老猫のあやと向かい合っているときは、今のあやのことしか考えませんでした。
でも逝ってしまうと、不思議に子猫の頃のことも、あれこれと思い出されてきます。
あやが、洗濯物を取り込んでいたときに突然脚にしがみついてきた押しかけ猫だということは、以前書きました。
やせ細った体に、肥ったノミがごろごろついていました。(母が一か月ほどで駆逐した)
栄養失調で斜視になっていたのも、よく覚えています。
でも、これは最近ふと思い出したのですが、たぶんあちこちで泣き叫んできたのでしょう、声も潰れていたのです。
一生このままかしら、と思っていたのですが、ひと月ほどたって斜視が正常に戻る頃、声も普通になってホッとしたものでした。
思えば、当時はあまり長生きしないのではと思っていたのに、18年も一緒にいてくれたのはありがたいことでした。
この子は、他の猫とは全然違っていました。洋猫の血が入っていたせいでしょうか、若い頃は感情の起伏が激しく、ぷいと怒ったり突然すねたりしました。
かと思うと、淋しくなると膝に飛び乗って、必死にしがみついてくるのです。顔なんかこういう感じになっていました。
私はびっくりして、「あやには、愛情がたくさん必要なんだね」と言いましたが、その分、こっちに向ける愛情も豊かな猫でありました。
他の猫がしないこともたくさんしました。トコトコと歩いてきて、座っている私の隣に座ったので、なんだろう、と思っていると、ふいにぽて、っと身体をもたせかけてきたり。
一緒に寝ていると、前脚をのばして、こちらの頬にそっと触れてきたり。甘ったれで抱かれるのも触られるのも大好きで、こちらもそれが嬉しかったのです。
他の猫たちは、どの子も10年生きませんでした。それを考えれば、その倍生きてこちらを幸せにしてくれたあやには、感謝して充分だったと思うべきなのでしょうが、やはりどうしようもなく淋しいのでした。
母も、折に触れいろいろなことが思い出されて、切なくなる、と今日も言っていました。
18年とは本当に長かったのだと、思わずにはいられません。
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