寺山修司の年表~三沢市寺山修司記念館サイトへのリンク(必要に応じ参照)
昨日 「乾いた湖」のPV動画Youtubeを紹介した
寺山修司脚本 篠田正浩監督の長編映画である
篠田正浩 1931(昭和6)ー 映画監督・(株)表現社代表
1960(昭和35)年 修司24歳 (新安保条約を可決)
篠田監督の下で映画に出演していた女優九条映子に篠田から電話が入る
篠田と寺山は神楽坂の旅館に泊まり込み 「乾いた湖」の脚本を練っていた
「飯田橋の駅まで来られないか? エコのファンの作家が一緒なんだけど」
その日 映子は撮影の予定が無く 妹と住む渋谷の家を出て飯田橋に向かう
作家と聞くと イコール「白髪の老人」のイメージしか浮かばない映子
「よろしく」と照れながら挨拶する寺山に ドギマギしながら「よろしく・・・」
と見て来たようなことを書くが 映子の回想記の超要約記述なのでご容赦!
これが二人の馴れ初めのいきさつだった
九条映子1935年(昭和10)-2014(平成26) と寺山修司1935(昭和10)-1983(昭和58)
1961(昭和36)年 25歳(ベルリンの壁崩壊)
四谷左門町に転居し母親と同居して暮らす
修司は映子と知り合ってから 渋谷の彼女のアパートに毎朝9時に顔を出す
修司が予定表を拡げると10時有楽座と書いてある
「珈琲早くね!」 「分かったわよ」 文句を言いながら姉妹は修司に尽くした
1962(昭和37)年 26歳(東京の人口が1億人を突破)
翌年の結婚に備え 映子が新居を探し始める
「条件は 3部屋 電話が使える 静かな場所 犬が飼える 家賃2万円以内
来春結婚ですが物件があればすぐに拝見します 近年中に家も建てる予定
そのことについてもアドバイスいただければ幸いです」
という内容を週刊新潮の”掲示板”欄に載せてもらった
映子は人気女優 修司も売れっ子の脚本家・・・週刊誌も便宜を図ってくれた?
そして杉並区和泉3丁目に新居が見つかった (※)
※ここで寺山修司と杉並の縁も生じた
なお和泉3丁目の最寄り駅は 京王電鉄井の頭線の永福町駅
西へ行くと7駅ほどで終着の吉祥寺となる
1963(昭和38)年 27歳(ケネディ大統領暗殺 )
吉祥寺カソリック教会で九条映子と結婚式を挙げる
本日はここまで 明日またお会いしましょう
[Rosey]