遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

詩人あの人この人~江口章子・その6「流浪の旅3」

2023年08月22日 | 読書

バラ 撮影日:2015/08/24 場所:某所の親水公園


1924(大正13) 36歳 
章子、中村戒仙住職の跡を追って葛飾の地に行く

昨日はここまで書いたが、この辺りが章子の衝動的なところだ
しかし、葛飾は白秋と同棲を始めた想い出の地でもある
1916(大正05)年、章子29歳、小岩町の紫烟草舎が二人だけの家だった 
戒仙を追いかけて来た章子にも、懐かしい場所だったに違いない

当の戒仙、この時は章子と入れ違いに上洛中だった
彼の弟が戒仙住職の松戸・栄松寺の留守居をし、
兄が戻るまで章子を泊めた
戻った戒仙は、章子の面倒を見るのは自分しかいない、と思い込む

というのは、2年前の芳春院、接客中の戒仙の部屋に突然章子が来て、
駄々っ子のように振舞った 落ち着かせることが出来たのは戒仙だけだった 
章子のその症状は、香々地へ戻って以来で、時々精神状態が不安定になった
(戒仙が章子との結婚に踏み切ったのは、この時より5,6年後のこと)

彼女を追い返すことも一緒に暮らすこともできない戒仙は、
実家の豊田家近くの辻堂に章子を住まわせ、彼女の世話も豊田家に依頼した

 
広幡八幡宮辻堂(G-mapリンク) トップ写真が章子の住んだ辻堂?(推測)


山門を入ってすぐ左、章子の記念碑があって次の歌が刻まれているそうだ
”手賀沼の みずのほとりを さまよいつ 葦かる音を わがものとせし”
なぜ、少林寺なのか、という疑問が湧くが、これについては改めて書く 

手賀沼の歌が出たので、手賀沼もリンク 写真が沢山載っている

今日は情報も少なく中身も薄いがここで終わり
次回は、章子の恋?の相手、水谷長三郎や生田春月との話の予定
それでは明日またお会いしましょう

[Rosey]