陽だまりのねごと

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ある日突然に遺された人

2006-03-16 06:17:43 | 終末医療
山口の母子殺害、弁護士欠席で口頭弁論開けず…最高裁 (読売新聞) - goo ニュース

このニュースが目に触れる度に怨念に胸が詰まる。7年の月日が若かくて遺された夫の方の顔にも感じられた。私は看病の末に夫を亡くした。末期ガンと宣告され死を覚悟して遺族になった。それでも簡単に死が受け入れられた訳ではない。

私の周りに突然の事故で夫を亡くした人がふたり。突然の病で寡婦となった人がひとり。同じ伴侶のない身を身近に感じるものの、話していると私よりも簡単には受け入れがたい無念の思いが強く、簡単にふっきれないものを引きずっておられる気がする。

まして人によって殺められた、しかも犯人が少年法に守られて成人のような罰を受けない。裁判が終らないことがいつまでも思い出にさせない。忘れること、死を受け入れることの困難さを思うと、なんとも言えない思いに包まれる。

夫が骨になってしまった時の歌

 熱い
 白い骨拾った
 さくさくとさらさらと
 あなたであって
 あなたでない

『時のお薬』はそれが突然であればあるほど効きにくいようだ。
死んだ人の無念を思う上に、もう少しあそこでああしてあげておけば等といつまでも自身を責めてしまう材料が浮かんでくると言う。

そのあたり、充分な看病をしてあげた感の強いホスピスでの死は遺族の立ち直りも早いのかもしれない。どんな死であれ、遺されたものには生の道が続く。時節を経て、その事実を受け入れることでしか、その後のかたっぽをうしなってもひとりの道をゆく覚悟が生まれてこないような…どんな死であれ、いつまでも忘れがたく辛い事には違いがないのだけれども。

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