めんどりおばあの庭

エッセイと花好きのおばあさんのたわ言

年を重ねて思い知る

2014-10-08 20:24:01 | 日記
                                   
                      
午後から庭の柿の実を採ってみようと思い立った。
  いつもの年だと10月の終わり頃が食べ頃なのだが、だいぶん色づいている。

  高枝鋏で届く範囲の枝を切っていると、親方さんのお出ましだ
  案の定、作業がやりにくくなる。
  青い実を採ったり、下に落として割ったりと可成りのロス。
  赤くなっているのはヘタ虫のせいだ。
  トロトロに熟していて、ちょっと触れるとぼとりと落ちる。
  そんなのが何十個も。

  親方、楽しそうに作業しているので、私は他の仕事へ。
  この間まで香りを漂わせていた金木犀の剪定をする。

  季節の移ろいの早いことをしみじみと思う。
  
  散歩途中、山茶花が咲いているのを見かけたが、庭の山茶花はまだ蕾み。
  いつも、木枯らしが吹き始める頃に咲く。

  最近は庭仕事も2時間が限度。
  一日中やっていても平気だったのにと情けなく思うが、無理をしないことに決めた。
  「お先に~」 と、親方に声を掛けて家に入った。
  どうせ、親方、止めるように言ったって聞く耳持たない方ですから
  まもなく、親方、歯医者さんの予約が入っているからと作業を切り上げてきた
  あら、そうでしたね。私の方が忘れていた。
  物忘れと言えば、私、最近不安で仕方がない。
  昨日も、コーヒー豆屋さんで、挽くのを頼んで近くの郵便局に行ったのだが、
  用足ししているうちにコーヒー豆のことをすっかり忘れてしまった
  銀行へ回ろうとて、はっと思い出してお店に引き返したのだった
  これって、物忘れとは言えない症状のような気がするのだ。


  親方は歯医者さんに。珍しく徒歩で行きました
  いい心がけですね。

  私はおでんの仕込み取りかかる。

  今夜はおでん。今年2回目の
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素晴らしいニュース

2014-10-08 10:40:03 | 日記
                                     
居間に太陽の光が燦々と降りそそいでいる。
   眩しくてカーテンを閉めた。
   南の角地の我が家はおんぼろだが日当たり良好。

   昨日は素晴らしいニュースが飛び込んできた。
   日本の学者三人がノーベル賞を受賞したのだ。

   「おい、母さん、テレビを視ろ」
   親方が、台所にいた私を呼んだ。
   テレビの画面では、号外が飛び交っている。
   誰か、有名な方が急逝されたのかと思った。
   最近、良いニュースがないのでつい、悪い方へ考えてしまう。
   三人の学者さんが青色LEDを作り実用化につなげられたのだ。

   親方、得々として青色LEDについての説明をする
   
   普段はおとぼけ親方だが、こういうことに詳しい。
   いつも、新聞を隅から隅まで読んでいる。   
   政治、経済何でもござれだ。
   どこそこの株が上がっているとか下がったことまで。
   でも、株で儲けたことはない。
   親方が買うと、そこの会社はつぶれてしまうのだ。
   ささやかな買いだが、どれだけ損したことか
   
   まあ、それはさて置き、喜ばしい二ユースだ
   名古屋は私にとって、第二の故郷みたいなものだ。
   名古屋大学と名城大学にも縁がある。
   親方と同い年の私の恩師は名古屋大学の名誉教授。
   名城大学は名古屋城の傍にあり、そこの学生に連れられて行ったことがある。
   学生時代は名古屋大学の学生と合コン、合ハイしたり、合唱したり。
   もてるのはいつも、美人の友人だったが。
   私はつまらなくて、途中で抜けだしたものだ。
   ワアワア、はしゃぐのが苦手だった。

   久し振りに青春時代を思い出した。
  
   嬉しいニュースは楽しいことにつながりますね。




   
   
   
   

   
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やりきれない・・・

2014-10-08 01:10:00 | 日記
                                    
                      
親方が怒っている
 「また、これ持ってきたよ。こないだ断ったのに」
 年賀状の注文用紙だ。毎年、今の時期になると郵便配達の方が持ってくる。
 「いりませんとお断りすればいいでしょう」
 「ああ、喪中だからいらないと言ったさ。そしたら、喪中のハガキもありますだってさ」
 「あら、喪中は昨年、出したでしょう。何で、喪中だなんて言うの」
 「年賀状なんて出す気分じゃないからさ」
 「でも、喪中だなんて・・・ 気持ちは分かるけど・・・」

 娘が逝って一年五カ月が過ぎた。
 この春までは、気が変になるのではと思うほど落ち込んでいた
 娘が度々、夢に出てきた。
 娘が天国で心配しているのではと思い、前向きになろうと心に決めた。
 日々、前向きに明るくと自分に言い聞かせながら生きている。
 それでも、時々、心臓をわしづかみにされるような悲しみが襲ってくる。
 それを心の奥底に閉じ込める。
 
 他人に同情されたくない、強気な私がいる。
 親方の前では悲しい顔を見せないようにしてきた。
 親方も私と同じ気持ちだろう。
 夫婦で冗談を言い合い、馬鹿なことをして明るく振る舞っている。
 ドジな親を娘が天国で笑っているような気がする

 気づくと、昔の歌を口ずさんでいた。
 それまでは音楽を聴くとだったのに。
 元気になれたのはブログのお陰かも。

 しかし、このところ、また、眠れない日がある。
 御嶽山の噴火で犠牲になられた方々のことを思うと、娘と重なり胸が痛むのだ。
 残されたご家族の深い悲しみ、我がことのように思える。
 世の中、不条理なことばかり。

 親方に提案した。
  年賀状は頂いた方にだけお返事を出しましょうよ。
  年賀ハガキはよして、手作りカードを作りましょう。
  あの子の撮ったお花の写真をパソコンで印刷して手書きのコメント添えてね。
 でも、親方は生返事
 まあ、急いで決めなくてもね。
 親方の気の済むようにいたしましょうか。
 のんびりといきましょう。

  この投稿、ずっと保留にしていました。
       読まれた方が当惑なさるのではと案じて・・・     
         最後まで読んで下さいましてありがとうございます。
  
                    

 
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