島田伸介と石坂浩二が司会の長寿番組「鑑定お宝、何でも鑑定団」
たまに、見るととても楽しくなります。
出演者の一喜一憂が面白い。
人間って不思議な生き物です。
先祖から代々伝わった骨董品。本物で何千万円もすると思っていたものが、お情けの1万円だったり、どうみてもただのゴミかと思うような品が数百万円てなことも。
そんな夢のような現実の話です。
■盗難されて何年間も行方不明だったメキシコの画家ルフィーノ・タマヨによる傑作がマンハッタンで発見されたそうです。その絵が見つかったのはゴミを入れるコンテナの中で、拾った人は当初その価値について全く知らず、家に飾っていたとのこと。
発見者は廃棄された骨董品を拾って家に持ち帰るのが好きな作家、Elizabeth Gibson。Gibson氏は4年前にアッパーウエストサイドで絵を発見して家の壁に飾っていたそうです。しかし、絵を拾ってから数ヶ月後、ルフィーノ・タマヨのサインが入ってあることを見つけました。
約1年後に友人からルフィーノ・タマヨの作品が50万ドル(約5700万円)で売れたことを聞いて、友人の持っていた美術本を見せてもらうと表紙には壁に飾っていた絵「Tres Personajes」が載っていました。ラテンアメリカのアートを専門とするギャラリーに問い合わせてみると、彼女の持っている絵は本物でだということが判明。1977年にヒューストンの実業家が妻にプレゼントとして贈ったもので、夫婦が引っ越した後に保管庫から盗まれ、以降何年間も行方が不明だったそうです。彼女が絵について調べてみると、だいたい100万ドル(約1億1400万円)ぐらいの価値があると分かりました。
「Tres Personajes」は元の持ち主に返却され、来月サザビーのオークションに出品される予定。Gibson氏は最初に絵が盗まれた時にかけられた懸賞金に手数料を加えた1万5000ドル(約170万円)を受け取るそうです。■
あなたが、発見者だったらどうなさいますか?
その作品の価値を考えたら、たくさんの人の目に触れ、感動を広めていく事が正しい道でしょう。納まるところに納まったというところでしょうか。
ご自宅の押入れの中に、何か眠っている可能性も・・。
今度のお休みに、少し早い大掃除はいかがですか?【笑い】
■Rufino Tamayo/ルフィーノ・タマヨ
1899年8月26日メキシコ・オアハカ生まれ。両親はともにサボテカ・インディアン。美術学校に入学するが、保守的な教育法に飽き足らず退学し、メキシコ市の国立考古学博物館民俗学素描部長として働く。アステカ、マヤ、トルテカの彫刻はのちのタマヨに大きな影響を与えた。主にニューヨークとメキシコで作品を発表。1950年にはヴェニス・ビエンナーレに参加し、ヨーロッパでも好意的に受け止められる。1991年死去。
木曜、土曜は笑顔でお迎えしますので。
三田の気温は、平地よりも2から3度は低いと思われます。少し厚着して来て下さいねー。
お待ちしております。
三田店、ちょっと行ってみたくなりましたよ~。
そういや最近ご無沙汰だし。
そろそろパワーチャージの時期かな~。
また伺いま~す。
よいコピー=セールスとはいかないのが、厄介なところ。
熊野の郷、至福の時になればよいですねー(笑)
そういう女性になりきって、私小説のように書く。一度、書き上がると、一旦、文面から一歩退いて、今度は俯瞰レンズで、その情景をイメージしながら文面を読み解いていく。主観の文章に、客観性を持たせる事が必要になるからだ。ストーリーではなく、ストーリーコピーを書いている以上、最後はアントゥンのイメージアップに帰着しなければならない。エゴイスティックに見える文脈の中に、共感性と共鳴性を得るセンテンスが必要になる。オブジェになる、なんて大それた事、世の28歳女性のほとんどがそう思うかしら。思ってないんだったら思わなきゃ。じゃないと、付き合う男も、好きになるお店もファッションも変わらないよ、って。ある種のスローガンを込めたメッセージにすると、その目的は到達できる。アントゥンという店を、どうしたら好きになってもらえるか、どんな女性に来てほしいか。俯瞰のレンズは、そういう理想の女性が入店していく様をも、眺めている。そして、横顔のビジュアルの、そのインパクトに対峙できるだけのコピーが完成する。ビジュアルをより具象化するために存在できる文字列でなければならない。オーナー、このコピーがより強力なセールスプロモーションに繋がる事を祈ります。このコピーの方向性をご理解いただけた事に感謝します。筆者は、今日とても幸福を感じたのでした。3度のリライトを要求されても、ずっと幸福だったのです、僕は。隣人の幸福は、私の幸福になる。今から20年ほど前、僕がペエペエだった頃、はじめて書かせてもらった「ベストガイ」という邦画のポスターと劇場販売用パンフのコピーの仕事を思い出しました。主演の織田裕二はまだ22、3歳の頃で、デビュー仕立て。まだ、ガチガチの演技で、試写会で観た時には何の糸口もつかめない映像で、トップガンの日本版リメイクてな感じでした。けど、僕が織田裕二だったらこんな風に書いてほしい的な感じで書いたら、いけました。駄目だしがなかった事にではなく、自分のコピーに対するスタンスの取り方とかイメージングが間違ってなかった事に。如才なく、脈々と続くこのコメントに、そろそろ苛立ちを感じておられると思いますのでこの辺で失礼します。今度、ホントに熊の郷、誘ってくださいね。よろしくです。3日前あたりに言ってもらえれば調整つかせますので、お願いします。