Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

あなべるお菓子教室はコロナで終了となりましたが、これからも体に良い食べ物を紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

ダマスクローズ 236

2021年05月24日 | ダマスクローズをさがして ― Ⅲ

ローマ帝国とサーサーン朝の両方で信者が迫害されたにもかかわらず、マニ教(サーサーン朝ペルシャのマニ(216 -276/277)を開祖とする宗教)はゾロアスター教を母体にユダヤ教の預言者の概念を取り入れ、ザラスシュトラ(ゾロアスター教の開祖、釈迦、イエスを預言者の後継と解釈。マニ自身も自らを天使から啓示を受けた最後の預言者と位置づけた。そのほかにグノーシス主義の影響を受けたゾロアスター教の影響から善悪二元論を採ったが、享楽的なイラン文化と一線を画す仏教的な禁欲主義が特徴であるマニ教は138年まで広がりを続け、改宗者を獲得しました。

マニ教は二元論であり、『闇の側では、虜にした光の元素を閉じ込めるため「物質」が「肉体」の形をとって、全ての男の悪魔を呑み込んで一つの大悪魔を作り、女も同様に大女魔を作った。大悪魔と大女魔は憧憬の対象「第三の使者」を模して人祖アダムとエバ(イヴ)を創造した。そのため、アダムは闇の創造物だが、大量の光の要素を持ち、その末裔たる人間は闇によって汚れていても智慧によって内部の光を認識できる、と説く。対してエバは、光の要素を持ちつつ智慧を与えられず、アルコーンと交接してカインとアベル(アダムとイヴの息子たちで兄がカイン、弟がアベル)を産む。嫉妬に駆られたアダムはエバと交わり、セト(創世記に登場するアダムの130歳の時の子)が生まれて人の営みが始まる。』とされる。

 

非常に興味溢れる宗教です。このマニ教では、薔薇がどのような扱いを受けていたのか。“薔薇” を取り込んだ文章を引用します。 

 

マニ教のベマ詩篇 CCXLI ( the Manichaean Bema Psalms ) http://gnosis.org/library/manis.htm から

 

『ああ、私たちの医者よ:私の兄弟たち、私たちは彼に懇願しましょう。 彼が私たちを癒す治療法を私たちに施してくれますように-------------------------。

彼が私たち全員にそれを授けるために私たちの罪の赦し、 彼が私たちの不義、私たちの魂に刻印されている傷跡を一掃してくださいますように。毎年忘れないようにしましょう-------------------------。』

 

『私たちは彼の聖なる者であり、説教する者と聞く者、すべてです。 詩篇を歌う彼は、花輪を織る彼らのようなものです。 彼の後に答える彼らは、彼の手に薔薇を置く彼らのようです。 真実の審判に対する勝利と輝かしい聖堂内陣。 彼が選んだ者達と彼の求道者達、それに私たち全員にもそれが与えられますように。

この力強い日に祭りを続ける彼らに栄光と名誉を。 Plousiane、Apa Polydoxus、Apa Pshai、Panai、Pshai、Jmnoute、Theona、そして同じくMaryの魂の勝利を。』

 

東部では、ソグドの商人が再び、商人のコミュニティを介して、現在シルクロードとして知られている場所に沿って宗教を伝える上で主要な役割を果たしました。主要なマニ教の中心地は、ササニド(Sassanids)の軍事地点を超え、ソグドの首都(Sogdian capital)サマルカンドに根付きます。ソグド人はウイグル人と共に天山山脈の北の首都に戻り、最終的に王を彼らの信仰に改宗させました。

王の支援の下、マニ教は西暦840年までウイグル帝国の国教とな​​り、その後数世紀の間、ローズウォーターの使用を伴う多くのトルコの信者を抱えていました。

 

西暦600年初頭、イスラム教はアラビア西部に出現しました。

ローズウォーターはイスラム教の宗教儀式で基本的な役割を果たします。アラブの征服は国際貿易ルートをたどり、その結果、イスラム法がますます国際貿易を支配しました。

西暦711年までに、アラブ人は中央アジア南東部でトランスオクシアナ(Transoxiana:ソグディニア)を征服し、ソグドの商人は、幅広い商業的な繋がりがある文化に属している利点を再び認識しました。西暦1368年のモンゴル元王朝の崩壊により、アジア横断貿易を非常に支持していた平和の時代は終わりを告げました。西方文化とのつながりが途絶えたため、ゾロアスター教、ユダヤ教、マニ教、キリスト教は中央アジアと東アジアから消えていきました。

 

西方教会と東方教会の聖書の中に詠み込まれている“イバラ”の文字が含まれている文章を抜き出してみました。最初の方が東方教会、後の方が西方教会の聖書の中に出てくる ”ばら” です。

正教会訳聖書
The Bible translated by Orthodox church of Japan,1902.

http://aqlfaal.starfree.jp/ から (一部現代語に変えました)

 

 

創世記

17 アダムに言へり、爾(なんじ)その妻の言葉を聴きて、我が爾に戒めて、此の実は食らうなかれと言いし木の実を食らいしに因りて、土は爾の為に詛(のろ)わる、爾は一生の間苦しみて之より食を得ん、

18 土は棘(いばら)と薊(あざみ)とを爾の為に生ぜん、又爾は野の草を食らわん、

19 爾は面(おもて)に汗して爾の食を食らい、爾が取られし所の土に帰るに及ばん、蓋し爾は塵にして塵に帰らん。

 

マトフェイによる福音書

22 棘の中に撒かれたる者は、此れ言葉を聴けども、この世のおもんばかりと貨材の惑いとその言葉を蔽いて実を結ばず。

23 沃壌に播かれたる者は、此言葉を聴きて悟り、実を結ぶこと或いは百倍、或いは六十倍、或いは三十倍び至る者なり。

ルカによる聖福音

14 棘の中に堕ちし者は、此れ聴きて去り、而(しかう)して度生(どせい)の慮(おも)んばかりと貨材の宴楽(たのしみ)とに蔽われて、実を結ばず。

 

エウレイ人に達する書

7 蓋(けだ)し、しばしば之に降る雨を飲みて、之を耕す者の為に用に適する野菜を生じる者は、神より祝福を受け、

8 荊棘(いばら)とアザミとを生ずる者は、用なくして、詛い(のろい)に近く、終には焼かれん。

 

ヘブル人への手紙
第6章

6:1そういうわけだから、わたしたちは、キリストの教の初歩をあとにして、完成を目ざして進もうではないか。今さら、死んだ行いの悔改めと神への信仰、 6:2洗いごとについての教と按手、死人の復活と永遠のさばき、などの基本の教をくりかえし学ぶことをやめようではないか。 6:3神の許しを得て、そうすることにしよう。 6:4いったん、光を受けて天よりの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となり、 6:5また、神の良きみ言葉と、きたるべき世の力とを味わった者たちが、 6:6そののち堕落した場合には、またもや神の御子を、自ら十字架につけて、さらしものにするわけであるから、ふたたび悔改めにたち帰ることは不可能である。 6:7たとえば、土地が、その上にたびたび降る雨を吸い込で、耕す人々に役立つ作物を育てるなら、神の祝福にあずかる。 6:8しかし、いばらやあざみをはえさせるなら、それは無用になり、やがてのろわれ、ついには焼かれてしまう

 

西方教会聖書

サムエル記下

23:3イスラエルの神は語られた、イスラエルの岩はわたしに言われた、
『人を正しく治める者、神を恐れて、治める者は、23:4朝の光のように、雲のない朝に、輝きでる太陽のように、地に若草を芽ばえさせる雨のように人に臨む』。

23:5まことに、わが家はそのように、神と共にあるではないか。それは、神が、よろず備わって確かなとこしえの契約をわたしと結ばれたからだ。どうして彼はわたしの救と願いを、皆なしとげられぬことがあろうか。
23:6しかし、よこしまな人は、いばらのようで、手をもって取ることができないゆえ、みな共に捨てられるであろう。
23:7これに触れようとする人は鉄や、やりの柄をもって武装する、彼らはことごとく火で焼かれるであろう」

 

伝道の書

7:6愚かな者の笑いはかまの下に燃えるいばらの音のようである。

 

引用し終えて比較してみると、表現に若干の差はみられるものの、内容に差はありませんでした。『いばらやあざみをはえさせるなら』と、聖書にはイバラとアザミはよくいっしょに出てきます。アザミとその生息環境をを一にしている植物にノバラが挙げられます。イバラを棘のある植物と解するのではなく、野バラと解釈しても良いのではと思います。一つだけ気になることは、キリストの権威の主張をあざけり、痛みを引き起こすためにキリストの頭にかけられた例の「トゲの冠」です。この棘のある植物とは一体何でしょうか。

                                                                       

   いばらの冠をかぶり十字架を背負ったキリスト、1580 エルグレコ画

 

マタイ伝から、 

28そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、

 29茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。 

30また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。

  

 

https://www.shutterstock.com/ja/image-photo/christ-plant-crown-thornes-euphorbia-milii-1204149652 

 

ハナキリン(花麒麟、 Euphorbia milii、別名Crown of thorns、Christ Plant)

通称は、イエスがはりつけの際に着用を余儀なくされたとげのある冠を指し、花の赤い苞は彼の血を表しているといいます。

トウダイグサ科の低木。茎が多肉で棘が密生しサボテン(特にモクキリン)に似ており、花序を包む苞が美しいので観賞用に栽培されています。変種が多い。葉は長さ3cmほどの楕円形で若い茎の先端付近に多数付き、生長すると棘となる。高くなると半つる状になり、這ったり、他のものにからまったりします。花は茎の先端に径1-2cmほどの杯状花序となり、1対の花弁状の苞があって、赤、橙、黄、白などに成る。切ると出る白い乳白色の樹液は有毒で、皮膚や目の炎症を引き起こす可能性があります。

一年中開花します。 マダガスカル原産ですが、古くからヨーロッパにはあったようです。多年草で、丈夫な灰色のとげと楕円形の葉が年をとるにつれて落ちます。 鉢植えの植物はかなり小さいですが、大きく枝分かれしたブドウのような茎は、2メートル以上の長さに達します。

 

 


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