イタリアのローマ近郊で、そして古代ローマの世界で栽培されたバラの中で最も美しいのは、パエストゥム(Paestum)のバラだといわれています。パエストゥムは、イタリア南部のマグナグラエキア(Magna Graecia)のティレニア海(Tyrrhenian Sea)の海岸にある歴史ある古代ギリシャの主要な港でした。
パエストゥムは、現在は人口1,000人ほどの小さな街ですが、1998年に、ユネスコ世界遺産に登録され、古代ギリシャ、古代ローマ遺跡が残っています。街の名前は、ポセイドニア(Poseidonia)が訛ったもので、歴史の経由がハッキリとした街です。この街の歴史を精緻に見ていくことで、ダマスクローズ(?)の歴史を辿ってみようと思います。
パエストゥムのバラ園は、最初にウェルギリウス(通名Virgil、プーブリウス ウェルギリウス マーロー、Publius Vergilius Maro、BC70/10/15? –BC19/9/21 、ラテン文学の黄金期を現出させたラテン語詩人の一人,『牧歌』、『農耕詩』、『アエネーイス』の三作品によって知られ,ラテン文学において最も重視される人物)によって一躍有名になりました。ウェルギリウスは、農耕詩(4,119)で、パエストゥムを( biferique rosaria Paesti 2度咲きの薔薇園?)であると詠みました。しかし、「biferique」をどういう意味で使ったのでしょうか? 通常薔薇が年に2回開花することを意味すると考えられますが、ヨーロッパでは16世紀に輸入されるまで年に2回開花するバラは知られていません。たった3つの言葉で、ウェルギリウスは今尚学者やバラの愛好家を悩ませています。
ウェルギリウスの農耕詩(4,119)から、
そして、労働の終わりに向かって帆を引き、
こうして船首を陸に向けようと急いでいなかったなら、
おそらく私は庭を彩る花の世話と
二度の実りのパエストゥムの薔薇の花壇(biferique rosaria Paesti)を
詠うかもしれない、
そして どのようにエンダイブが小川の流れを、
セロリで緑色になった土手を楽しんでいるかを、
そしてどのようにキュウリが草の中で太くなったかを。
また、咲き遅れた水仙、そして曲がったアカンサスの茎と
淡いアイヴィと海岸が好きなマートルついて黙ってはいなかったでしょう。
歴史と悲劇の二人の詩神とウェルギリウス(3世紀のモザイク)http://www.lucidamente.com/1391-si-cela-un-ramo-doro-nelle-foglie/
そして、魅力的なオード(頒歌、9.60)を詠ったマーシャル※は、パエストゥムの薔薇で花輪を作るべきかどうか疑問に思ったようです。しかし、彼が自分の庭の薔薇を使ったとしたら、これはもっと美しく見えたのではないでしょうか。
Marcus Valerius Martialis
※ マーシャル( Martial, マルクス ウァレリウス マルティアリス, Marcus Valerius Martialis, 40/3/1? – 102 ?, ヒスパニア カラタユー出身のラテン語詩人、古代ローマ皇帝ドミティアヌス、ネルウァ、トラヤヌスの統治期間にあたる86~103年の間に発表された12巻のエピグラム(エピグラムマタ、警句)で知られています。
マーシャルのピグラム(頒歌、9.60)、ブックⅨ. ボンの古典図書館蔵(1897)
http://www.tertullian.org/fathers/martial_epigrams_book09.htm から
- CAESIUS SABINUS ( ルキウス ウェルギニウス ルフス, Lucius Verginius Rufus, AD 14~- 97年, ローマ帝国 ユリウス クラウディウス朝、フラウィウス朝時代の軍人、マーシャルの友人 ) に送られた薔薇の冠について。
あなたはペストゥムの野で作り出されたのか、
それともチボリ(Tivoli)の庭で育てられたのか、
あるいはタスカルム(Tusculum)の平原があなたの花で飾られていたのか。
ベイリフの女がプレネスティンの庭(Praenestine garden)であなたを摘んだのか、あなたは最近カンパニアヴィラで光り輝いていただろうか、
あなたは私の友人サビヌスにはもっと美しく見えることでしょう、
彼にはあなたが私のノメンタン(Nomentan)の地から来たと思わせてください。
チボリ(ティヴォリ)のマエケナス別荘、ドイツ人画家ヤコブ フィリップ ハッケルト1783 画。
ティヴォリ( Tivoli)は、イタリア共和国ラツィオ州ローマ県にある都市で、ローマの東約30kmに位置します。古代ローマ時代から保養地として知られ、ハドリアヌス帝や多くの貴族たちによって別荘(ヴィラ)が営まれました。ヴィッラ デステ(エステ家の別荘)とヴィッラ アドリアーナ(ハドリアヌスの別荘)のふたつが、ユネスコの世界遺産に登録され、多くの芸術家によって、この地を題材にした作品が作られています。
ローマのタスカルムとアルバーノ山脈の円形劇場
ワージントン ウィットレッジ、1860画、油彩、スミソニアン アメリカ美術館蔵
イタリアの古代都市プリーネスティンの庭 Praenestine garden
ノメンタの橋 Ponte Nomentano by Giuseppe Vasi, c. 1752.
ノメンタ道路はイタリアの古代の道で、ローマから北東にNomentum(ノメンタ
、現代のメンタナ)までの23 kmを北東に走っています。
オウィディウス
プーブリウス オウィディウス ナーソー(Ovid , Publius Ovidius Naso, BC43/3/20 – AD17,18)は(変身物語、Metamorphoses 15、708)で、Propertius(セクストゥス アウレリウス プロペルティウス(Sextus Aurelius Propertius, BC50年頃 - BC15年頃、ラテン語の哀歌詩人)も詩的にパエストゥムのバラ園を歌いあげ、Pliny(Natural History 21)はカンパニアのバラ園について論じ、Columellaもパエストゥムのバラに注目していました。
オウィディウスのBook 15 Myscelus. Croton. MYSCELUS BUILDS THE CITY OF CROTONA から、
ギリシャ神話に基づく、深い意味合いを持つ言葉です。ここでは解説をしませんが、興味のある方は、時間をかけて調べてみてください。固有名詞は、全て検索できるように括弧内に書いておきました。ギリシャ神話通に近づくことができます。
そこで彼は、ラシニアン岬(Lacinian Cape)を避け、
女神ジュノの神殿(Juno's shrine)を越えて、
シラセアの海岸(Scylacean coasts)を後にした
イアピギュア(Iapygia)を後にし、左にAmphrysianの岩を避け、
反対側のコシンシア(Cocinthian)の岩山を回避した
シチリアの海を渡り、海峡を通過した
ペラロス(Pelorus)を通り過ぎ、アエオルス(Aeolus)を、
テメサ(Temesa)の銅鉱山を
それからロイコシア( Leucosia)に向かって
そしてバラで有名な、穏やかなパエストゥム(Paestum)に向かって
カプリ島(Capreae)と周辺のミネルバ(Minerva)の岬と丘を
そこから、ブドウで名高いサレンティン(Surrentine)へ
さらにヘルクラネウム(Herculaneum)とスタビアエ(Stabiae)へ
そして、パルテノペ(Parthenope)を慰めようと
クマエのシビルの寺院(Cumaean Sibyl's temple)の近くを航海した
ウォームスプリングス(Warm Springs)とリンターナム(Linternum)を通過した
そこでは、マスティックの木が成長し、
川は、厚い砂が小川の中で渦巻くヴォルトゥルヌス(Volturnus)、
砂が渦となって流れ
シヌエッサ(Sinuessa)の白い砂浜の上に、
そこからアンティウム( Antium)とその岩の海岸へ
プロペルティウスと恋人シンシア Auguste Vinchon( 5 August 1789 – 1855、 a French painter)画
明らかに、パエストゥムからローマへのバラの主要な市場があったに違いありません。悲しいことに、パエストゥムのバラはすべて枯れてしまいましたが。
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