Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

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ブラマンジェ-2

2018年05月10日 | お菓子の歴史

ブラマンジェ-2

 

1691年、フランソワ・マシアロ ( François Massialot ) Le Cuisineir Roïal et Bourgeoisでは、2種類のブラマンジェが記されている。
一つはブラマンジェ blanc manger、トリのストックに仔牛の足を入れてゼラチン質を強化し、オレンジフラワーウォーター、シナモン、レモンの皮を香り付けに使い、様々に着色してアスピックとしてサーヴする。二つめは削ったシカの角を加えたブラマンジェ
( blanc-manger de corne de Cerf )
1ポンドの削ったシカの角を使ってゼラチンで作ったブラマンジェである。

 

イギリスでは1450-1750年間料理書から「ブラマンジェ」の文字が消える。ブラマンジェに似た別の名前の付いたレシピはこの間も存在 していたが、「Blanc Mange」とはっきりと明記したレシピが再び料理書の中に現れるのは、1777年のシャルロット・メイスン

( Charlotte Mason ) The Lady’s Assistantからである。下は其のレシピで、この時代になると魚の浮き袋から作ったゼラチン(Isinglass が使われるようになる。

 

ブラマンジェ :  BLANC MANGE

アイシンググラス(Isinglass)を1オンスに水を1パイント入れボイルして溶かす。少量のシナモン、クリームを3/4パイント、茹でて潰したスイートアーモンド2オンスビターアーモンド1オンス、レモンピールを入れて火にかける。漉して冷めるまで混ぜる。
レモンジュースを絞る。型に入れる。型から取りだしてカラントジェリー、ジャム例えば、マーマレード、ペア又はマルメロの砂糖漬けを飾る。

 

1800年代初期のアントナン・カレーム ( Marie-Antoine Carême, 6/8/1784-1/12/1833 )の時代には既にブラマンジェに肉のブイヨンを使うことは廃れていた。甘いアントルメ(デザート)としてのみ供されるようになっていた。ブラマンジェはアーモンドミルク、グラニュー糖、魚の浮き袋から取ったゼラチンで作り、ラム酒、マラスキーノ、レモン、バニラ、コーヒー、チョコレート、ピスタチオ、ヘーゼルナッツ、イチゴで味付けしてもよいと薦めている。白くて滑らかなことがブラマンジェの条件である。

 

フランス、1849年アレクシス・ソイヤー ( Alexis Soyer 2/4/1810-8/5/1858 ) によるThe Modern Housewife or Menagereから、

 

753. ブラマンジェ :  Blancmange.

ミルク1クオートにアイシンググラス1オンス、砂糖1/4ポンド、シナモン1/4オンス、少量の挽いたナツメグ、レモンピール1/2、ベイリーフを加えて弱火でアイシンググラスが溶けるまでかき混ぜる。
ナプキンで漉して水盤に入れ、型の中に注ぎ入れる。ミルクを固めることのない色又は香りを使うことができる。香り付けにビターアーモンドを加えることができる。

 

かつて医薬としてのみに使われていたビターアーモンドを少量、健康に障らない範囲内で香り付けに、料理に使うことになったのは大きな進歩と言える。

 

1907年フランス、オーギュスト・エスコフィエ ( Auguste Escoffier, 10/28/1846-/12/1935 )A GUIDE TO MODERN COOKERYから、

 

2624.ブラマンジェ :  BLANC-MANGE ブラマンジェは今では余り作ることもないが、ディナーの前にすばらしいアントルメの一つとして出されていたことを思えば、これは残念なことである。
イングランドのものは素晴らしいだけではなく健康にもよく、普通のアントルメとは全く異なる。そこで次に其のレシピを記しておく。長い年月のうちに従来の意味は失われたが blanc-mange とは、元来美しく白いものであった。形容詞と名詞から成る言葉は従来の意味を失い、今や均一に色付けされた商標の中に埋まってしまったものもある。言葉の取り違えは古くカレーム以前に遡り、今や訂正することは不可能である。

 

2625.フレンチブラマンジェ :  FRENCH BLANC = MANGE  

準備-1ポンドのスイートアーモンド、4-5個のビターアーモンドの皮を剥き、フレッシュウォーターに漬けて白くする。1パイントの水をスプーンで入れながらできるだけ細かく潰す。丈夫なタオルで、きつく絞って漉す。絞ったミルクに1ポンドの砂糖の塊を入れて溶かす。1 1/2パイントのミルクができる。ゼラチンを1オンス少し暖めたシロップに溶かす。モスリンで漉して香りを付ける。

型入れ-ババロアのようオイルを塗った型の中に漏斗で入れる。氷に入れて固まらせる。

註-アーモンドミルクは、今では上のような時代遅れの手順を踏む代わりに、潰したアーモンの中に水2-3TBSと非常に薄いクリームを適量入れるだけの代用品を使う。

 

60年後、ポール・ボキューズ ( Paul Bocuse2/11/1926 ) 1998年の La cuisine de marchĕ に載せたブラマンジェを見てみよう。

 

ブラマンジェ Le blanc-manger

 

材料:スイートアーモンド250g、ビターアーモンド2、ライトクリーム4デシリッター、グラニュー糖又は角砂糖100g、ゼラチン15g

 

方法:ボイルしている湯でスイートアーモンドを茹でる。冷まして皮を剥きフレッシュウォーターに1時間入れて白くする。水気を切って少し乾かしてモルタルで水を2-3スプーン入れながら潰す。
クリームで薄めながら滑らかなペーストにする。タオルの中央に入れて両端を捻って漉し、ボールの中にミルクを入れる。砂糖を溶かしバニラシュガー1/2スプーンを加える。冷水で柔らかくして水気を切ったゼラチンを暖めておいたアーモンドミルクの中に加える。アーモンドミルク、砂糖、ゼラチンから約3 1/2デシリッターが得られる。固まり出したら少量の砂糖と一緒に泡立てたヘビィクリームを1デシリッター入れる。ババロアと同じように型に入れて冷やす。同様にサーヴする。

 

エスコフィエとボキューズのレシピはアーモンドを絞る際に使う材料が水又はクリームの違いのみでその他はほとんど変わらない。彼らが目指すブラマンジェはほぼ完成の域に達したのだろう。
それではエスコフィエが称賛した「イングランドの素晴らしいブラマンジェ」とはどのレシピを指すのだろう。

 

 エスコフィエが述べた 「言葉の上の誤りは古く、カレームの時代よりも前であり元に戻ることや訂正は無駄なようだ。」 という言葉の中で「カレーム以前」とは何時のことで、何を指すのだろう。

 

イングランドで 「ブラマンジェ」 と記述のある、一番古いレシピは1390年のThe Forme of Curyであろう。米、シャポンの胸肉、アーモンドミルク、砂糖を使った料理である。(これを古典的ブラマンジェと呼んでおこう)これに習ったと思われるレシピは1435年のHarleian MS 279以降、1452年のジョン・ラッセル( John Russell )著、The Boke of Nurtureの中の肉料理の最初のコース ( 48. First course of a flesh Dinner ) のブラマンジェ ( Blanc Mange ) と次の2件のみである。

 

1467年、アレキサンダー・ナピエール編 ( Mrs. Alexander Napier ed. ) によるA Noble Boke off Cookryの中で料理名としてblanch mang of fleschを取り上げている。( レシピはない

1594年、The good Huswifes Handmaide for the Kitchin. ( 著者は不明 ) を最後に古典的ブラマンジェはイングランドの料理書からその姿を消す。
最後のブラマンジェを引用しよう。ブラマンジェの綴りは逆さまになっている。しかし非常に克明なレシピで当時のブラマンジェの作り方等が目の前に鮮明に浮かぶ貴重な記述である。

 

ブラマンジェ :  To make Maunger Blaunche

選別をして非常にきれいに洗った米1/2ポンドを細かく潰し細かい篩を通す。朝に絞ったミルク1クオートに入れてストレイナーで漉す。
きれいなポットに入れて火にかける。弱火で幅の広いスティックで混ぜる。少し濃くなったら火から下ろす。柔らかいシャポンの肉をできるだけ小さく裂く。シャポンはきれいな水で煮て肉は手で、できるだけ馬の毛のように細く裂かなければならない。半分に煮詰めた
ミルクの中に入れる。同量の砂糖を入れて甘くする。良質のローズウォーターをスプーンで12杯入れる。再び火にかけてよく混ぜる。
スティックでパンの端から端まで混ぜる。粥のように濃くなったらきれいな平皿に入れる。冷めたらディッシュの中にスライスして3枚入れ、その上に砂糖を少し振る。サーヴする。

 

153年後、ブラマンジェはハナ・グラッセ ( Hannah Glasse ) 著、1747年のThe Art of Cookeryのムーンシャイン ( Moon Shine ) というレシピの中で材料として料理書の中に再び姿を現す。ブラマンジェのレシピ名で登場するのは1777年のシャルロット・メイスン ( Charlotte Mason ) The Lady’s Assistantからである。下はシャルロットのレシピ。

 

7. ブラマンジェ :  Blanc Mange

アイシンググラスを1オンスに水を1パイント入れボイルして溶かす。少量のシナモン、クリームを3/4 パイント、茹でて潰したスイートアーモンド2オンス、ビターアーモンド1オンス、レモンピールを入れて火にかける。漉して冷めるまで混ぜる。レモンジュースを絞る。型に入れる。型から取りだしてカラントジェリー、ジャム例えば、マーマレード、ペア又はマルメロの砂糖漬けを飾る

 

すっかり様変わりして、まるで異国のレシピを見るようだ。エスコフィエは恐らく1594年までの古典的ブラマンジェに賛辞を送ったのであろう。
1594
年から1777年の間に、ブラマンジェに何が起こったのだろう。イヤ、ブラマンジェに何かが起こったのではなく、何か他の大きな力がブラマンジェに働いたように思われる。

 

こんな時は、権力、金力に勝る政治家に御登場願って彼が食した料理をチェックするに限る。1665年にケネルン・ディグビィ (  Kenelm digby, 1603/7/11—1665/6/11 , イギリスの廷臣、外交官、自然哲学者 ) が書いたThe Closet of Sir Kenelm Digby Knight Opened ( 出版は1669 ) から、

 

オオムギの粥  : BARLEY PAP

メイス2枚、ナツメグ1/4、オオムギを水に入れて長時間ボイルする。オオムギの外皮を漉す。同時にローズウォーターで茹でたアーモンド2オンスをよく潰し漉したミルクをオオムギの粥の中に入れる。( 大麦を漉すときに一緒に漉しても良い ) しばらく煮る。砂糖で好みの甘みを付ける。中略。胃袋が丈夫であれば大麦を漉さずに食べても良い。 ( 但しアーモンドは必ず漉すこと ) 好みでバターを入れても良い。

オートミール又は米或いはよく洗った松の実をアーモンドと一緒にクックしても良い。

 

“ Pap “ とは「病人食としての粥」の意であるが「主要な何かが欠けた、大人の心を持った者にとっては詰まらない物」 の意味もある。ブラマンジェの主要な材料は米、アーモンドミルク、砂糖、ニワトリの胸肉であるから、最後の材料が欠けた料理と見ることもできる。

“ Pap “ 1450年~1600年の料理書の中に見ることができるが、時代を下るにつれて姿を消していく。このように1600年中頃の料理書に記載されることは稀である。

繰り返しになるがPapは病人の為に作るので塩、卵黄を入れるが、此処には入っていない。

 

ディグビィは宗教にはさほど執着がないようだ。「ローマンカソリックを信奉するジェントリの家系に生まれたが、1625年、カソリックであることが政府役人として妨げになると判断し、英国国教会の信徒に転向。1635年にはカソリック信徒に戻ったかと思えば、思想、良心の自由を信じる
オリバークロムウエルの護民官政府のもとで、イギリスローマンカソリックの非公式な代理人として1655年教皇への使者を務め、王政復古時に於いては、チャールズ世の母親に当たるヘンリエッタとの繋がりで新しい政治体制下に入った。」 という人物である。強いていえば火の如く燃えさかる過激なる自然科学者である。その彼が書いたレシピである。この際彼の人となりを述べておこう。

1628年私掠船( 海賊 )の船長となり、1/18ジブラルタルでスペインとフランドルの船を捕獲1641年再び英国からフランスへ渡る。フランスの著名なMont le Ros を決闘で殺害し、ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス( Henrietta Maria of France11/25/16099/10/1669、イングランド王チャールズ1世の王妃 )が1644年イギリスへ戻るや、共にイギリスへ戻り彼女の閣僚となる。英国学士院を設立し、1661年植物の生育に関する論文を発表し学士院に物議をかもした。彼は植物の維持に欠かせない物質として酸素に言及した始めての人物である。1622-1633年には評議委員を務め、数学者ピエール・ド・フェルマー(1601-1665)との書簡の中にピエールによる無限降下法による数学的証明が残る。

 

常人ではないと同意していただけると思うのだが。その彼が上のような( 自らを偽るような )レシピを書いているのだ。天地がひっくり返るようなことが起こった違いない。

 

一つ前の blancmange 1 で、1354年のEin Buch von Guter Spiseから引用したレシピに、「白い色は純潔~聖母マリアを表している。」の下りがある。白い色に対して常にヨーロッパ人の胸の内を占めていた、今もそうであろう、思いである。しかしそのことはカルヴァンの考えに反した、彼の思想に相容れない事柄であった。

彼の言葉を借りれば、「ブラマンジェそれ自体としては悪いものではない。ただ、そのおかれている状況をよく考えなければならない。
それ自体としては悪ではないが、人を悪におちいらせる機縁になることを忘れてはならない。更に、一種の社会革命を遂行しているとき、市民としての生活規範が一段と要求されることも理解できよう。さらに、具体的な問題として、享楽的傾向がいつも反動分子と結びついていたことをおもいおこそう。」 と言うに違いない。

( カルヴァン、渡辺信夫著、59-60ページ。1988。岩波 )

 

ディグビィが「王女ヘンリエッタのオオムギのクリーム」を書き残している。

 

王女のオオムギのクリーム料理 THE QUEENS BARLEY-CREAM

オオムギ水を作る。最初の水はボイルしたら直ぐに3回続けて捨てる。ボイルするには約3/4時間かかる。オオムギと一緒にたくさんの水を1時間又はそれ以上かけて(固いオオムギはそれくらいかかる、胚芽層を取ったパールオオムギが一番良い)ボイルして(こうすることで水が赤く或いは小豆色にならない)ピースに切った若いメンドリと切り離した脚を入れる。長く煮ると汁は肉の味がきつくなる。十分に煮たらオオムギとトリを取り除く。ブロスでアーモンドを潰して漉す。砂糖で甘味を付ける。少なくても2クオートできる。私はブロスでボイルしたオオムギの実を入れてアーモンドミルクと一緒に漉したものが好きだ。好みでメロンの種を入れても良い。レモンジュース又はオレンジジュースを入れても良い。
シナモンで香りを付けブロスの肉の味を濃くしても良い。

 

英国のオオムギ水は 胚芽層を取ったオオムギをボイルして、その熱い水をレモンの皮の上に注ぎフルーツジュース、砂糖を加える。
(
皮はオオムギと一緒にボイルすることもできる。) というのが一般的なレシピなので、ディグビィのレシピはこれとは少し異なる。
ボイルして細かく裂いたニワトリの胸肉ではなくメンドリのブロスで潰したアーモンドを濃しれ繊細な味を演出している。ブラマンジェの代わりに考え出したレシピなのか、それとも単に凝った大麦水を女王の為に作りだしたのか。真意は解らないが召し上がった女王様は何を感じられたのか想像はできる。

 

ディグビィの頭をこれほどまでに働かせたのはやはりカルヴィニズムに違いない。ローマンカソリックから英国国教会、再びカソリック、そして親プロテスタントからまたもやカソリックへとめまぐるしく変位したディグビィだが、それはキリスト教内でのこと。彼にとってそれよりも恐ろしいことは教会外に放り出されることだったに違いない。『最後の審判』で救われるのであれば怖いものはない。ルター派であろうとカルヴァン派であろうと、異端審査を受けて骨も残らないほどに破壊されない限り最後は救われることを固く信じていたのであろう。ディグビィはそんな人間であったように思う。

 

トリのブロスでアーモンドミルクを漉すという行為は後に、仔ウシのブロスへと変化してゼラチンを使った新しいブラマンジェへの足がかりとなる。

 

昔からつづいてきたブラマンジェは宗教下の重石の基で次第に姿を変えようとしている。

1650-1660年には仔ウシ、トリのブロスを使ったブラマンジェ、1690年に入るとシカの角を使ったブラマンジェへ、1770年代には魚の胃袋を使ったブラマンジェへと変化する。

仔ウシの関節、シカの角を使うあたりから、その中に含まれるゼラチンに新しい方向性を見出したように感じる。ゼラチンはやがて単独で取り出され、ブラマンジェのレシピの中で主役を演じるようになる。ブラマンジェへの脱皮が始まったと言える。

 

ところが物事はそう単純に断言できるものではなさそうだ。

魚の胃袋から取り出されたアイシングラスは古くは1500年後半から既に料理に使われていた。一例を取り上げよう。

 

1597年トーマス・ドーソン ( Thomas Dawson ) 著の The Second part of the good Hus-wiues Iewell. では、

 

ホワイトリーチ :  a white leach.

新鮮なミルク1クオート、アイシングラス3オンス、潰した砂糖1/2ポンドを混ぜる。ずっと混ぜながらボイルして1/2クオートになるまで煮詰める。
ローズウォーターを入れて漉す。プラターに入れて冷ます。四角に切ってきれいなディッシュに並べる。金箔を上に置く。

 

1602年のヒュー・プラット (Hugh Plat ) Delightes for Ladies By Hugh Plat から、

 

27. アーモンドリーチ :  To make Leach of Almonds.
スイートアーモンド1/2ポンドをモルタルで潰して牛のミルク1パイントと一緒に漉す。ムスク1粒、ローズウォーター2スプーン、細かい砂糖2オンス、非常に白いアイシングラス3シリングをボイルする。ストレイナーを通す。スライスしてサーヴする。

このようなアイシングラスを使ったレシピが1900年までつづく。1900年からゼラチンを使ったレシピに変わるのはブラマンジェだけではない。「 リーチ:leche, leech, leach の歴史は古く1597年に遡る。新しい姿を得たブラマンジェはこれまで先人達が積み重ねてきた全てを土台にして作り得た料理であると言えよう。

 

横道に逸れるが、此処でカルヴァンの 予定説 について述べようと思う。「 ブラマンジェの項 は満載艦のようで主体がどこにあるのか解らない程にごたごたしているが、18002000年の欧米を知る上でも、勿論お菓子の歴史に関しても大きな影響を、今も受けている 精神論 なので最後に少し述べておこうと思う。


予定説 とは人間はうまれる前から既に神の国(天国)に入れるか否かは決まっていると言う説。神は,『最後の審判』を行う際に一人一人の人間の生前の行為を検証することはない。何故なら人間はこの世に生まれる以前から、その人間の運命は予定されているからだ。カルヴァニズムの宗教改革の精髄は『完全無欠な創造主である神』に対置する『無力な被造物としての人間』の絶望的なまでの対比がカルヴァニズムの精髄である。選ばれた者だけが
救われるという考え―――教会さえも人を救い得ないということは―――これまでの善行では、神の心を動かすことができず、敬虔な信者が必ず天国に行けるという保障はなく、極悪非道な悪人とされている人物が天国行きを決定される可能性もあるのが予定説である。

このことは信者一人一人にとって大問題であり、心理内面に孤立化の感情を引き起こした。「自らが選ばれた存在であるか否かの確信をどのようにして得ることができるのか」という問題に対し、それぞれが従事している職業は、神が選び、神から与えられた『 天職 , calling 』であると説いた。自己確信を得る最上の方法は労働をすることであり、働くことにより神の恩恵が働いていることを意識し、疑念が追放され、救われているとの確信が得られるとしたのである。

マックス・ウェーバー( Max Weber4/21/1864-6/14/1920 )は、『 論理的に宿命論になるべき 予定論 救いの証明 」という考えと結びついたことにより、カルヴァニズムは正反対のものを生み出した。そして信者達は生活の中での、救いの確信を得るため職務に忠実でいられた者であることを自ら証明しようと努めるのである。「 天職に対する勤勉の精神 はやがては絶対王政を打倒する近代資本主義をもたらすことになった。』と考えた。

 

 
モスを冷水に15分間漬けて水気を切りミルクの中に入れる。

ダブルボイラーで30分間ボイルする。クックしすぎると固くなるので、ミルクだけの時よりも少し固い程度にクックする。塩を加えて漉す。バニラを入れて再び漉す。
前もって冷水に浸した型に入れて冷やす。ガラスのディッシュに入れる。周りにスライスしたバナナを並べ、上にバナナを飾る。砂糖とクリームを添えて供する。

 

 アイリシュモス ( Chondrus crispus )  Irish moss ( little rock ) 別名、カラギナン、pearl moss, carrageen moss, seamuisin, curly moss, curly gristle moss, Dorset weed, jelly moss, sea moss, white wrack, and ragglus fragglus。紅藻類に属しゲル状多糖でできた細胞壁を持つ。

 

著者のファニー・ファーマー ( Fannie Merritt Farmer , 3/23/1857-1/15/1915 ) はボストンに生まれ、16才からメドフォードハイスクール ( Medford High School ) で学んでいる。ボストンは、9/17/1630にイングランドから来た清教徒達によって、ショーマット半島に築かれたイギリス植民地であり、メドフォードもイギリス系の土地ではあるが、1800年後半にはアイルランド人、ドイツ人、レバノン人、シリア人、フランス系カナダ人、ユダヤ系ロシア人、ユダヤ系ポーランド人が住み始めた。
1800
年末には、ボストンの中心部は、異なる民族の移民居住地がモザイク状に化していた。ブラマンジェにかんする限りファニー・ファーマーのレシピはイギリス系?と思うが、確信はない。

 

1910年刊のピカユーン クレオールクックブック ( THE PICAYUNE'S CREOLE COOK BOOK , FOURTH EDITION ) から2つ、

 

ブラマンジェ Blanc Mangier.

クリーム        1クオート

砂糖          1/2カップ

プレインゼラチン    2

バニラエッセンス    1ts

 

ゼラチンを水に溶かしボイルしたクリームと混ぜる。溶けるまで混ぜてバニラを入れる。型に注ぎ入れて固める。サーヴする。

 

コーンスターチブラマンジェ :  Cornstarch Blancmange

ミルク         1クオート

コーンスターチ     3TBS

砂糖          3TBS

卵白          3

レモンエッセンス    1ts

 

コーンスターチを1パイントのミルクに入れて砂糖、固く泡立てた卵白を加えて混ぜる。これをボイルしている1パイントのミルクに入れ手ボイルする。
レモンを香り付けに入れてカップに入れて冷ます。冷えたらゼリーとクリームと一緒にサーヴする。6人分の量がある。好みでクリームソースを添える。

 

クレーオールは(フランス人と奴隷の混血の人々)を指す。詳細はタルトタタンの項に詳しく述べておいた。





 

 

 

 


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