8. 耳
ノルマン人がバーリの地に侵攻した証拠が残っています。「ノルマン-ホーエンシュタイン城 ( The Norman-Hohenstaufen Castle )」です。この城は南イタリアのサンニカンドロ・ディ・バーリにあり、現在の城はビザンティンとホーエンシュタイン時代にそれぞれ建てられた2つの全く異なる建物からなっています。916年にビザンツ帝国のニコロ・ピッチンニ将軍( Niccolo Piccinni )が、プッリャをサラセンから守るために要塞を建設。台形の石造りの四つの尖塔がある要塞はサンニカンドロの北の一部分を占めていたのですが、150年を経ない1071年にバーリはノルマンの傭兵であるロベルト・イル・グイスカルド・ダルタヴィッラ( Roberto il Guiscardo d'Altavilla, 101/-7/17/1085, 後に中世シチリア王国(オートヴィル朝)を建てたオートヴィル家の首領)に占拠され、サンニカドロの城はこの時ノーマンの建築に完全に復元されました。
イタリア半島のかかとの部分にあるサレント、バーリにはトマトソースまたは特徴ある羊のチーズと一緒にいただくレシピがあります。
又、チステルニーノには、実っていない小麦を粉にした、柔らかい小麦粉で作った細長い、recch とかprivttと呼ばれる司祭の耳があります。農家に伝わる、祝祭日に、ウサギのラグーと一緒にいただく料理があります。
サレント、バーリ、チステルニーノはいずれもプッリャ州にあります。因みに、プッリャ州(イタリア語: Puglia)は、イタリア共和国南部にある州で、州都はバーリ。
古代には、現在の州域の北部・中部がアプーリア( 古代ギリシア語: Ἀπουλία )、アプリア( ラテン語: Apulia )の名で呼ばれていました。英語: Apulia、ドイツ語: Apulien。
プッリャ州 バジリカータ州
プッリャ州とバジリカータ州に伝わる「耳」をもう少し詳しく見ていこうと思います。
プッリャ州のシンボルでもあるアプーリアの耳( Le orecchiette pugliesi: il simbolo della Puglia )は次のようなものです。
アプーリアの耳は、プロバンス地方又はユダヤの伝統料理であり「今ではアプーリア料理として知られています」と説明のあるものは、写真に見られるような小麦粉、水、オリーブオイルで作った小さなドーム状の、真ん中が薄い形をしたパスタです。指をつかってボードの上を擦りつけるようにして、小さな耳の形に似せて作ります。アプーリアの耳の名前の由来になっています。
つづく
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