ジンジャーブレッド
ジンジャーブレッドと聞いて、皆さんはどんなお菓子を頭の中に描かれるだろうか?
ジンジャーマンクッキー? それともヘクセンハウス? それともレープクーヘンだろうか。
ジンジャーブレッド或いはジンジャーナッツと呼ばれるこのお菓子には様々な名がついている。デンマークではスカンディナヴィアン・ジンジャー・ナッツ、ジンジャーブレッド又は、ブロンケイエ ( brunkager : brown biscuits ), スウェーデンではペッパルカーコル ( Pepparkakor ),フィンランドではピパルカック ( Piparkakut ), ラトヴィアでは piparkūkas、エストニアでは piparkoogid、ノルウエーではペッペカーケ ( pepperkaker : pepper cookies ),アイスランドではピッパクック ( piparkökur) 。これらはいずれもクローブ、シナモン、カルダモンを使い、厚さ3mm以下に延ばして焼くので食べるとカリカリとしてスパイスの香りがする。合衆国ではジンジャースナップス ( ginger snaps ) と言い3-6mm の厚さの丸い形をしたドロップクッキーを指す。
ジンジャーブレッドはジンジャーと蜂蜜又はモラセスを使い、柔らかくてケーキのようなものからジンジャービスケットまで範囲が広い。
元々はジンジャーのプリザーブを指していたが、蜂蜜とスパイスで作った糖菓に変化した。
ドイツではレープクーヘン又はプフェッファークーヘン( Lebkuchen or Pfefferkuchen; pepperbread : pepper cake )という。
ジンジャーブレッドがヨーロッパにもたらされたのは992年、アルメニアの僧、グレゴリィ・ニコポリス( Gregory of Nicopolis, Gregory Makar, Grégoire de Nicopolis ) によってである。彼はポンペイのニコポリスからフランス、ピティヴィエ近くのボンダロワ( Bondaroy ) に移り住み7年間をここで過ごす。
その時フランスのキリスト教徒らにジンジャーブレッドの作り方を教えたと言われている。
フランスのパン・デピス( pain d’épices;spice bread ) は二種類ありスパイスの効いたサワードウブレッドとクッキータイプのものとがある。
アルザスのパン・デピスはクッキー風の菓子で、ドイツの老巡礼者がアルザスのヴイレ村に伝えたものが始まりとされ、12月6日の聖ニコラウスの日に配り、モミの木の蜂蜜を使う。
1200年代にはスウェーデンにドイツ人移民が入ってレシピを伝え、1444年にはヴァドステーナ修道院において修道女によって消化不良を和らげるジンジャーブレッドが作られ、白いジンジャーブレッドを着色して窓に飾った事が知られている。
ドイツでは1400年代、ギルドが其の製造を担った。ジンジャーブレッドが商品として扱われるのは1600年代からで、修道院、薬屋、野外の市場などで売られていた事が知られている。
イングランドでは医用目的で作った。シュロップシャーのマーケット・ドレイトン ( Market Drayton in Shropshire ) では町のカントリーサインにジンジャーブレッドを使い、1793年には既にお店で作られていた記録が残っている。イングランドのジンジャーブレッドはケーキ又はジンジャーブレッドマンの形をしたビスケットを指す。
よく知られているジンジャーブレッドマンはクイーンエリザベスⅠ世 ( Elizabeth I ; 1533/9/7 – 1603/3/24 )を模して作り、外国の高官にその像(ジンジャーブレッド)を出したのが始まりであると言われている。
1602年刊のDelight for Ladies より
ジンジャーブレッド
古くなったマンシェット3枚用意して挽く。それを乾かして細かい篩にかける。そこに潰したジンジャーを1オンス、同量のシナモン、リコリス(スペイン甘草)を1オンス入れる。焼いて潰したアニスシードを一緒に混ぜ、砂糖を1/2ポンド入れる。
鍋にクラレットワイン1クオートを入れて、全てを入れて火にかけ、ペースト状になるまで混ぜる。固くなったらテーブルの上に置いた型に入れる。型から抜いて細かい粉にして一緒に混ぜておいたシナモン、ジンジャー、リコリスの粉を振りかける。
これが宮廷でお祭りの時にお出しするジンジャーブレッドである。別名ドライリーチ ( dry Leach : 漉して作ったもの ) と呼ぶ。
ドライジンジャーブレッド
アーモンド1/2ポンド、挽いたケーキを同量、細かい砂糖1ポンド、卵黄2個、レモンジュース、ムスクの粒2個、これらを一緒に潰してペーストにする。型に入れて抜き、紙の上にのせてオーブンに入れて乾かす。
二種類あるが宮廷でのクイーンエリザベスⅠ世からの贈り物は恐らく下のレシピに従って作られたジンジャーブレッドであろう。
下はスチュアート時代の型。
1615年に書かれた ( The English Huswife by Gervase Markham ) でもほぼ同様のレシピが紹介されているがマンシェットの代わりに普通の小麦ブレッドが使われており、アーモンドを使ったレシピは無い。宮廷のジンジャーブレッドはハウスワイフが作るものとはひと味も二味も異なるようだ。
スコットランドのパーキン ( parkin ) はオートミールと糖蜜 ( treale ) で作られており柔らかいケーキである。
合衆国のジンジャーブレッドはジンジャーブレッドケーキ又はジンジャーケーキと呼び、固いタイプである。
フランスのジンジャーブレッド( パン・デビス : pain d’épices )は合衆国のものに近く、糖蜜よりも蜂蜜を使いジンジャーが入っていない少し乾いたタイプである。
ドイツのジンジャーブレッドは二種類ある。一つは柔らかいタイプと固いタイプのレープクーヘン ( Lebkuchen ) であり、カーニヴァルやクリスマスマーケットなどの屋台で売られているもう一方のジンジャーブレッドは固く、スイーツや砂糖で装飾を施す。この型抜きのジンジャーブレッドは他の国でもよく見られ、ジンジャーマンブレッドが特によく知られている。ポートワインに浸して食べるのが伝統的な食べ方である。
冒頭で述べた北欧のジンジャーブレッドはクリスマスの期間にノルウエーとスウェーデンでは窓の飾りにも使われその為に少し厚く、砂糖のグレイズとキャンディで飾られている。イギリスではこれらノルウエー、デンマーク、スウェーデンのジンジャーブレッドをジンジャービスケットと呼ぶ。
スイスではビーバー ( biber 下図 ) といい、中にマジパンが入っている。アッペンツェル ( Appenzell )、ザンクト・ガレン ( St. Gallen ) の町の紋章が描かれている事で知られている。
オランダ、ベルギーではもろくて柔らかいジンジャーブレッド( ペッパクック、クラウドクック、オントゥベイトゥクック: Peperkoek, Kruidkoek or Ontbijtkoek )で、厚く切って上にバターを塗って朝食や昼食に供する。
ロシアではツーラ ( Tula ), ヴァジマ ( Vyazma )、ゴロジェッツ ( Gorodets ) 等の歴史ある町にその町のジンジャーブレッドがある。
下図はツーラのジンジャーブレッド。
中にはアプリコットジャム、外側には砂糖が塗ってあり、一見木彫のように見える。
ポーランドではピェルニク( pierniki : singular, piernik ) と言い、中世からあるトルンの町の Toruń gingerbread ( piernik toruński ) が一番有名である。ショパンのお気に入りであった事でも知られている。
ルーマニアではトルト・ドルチェ ( turtă dulce ) と言い、砂糖のグレイズをかける。
ブルガリアではメデンゼン( меденка : made of honey ) と言い、手のひら大の丸くて平たい形をしている。蜂蜜、シナモン、ジンジャー、クローブを使い、表面に薄くチョコレートを塗る。キルギス第四の都市カラコルでも同じようなものが見られる。
ヨーロッパのほとんどの国では専門のギルド達だけにジンジャーブレッドを焼くことを許されていたが、クリスマスとイースターには誰でもが焼くことができた。
ジンジャーブレッドは季節毎に開かれる屋台で様々な形をしたものが売られた。クリスマスやイースターにはキリスト教に関係のある図柄をしていた。
自分の名前の由来になった守護聖人の聖名祝日にはその聖人のレリーフが刻まれたジンジャーブレッドを贈り物とした。そして窓には装飾したお菓子を飾るのが習わしであった。砂糖で飾り金箔を貼った。時には戦いに出る戦士のお守りや悪霊を防ぐ護符とした。
( 上はきれいに飾られたヴァレンタインのジンジャーブレッド )
ジンジャーブレッドで作る家ヘクセンハウス(魔女の家)は1812年にグリム童話の ”ヘンゼルとグレーテル” が出たのを機にドイツのベイカーがレープクーヘンを屋根にお菓子を,壁に,窓に砂糖細工を使って作ったと言われている。( グリム兄弟によれば当時既にあったということだが。)アメリカにはペンシルバニア州に移民したドイツ人によって伝えられた.
ジンジャーブレッドの種類は限りなく多く、今回紹介したものはほんの一部分だった。しかし、案ずることはない。この文章を読んでおられる方々は、検索で知りたいと思う地名と、その地の言葉で “ジンジャーブレッド” と打ち込んで、エンターキーさえしっかり押せばクラッカーの紐を引いたときのように、溢れんばかりのレシピが飛び出す。それほどにジンジャーブレッドはヨーロッパ各地で愛されている、記憶の底にこびり付いて離れないお菓子である。その為にできるだけ多くの地名と、ジンジャーブレッドの名称を先に紹介しておいた。
参考文献
Sir Hugh Plat, Delights for Ladies 1602
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