映画『新聞記者』を観てきました。
東京新聞の記者である望月衣塑子氏の同名のノンフィクションが原作となっています。
なかなか映画に行く時間が取れなかったので書籍版を先に読んだのですが、書籍は自伝的な内容のため、あくまで記者側の目線から書かれています。
実際の取材がどうやって行われてきたのか、どんなことがあったのか、そこで何を感じそれをどう乗り越えてきたのかなど、1人の人間として、また記者、ジャーナリストとして著者が成長していく過程を読者が共に辿るように描かれています。
一方、映画の方はどちらかというと官僚側の視点で描かれていました。
人事権を握られている官僚にとって、「上からの命令」は絶対。
そして権力者が何かを思い通りにしたい時、その相手自身を攻撃するのではなく相手の大切にしているものを攻撃することのほうが格段に思いのままにできるということ。
国家・国益という名の下ではあまりにも個人は無力。
そして今の日本は、全体の利益(個人的に全体かどうかは疑問は残りますが)が、あたかも個人の幸福よりも優先すべき事のように思わされている向きがあります。
だからこそマスコミは弱者の側に立つ視点が重要だし、「今あること」を垂れ流している(それどころか今は情報を流しすらしていませんが)だけでは存在意義はないわけです。
飴をもらえば自由が奪われるということを、報道機関は肝に銘じるべきでしょう。
ただ最後、書籍も映画もわずかな希望を匂わせる場面があるのが少しの救いかもしれません。
東京新聞の記者である望月衣塑子氏の同名のノンフィクションが原作となっています。
なかなか映画に行く時間が取れなかったので書籍版を先に読んだのですが、書籍は自伝的な内容のため、あくまで記者側の目線から書かれています。
実際の取材がどうやって行われてきたのか、どんなことがあったのか、そこで何を感じそれをどう乗り越えてきたのかなど、1人の人間として、また記者、ジャーナリストとして著者が成長していく過程を読者が共に辿るように描かれています。
一方、映画の方はどちらかというと官僚側の視点で描かれていました。
人事権を握られている官僚にとって、「上からの命令」は絶対。
そして権力者が何かを思い通りにしたい時、その相手自身を攻撃するのではなく相手の大切にしているものを攻撃することのほうが格段に思いのままにできるということ。
国家・国益という名の下ではあまりにも個人は無力。
そして今の日本は、全体の利益(個人的に全体かどうかは疑問は残りますが)が、あたかも個人の幸福よりも優先すべき事のように思わされている向きがあります。
だからこそマスコミは弱者の側に立つ視点が重要だし、「今あること」を垂れ流している(それどころか今は情報を流しすらしていませんが)だけでは存在意義はないわけです。
飴をもらえば自由が奪われるということを、報道機関は肝に銘じるべきでしょう。
ただ最後、書籍も映画もわずかな希望を匂わせる場面があるのが少しの救いかもしれません。