昨日、東京芸術劇場で公演された、サン・サーンスの『サムソンとデリラ』を観てきました。
友人がパーカッションで出演していることと、演題が旧約聖書の士師記を基にしているとのことでとても楽しみにしていたオペラです。
私は音楽のことは全くの素人ですし、劇場の音響についてもよくわかりませんが、オペラ歌手の声量に驚嘆し、オーケストラの迫力にはただただ圧倒されてきました。
コンサートオペラ(いわゆる演奏会式のオペラ)のため、オーケストラが舞台上に、後方にコーラス、随所に数人のオペラ歌手が場面に合わせて動きながら・・・という簡単な形式ではありましたが、かえって歌と音楽が引き立っていたようにも思います。(素人目ですが)
あと、せっかくの聖書の題材なので、ここはちょっと別の観点から感想を書いておこうかと思います。
旧約聖書については詳しくないのでボロが出ない程度に・・・(笑)
内容はあくまで聖書をベースにしているものの、オペラ用にかなり脚色されていたり聖書とは違った内容に仕上がっていました。
まず、デリラがサムソンを誘惑してサムソンの(神との)秘密を探ろうとする場面。
オペラではサムソンが「信仰とデリラへの思い」との間で揺れ動く様が描かれていますが、聖書の中では何度も(秘密について聞かれても)デリラに嘘をついた挙げ句「来る日も来る日もしつこく迫ったので、それに耐えきれず死にそうになり、一切を打ち明けた」となっています(笑)
要するに色恋に負けて主との約束を裏切ったのではなく、もう面倒くさくなって話した・・・という訳です(笑)。
でも、やはりオペラとして楽しむには人間的な色恋が主題にあったほうが受け入れられやすいのかもしれません。
旧約聖書を読んだことのあるかたであれば、この「サムソンの裏切り」と「主の赦し」という部分は、この時だけに限らずこれまで何度も繰り返されてきた(またこれからも繰り返される)「イスラエルの民の裏切り」と「主の赦し」と同じであることがわかると思います。
つまり単なる「一個人の信仰心」と「女への思い」との板挟みではなく、過去繰り返されてきた人間の裏切りと、それを赦し続ける神との図を切り取ったものとも言えるでしょう。
ただ、オペラとして身近な題材を純粋に楽しむには不要なところかもしれませんね。
今回一番気になったのが、イスラエルの神(=旧約聖書の神)を字幕で「エホバ」と記載していたところ。
もともと聖書では主の名を呼ぶことを畏れ「YHWH」という4文字で表していたところ、誤訳で「エホバ」と読んだもので、正しくは「ヤハウェ」と読む、というのが通説です。
「エホバ」という固有名詞は「エホバの証人」やモルモン教の経典の中でも出てくるようで、日本人の耳には聞き慣れたものかもしれませんが、だからこそ、ここはきちんとした訳を使ってほしかったです。
というわけで、これを機に他のオペラも観てみようかなと思いました。