最後に
これは以前にもご紹介した バシリウス ベスラーの銅版画です。3種類目の版がサイト上から見つかりました。赤、濃い朱、それに白い薔薇の花が描かれています。
Basilius Besler German | 1561 – 1629
同じ銅版画に3つの手彩色をした絵に納得がいかないので詳しく調べてみました。
上の白い薔薇の絵に関しては、詳しい説明が、https://www-ub.ku.de/cgi-bin/hortus-online.pl?dat=03.04. Fol. 94 : Vern Ordo 6, fol 1 にありましたので、それを『』内に引用しておきます。
『その魅力的な花と完全な香りで、庭のバラとして長い間人気がありました。ペルシャでは特に有名で、そこでの繁殖は早くから始まっていました。
バラの分類配置は今日に至っては、初期の段階で起きた交雑種についてはこれを正確に割り当てることは、非常に難しいことです。94、I; 95、I-IIII; 96、I-IIII; 97、I-IIII; 98 Hortus Eystettensis、I-IIII; 99、I-IIII ( https://www-ub.ku.de/cgi-bin/hortus-online.pl?dat=06.04. 参照 )
ヨーロッパで栽培されたバラは、その初期には、野生のドッグローズ、ローザカニーナ、ドッグローズ、ローザ コリンビフェラ(Rosa corymbifera)※、ビネガーローズ(vinegar rose)、ローザガリカが関与したと思われます。アジアのムスクローズも家系図の中で見つかるかもしれません。
十字軍を通して、そして中世にアラブ人によって占領されたヨーロッパの地域を通して、強い香りのダマスカスローズのような非常に人気のある他のいくつかのタイプが知られるようになりました。
薔薇園と貴重な薔薇園の痕跡を、古い文学書とそこで描かれた挿絵の中に見つけることができます。ビーナスに捧げられたため、愛の象徴であるだけでなく、愛する人への追悼の象徴にもなりました。
対称的な花の美しさ故に、薔薇はマリア ( ローザ ミスティカ, Rosa mystica:薔薇の聖母)のシンボルになりました。薔薇の花は殉教者の血を象徴していたことから、聖ドロテア(Saints Dorothea)、ロザリア(Rosalia)、エリザベス(Elisabeth)などのさまざまな聖人の伝説では、赤い薔薇がその役割を果たしました。
白い花の薔薇の下に描かれた2種のカタバミ(94、IおよびII)は私たちの固有種です。白く紫がかった花びらを持つカタバミ(94、II)と黄色い角のあるスイバ(94、III)は、葉に含まれるシュウ酸塩による酸味からドイツ名が付けられています。
Werner Dressendörfer: "The plants of Hortus Eystettensis. A botanical and cultural-historical walk through the garden year." In: Hortus Eystettensis. Commentarium. A cura di Klaus Walter Littger and others Sansepolcro: Aboca, 2006, pp. 58-274) アボカ博物館(Aboca Museum)』
※ ローザ コリンビフェラ(Rosa corymbifera Borkh) https://www.i-flora.com/en/fact-sheets/search-for-species/art/show/rosa-corymbifera.html
ヨーロッパ中部が原産。高さ;5~2.5 m、葉は奇数羽状複葉で灰緑色の小葉がつきます。花は淡いピンク色から白色で、ロサ カニーナに似ています。果実は卵形で、秋に赤く熟します。
ダマスクローズの拡大図。Fol 97.
編者バシリウス ベスラーまたはバジル ベスラー(Basilius Besler または Basil Besler、1561/2/13 – 1629/3/13、ドイツの薬剤師、植物学者、植物画家)は、ドイツ、アイヒシュテット (Eichstätt) の司教で植物愛好家の、ヨハン コンラート(Johann Konrad von Gemmingen)が造った庭園で栽培された植物を詳細に描いた『アイヒシュテット庭園植物誌』(Hortus Eystettensis)の植物画を描き、出版しました。上記の白い薔薇は『アイヒシュテット庭園植物誌』からの引用になります。
この『庭園植物誌』について少し説明をしておきます。
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