パエストゥム
パエストゥムはこの位置にあり、1769年に見た遠景がこれです。
パエストゥム遠景 1769画
パエストゥム (Paestum) には、イタリア南部カンパニア州サレルノ県カパッチョ=ペストゥムにある古代ギリシャ、古代ローマ遺跡があります。 1998年には、ユネスコ世界遺産に登録されました。パエストゥムとはポセイドニア(Poseidonia)が訛ったもので、ポセイドニアは、海の神ポセイドンの町の意。紀元前550年ごろゼウス神の伴侶でオリュンピアの女王ヘラのための神殿建築が行なわれ、その約100年後に町の主神ポセイドンの神殿が建てられました。
ポセイドニアは、紀元前510年にクロトン(Croton)に征服されたとき、母都市であるシバリス(Sybaris)からの難民を収容していたと考えられています。 5世紀初頭、ポセイドニアの硬貨はアカイア基準分銅(Achaean weight standard)を採用し、シバライト硬貨には雄牛のデザインを採用しています。
マグナ グラエキア(Magna Graecia)
紀元前8世紀から5世紀にかけて、古代ギリシャでは人口が増え、飢餓、人口過密、気候変動などから生活難となり、ギリシャの領域外へ流出する人々が現われました。ギリシャ人は故郷を離れて地中海沿岸の各地へ植民を始め、東は黒海周辺から西はフランス南部やイベリア半島にまで至る広範囲に植民都市が誕生しましたが、とりわけイタリア半島南端およびシチリア島には多くのギリシャ人が移住しました。さまざまなギリシャの都市国家が植民地化した南イタリアの沿岸地域を指してマグナ グラエキアと呼びます。Magna Graecia (Illustration) - Ancient History Encyclopedia から
Croton とSybaris(赤で囲ったところ)はギリシャ人がイタリア半島に沿って定住して(入植して)いましたが、 共和政ローマの力が押し寄せるのは時間の問題でした。
- J.グラハム(Alexander John Graham, 古代の歴史家、1930/3/9~ 、ベッドフォード大講師)は、「難民の数は、おそらくシンボリティア(sympolity、共同市民権)の形で、ポセイドニア人とシバリ人の間で何らかのシノエシズム(synoecism、同じ家に一緒に住むの意)が発生するのに十分な数であった。」と説明しています。
これは、シバリスの硬貨がこの時期のポセイドニアの硬貨と非常に似ていることから、ポセイドニアは、紀元前452/1年から紀元前446/5年まで続いたシバリスの創設に大きな地位を占めていた可能性があります。
パエストゥムの考古学公園にある2つの古代ギリシャ神殿
上がネプチューンの神殿またはポセイドンの神殿とも呼ばれるヘラの第二神殿、下がヘラの神殿。 Paestum, Italy (reidsitaly.com)
パエストゥムの考古学公園にある説明には、
『ポセイドン市は、紀元前6世紀にシバリス(Sybaris)のギリシャ人入植者によって設立され、紀元前3世紀にはローマの支配下に入り、町の中心フォロの周囲に円形闘技場や市場が築かれました。紀元前273年以降、ローマ時代のパエストゥムの植民地として栄え、巨大な薔薇(敷地周辺の庭園で年に2回咲き続けている)でも名声を得た。』とあります。
『パエストゥムとはポセイドニア(Poseidonia)が訛ったもので、海の神ポセイドンの町ポセイドニアは、紀元前550年ごろゼウス神の伴侶でオリュンピアの女王ヘラのための神殿建築が行なわれ、その約100年後、町に町の主神ポセイドンの神殿が建てられたのです。』と先に書きましたが、ギリシャにも同じ名前の町があります。
ポシドニア(Poseidonia、Ποσειδωνία、ポセイドンにちなんで名付けられました)は、ギリシャのキクラデス諸島(Cycladesにある人口3,893人、面積23.705km²)属するシロス(Syros)島内の村の一つです。島の南端にこの村はあります。
Poseidonia
先史時代のシロス島にはBC3,000から人が住んでいて、また大きな商業活動を行っていたことが知られています。2,000年の間、シロス島はフェニキア人、ミノアクレタ島、ミケーネの支配下にあり、その後の1,000年はイオニア人の手に渡ります。BC7世紀から3世紀まで、島のさまざまな場所に集落や農村地域の痕跡があります。島内の最大の町は、エルムポリス(Ermoupolis)、アノシロス(Ano Syros,)、バリ( Vari)で、エルムポリスは、南エーゲの首都になっています。この地域では重要な港町で、19世紀には対岸のピレウスよりもさらに重要でした。 他にガリッサ(Galissas)、フォイニカ(Foinikas)、パゴス(Pagos,)、マナ(Manna)、キニ(Kini)、ポセイドニア (Poseidonia) の村々があります。シロス島のポセイドニアはイタリアのポセイドニアとは単に名前が同じというだけで、深いいわれはなさそうです。強いて言えば、『海の神ポセイドン』でつながった町といえるでしょうか。
日本で言えば『太子町』といったところでしょう。しかし文化の波は西から東へ(ギリシャからローマへ)と流れていることは、掴めました。
https://www.travel-greece.org/greece.php?loc1=cyclades&loc2=syros&loc3=poseidonia&pagetype=map
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