、説法も要らない。

 最後の夜、
 荒い止まりそうな大きく開いた口の中で舌は沈下硬直して
 2度と話せる人として戻ってはこれそうもないのに
 ときどき呼吸をわすれる夫の最短距離で
 「がんばれ、がんばれ」と
 手をさする姑を張り倒したい思いで見ていた。
 夫の希望で間際まで状態を知らせなかったから、無理もないが、
 長い闘病の末の今、何で静かに送ってやれないのか?
 夫には聞こえていたんだろか?あの「がんばれ」は?



子猫モコに邪魔されつつ完読した頃、
息子から電話。

  「ちょっと自信回復してきたよ。」

納棺師も人目を気にしなくなり自信が持ててきてからだった。
息子も変われるか?