三日月ノート

日々の出来事を気ままに。

【読了】感情と介護

2017年12月30日 20時46分13秒 | 書籍

6年前に読んた書籍の再読です。

副題にもあるとおり、看護師だけでなく教師や介護職、コールセンターや、自宅で介護に携わっている人たちにも色々な気づきを与えてくれる本だと思います。

筆者は「疾患(disease)」と「病い(illness)」を区別し、感情が労働の大きな要素を占めている職業を「感情労働」と呼び論述していきます。

特にこの「感情労働」に不可欠な要素として、①対面・声による人との接触があること、②相手に感情の変化(安心・感謝など)を起こすこと、③会社や管理する側は労働者の感情をある程度支配する必要があることとしています。

全編を通して患者と看護師との関係が例として挙げられており、現場で起きる事象は個人では解決しにくい無意識の部分に負うところもある点や、問題点がなかなか明るみに出ないのは構造的な問題があるという点を指摘しています。

これらはあまりに大きな問題ですから、本書から特効薬のようなものを期待することはできませんが、これまで問題視されてこなかった部分を明るみにするだけでも貴重な事だと思います。

本書は看護職に焦点を当てていますが、病院内での患者と看護師との関係で見えてくる問題は、そのまま介護福祉施設での老人と介護職のかたとの関係に置き換えて考えることもできるかと思います。

共通するのは、健康であればどうしても直視したくない病や死、老いなどと非常に近い場所にある仕事である事、人と人との関係が非常に緊密だということでしょう。

結びに「負の能力」(不確かさや疑いの中にあって、早く事実や理由を掴もうとせず、そこに居続ける能力)に言及していますが、これは生きている限り誰もが必要とする能力で、この能力は精神的な成熟度を測る一つの指標でもあると思います。

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この寒いのに。。。

2017年12月30日 11時05分49秒 | リンとまくる

ベランダを開けて洗濯物を干そうとしたら、早速出て行きました。


朝陽が強すぎてうまく写真が撮れません。

寒くても太陽が出ていたら外に出たいみたいですね。

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サヨナラ教会、復活の日まで

2017年12月29日 09時19分48秒 | 宗教
離婚&再婚に関するカトリック教会の教義については過去ブログに記載したとおりで、先日、主任司祭とは、教会を転籍するときに名字をどうすべきか話しをしていたところでした。
(過去の記事はコチラ→(その1)→(その2)→(その3

司祭との面談後、色々と考えた末、私は教会とは距離を置くことにしました。
カトリックの教義からすると、私の方こそ破門に値するのかもしれませんが。

そして、次回の面談のキャンセルをお願いするため、司祭へは手紙を書いて送ることにしました。
長文ですが、こんな感じです。

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お伺いしました際には、A教会から自宅最寄りの教会(B教会)への移籍に伴って、離婚、再婚による氏名の変更の取扱い(旧姓:C、婚姻時:D、現在:E)についてお調べいただけるようお願いしているところでしたが、あれから諸々検討いたしまして、教会の籍はそのままにしておきたくご連絡致しました。

現状、カトリック教会における婚姻が有効であり、現在、再婚しているという状況から、カトリック教会の教義に照らし、聖体拝領等の秘跡にあずかることはできないという事は厳然たる事実であり、それを知ってしまった以上、知らなかった事にはできないと思っています。

教会としては、それでも教会共同体へ参加する意義はあるという考えのようですが、現実としてミサに参加した際に、聖体拝領せずに黙って座っているということがどういう事を引き起こすか申し上げるまでもないと思います。

また、そのような状況であり今後もその状況が変わる事がない以上、私にとって教会に行く事には何ら意味を見いだせないというのが結論です。

もちろん「教会に行く義務がある」という考えがあるのかもしれませんが、それについては、私はあえてNoという立場を取らせていただきます。

教会がこれまで一貫して守ってきた掟に対して私は何も申し上げることはありませんし、神の御旨はそのような形で示されることと理解しています。
また、本件のようなケースに対し、教会は非常に難しい立場であることもよくわかります。

このような中で個人としてどのような態度を取ればいいのかという「正解」は先ほど申し上げたとおり、教会に参加し続けるということなのかもしれません。
しかしそれは当人にとって決して赦しの場ではありません。
むしろ決してこの世では赦されることがないことを実感しに行く場となるのではないでしょうか。

私は今の状況でも十分神の恵みをいただいておりますし、最後まで神に希望を置いています。神の憐れみを疑うことはできません。

「神は生かすかたです」という言葉は、私が以前修道生活を考え霊的指導を受けていたときに、某修道会にいらっしゃった神父様からいただいた言葉です。
そのお言葉のとおり、教会に行き、秘跡にあずかることは神の恵みの一つであって、恵みは決してそれだけにとどまらず、柵の外でウロウロしている羊に対しても柵の中の羊と同じように日々の恵みを与えてくれることでしょう。

このようなことから、一方的なお話で大変申し訳ありませんが、次回の面談のお約束はキャンセルさせていただけると有り難く存じます。
寒い日が続きますが、心身共にご自愛ください。

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聖書の中で、イエスがどのようなことを一貫して言っておられたのか。

徴税人、売春婦、罪人と一緒に食事をし、それを非難する人たちに厳しい言葉を向けていたイエスは、今この時代におられたなら何と言うでしょう。

教会の掟を守れる人だけが秘跡にあずかれるとするなら、誰が秘跡にあずかれるのでしょうか。正しい人はどこにいるのでしょうか。

「私は秘跡にあずかる資格がある」と思っている人こそ、福音書の中でイエスが非難していた人々ではなかったでしょうか。

私が言える立場ではないですが(笑)

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寒いねぇ

2017年12月28日 15時13分37秒 | リンとまくる

私の仕事部屋のエアコン直下はいつもまくるが占拠しているのですが、今日は珍しくリンが寝そべっていました。


警戒心が結構強いリンは、近づくとすぐに目を覚ましてしまいます。


可愛すぎてごめんなさい。

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右向け左!

2017年12月27日 22時26分16秒 | リンとまくる

何というか、2人で一緒の写真がないのでいいチャンスと思ったらコレ。

仲がいいのか悪いのか。

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