『夜になると、ウイスキーを手に読書をする両親を眺めて育った』
(小説家:高村薫先生)
これは今日の夕刊に載っていたウイスキーの広告記事の一文。
ちょっと気になったんで書き出してみた。
この話がいくつのときかはわからないのだけど、『育った』という単語から、幼い時を連想した。
幼子をほったらかして、酒を呑みながら読書する親ってどうよ?
いや、もちろん、子供を寝かしつけた後なのかもしれない。
子供が部屋に入った後の話かもしれない。
あるいは幼いといっても小学生以上で、手間がかからなかったということか。
いずれにしろ、『両親』共に自分の時間を大切にしていたということだ。
しかも、『見た』ということは自室にこもっての話ではなく、例えば応接間などで二人して各々酒を呑みながら、読書に熱中していたということか。
ふむ。高村先生の家庭の事情は知らないが、それはそれでおかしな夫婦、と思うのは僕だけ?
(小説家:高村薫先生)
これは今日の夕刊に載っていたウイスキーの広告記事の一文。
ちょっと気になったんで書き出してみた。
この話がいくつのときかはわからないのだけど、『育った』という単語から、幼い時を連想した。
幼子をほったらかして、酒を呑みながら読書する親ってどうよ?
いや、もちろん、子供を寝かしつけた後なのかもしれない。
子供が部屋に入った後の話かもしれない。
あるいは幼いといっても小学生以上で、手間がかからなかったということか。
いずれにしろ、『両親』共に自分の時間を大切にしていたということだ。
しかも、『見た』ということは自室にこもっての話ではなく、例えば応接間などで二人して各々酒を呑みながら、読書に熱中していたということか。
ふむ。高村先生の家庭の事情は知らないが、それはそれでおかしな夫婦、と思うのは僕だけ?
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