『人のココロがわかればいいのにね』
昔読んだ恋愛漫画に、確かそんなことが書いてあった。
そりゃぁ、まぁ、人のココロが詠めればいいことも沢山あるかもしれないけど、実際のところ嫌なことも多い。
相手の退屈にさせてしまってるな、とか、不快にさせてしまった。気遣いで無理して笑わせてしまっている、とか、相手のココロが読めてしまうと気苦労も多い。
そして僕は相手のココロがわかる。
もちろん全てではないけれど、顔の表情や仕種。雰囲気からだいたいのことは察することができる。メールやチャットからだってわかる。
わかるから、凹むことや疲れることが多い。
だから僕は思うんだ。
人のココロなんか読めなければいいのに。
そうすれば、変に気を使うこともなく、もっと自然体で人と接することが出来るのに。その結果を気にせず、もっと優しくすることが出来るのに。
人のココロがわかる。
確かにそれgは幻想だけど、わかると思い込んでしまっている限り、幻想は真実となる。そして自身の創り出した真実に振り回されてしまう。
そういう意味も含め、
あなたのココロがわからなければいいのにね。
昔読んだ恋愛漫画に、確かそんなことが書いてあった。
そりゃぁ、まぁ、人のココロが詠めればいいことも沢山あるかもしれないけど、実際のところ嫌なことも多い。
相手の退屈にさせてしまってるな、とか、不快にさせてしまった。気遣いで無理して笑わせてしまっている、とか、相手のココロが読めてしまうと気苦労も多い。
そして僕は相手のココロがわかる。
もちろん全てではないけれど、顔の表情や仕種。雰囲気からだいたいのことは察することができる。メールやチャットからだってわかる。
わかるから、凹むことや疲れることが多い。
だから僕は思うんだ。
人のココロなんか読めなければいいのに。
そうすれば、変に気を使うこともなく、もっと自然体で人と接することが出来るのに。その結果を気にせず、もっと優しくすることが出来るのに。
人のココロがわかる。
確かにそれgは幻想だけど、わかると思い込んでしまっている限り、幻想は真実となる。そして自身の創り出した真実に振り回されてしまう。
そういう意味も含め、
あなたのココロがわからなければいいのにね。
小説を書く上で必要なことですね。登場人物の感情を表現するにはちょっとした態度や表情、その人特有のクセなどをもちいるでしょう?日ごろから、無意識にその練習をしているのかな?
というか、それは、一つの才能だと思います。
我が家の主人にkouさんのつめの垢を飲ませたいくらいです。。。
鈍感すぎます。
kouさんは、感受性が強いのでしょう。それは、時につらくもあるでしょうけど、そのおかげで小説の中の人物がイキイキとなるのではないでしょうかね?
だから、それは‘kouさんらしさ’だと思います。
でもそれは洞察力とか関係なくて、つまり他人の目を気にするようになったってことなんだ。
いま相手はなにを考えているだろう。相手を傷つけてはいないかな。いま欲していることはなんだろう。
そんなことを考えるようになったってことなんだ。
それは無駄な行為なんだよ。
だって、本当に大事なことは相手がどうかってことじゃなく、自分がどうしたいかってことなんだし。最終的にはきっと僕は相手の意向を無視してやりたいようにやるだろうしね。
だから、相手のココロなんかわからなくていいんだ。そんな幻想はいらないんですよ。
ちなみに、ちーこさんの旦那様が鈍感とは限りませんよ。気づいているけど、なにをしていいのかわからないだけかも。気づいているんだけど、ちーこさんを信頼して、なにも云わないでいるだけかも。
僕が見聞きした限りの話ですけど、きっとそういう男性は多いと思います。
他人の感じていることとか、気にし始めると、不都合が生じます。
で、これの解決方法の一つに、「無視」があります。
自分の感覚を、消し去るんです。
楽ですよ。何も聞こえなくなるから。
その代わり、自分自身の声も聞こえなくなっちゃう。
どんどん、自分自身に対しても鈍感になっていくんです。
そういうわけで、あんまり敏感すぎるのも、鈍感すぎるのも、生きていくのには不都合です。
そんな不都合を、ちょっとオセロみたいにひっくり返して都合よくする一面が、書くとか表現するという行為の中にはあるのかな、なんて感じる瞬間があります。
やっぱ小説書くのって、楽しいですよね。
見えなければ、気にすることも無視することもないのだから。
あなたのココロが見えさえしなければ、僕が僕であることがどれほど簡単だったことだろう。