私が子供の頃のお話を。
通りの向こうから、カチカチと拍子木の音が聞こえてきた。
妹のお守りをしていた私は急いで窓から外を覗く。
同級生の男の子が拍子木を叩きながら歩いてくる。
私と同い年でこの春、小学生になったばかりだ。
紙芝居はいつも彼の家の座敷で行われていた。
「紙芝居が始まるよ~」
彼は得意満面で拍子木を打ちながら叫ぶ。
彼の後ろをぞろぞろ子供たちがついて行く。その中に2歳下の弟の姿があった。
「お姉ちゃん、紙芝居屋さんが来たよ」
弟が庭から入って来て、窓の下から背伸びをして告げる。
「言われなくても分かっている」
行きたくて、うずうずしていた私は不機嫌そうに答える。
横で、編み物をしている母に、なかなか言い出せないからだ。
手先の器用な母は娘時代に習った洋裁、フランス刺繍が得意であった。
最近、編み機を手に入れたばかりで、編み物の頼まれ仕事が繁盛していた。
ハイハイを始めたばかりの妹は目が離せなくて、彼女のお守りが私の役目だった。
「ねぇ、お母ちゃん」
手の込んだ模様編みの編み目を数えている母は聞こえ振りだ。
「みいちゃんをおんぶして行くからいい?」
「仕方がないわねぇ」
母は負ぶい紐で妹を私に背負わすと、財布から紙芝居代の小銭を渡してくれた。
通りを隔てた紙芝居の行われる家に急ぐ。弟が嬉しげにちょこちょことついてくる。
広い座敷には、その界隈の子供たち十数人が座って塩煎餅をかじっている。
私は早速、紙芝居のおじさんに小銭を渡す。
白い煎餅に水飴を塗ると、もう一枚、煎餅を合わせて渡してくれる。
普段、お腹を壊すからと、買い食いを許されない私と弟にとって、紙芝居屋さんの
駄菓子が唯一の楽しみだった。
母はどんなに忙しくとも手作りのおやつを食べさせてくれた。
ドーナツ、蒸しパン、さつまいもの茶巾絞り。それらはどれも美味しかった。
しかし、私は、友だちがペロペロと舐めている食紅をたっぷり使った棒付き飴とか、
自転車に箱を乗せ、からんからんとベルを鳴らして売りに来るアイスキャンデー屋さんの
丸い筒状のアイスキャンデーに憧れていた。
一度、友だちにダルマの形をした棒付き飴を貰って食べたら、口の周りが赤くなり、
母にばれてひどく叱られた。
紙芝居はいつものように、「黄金バット」だ。
黄色いどくろ仮面に黒いマント。お決まりのあらすじだ。
戦後間もない娯楽の少ない時代だった。子供たちは紙芝居に熱中していた。
黄金バットに悪者がやっけられると拍手して喜ぶ。
その頃、父が買ってくれた「青い鳥」を愛読していた私は、他の子供たちのように
紙芝居に入り込めなかったが、何故か、拍子木の音を聞くと心が躍ったのである。
紙芝居のおじさんの大仰な台詞回しを聞きながら、みんなの輪の中にいるという
安心感を味わっていたのであろうか。
それとも、おまけの駄菓子が魅力だったのであろうか。