遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

こんな人がいた~「寺山修司その38 最終回 その#2」

2023年11月25日 | 読書


【詩歌の世界】
 寺山修司は俳句や短歌を10代から20代半ばまで作っている
 俳句や短歌の朗読を探したが 気に入ったものが無かった
 止む無く 数多くの中から好きなものを3種ずつ選んでみた

 「書物の起源冬のてのひら閉じひらき」
 「おもいきり泣かむここより前は海」
 「胸痛きまで鉄棒に凭り鰯雲」

 「売りに行く柱時計がふいに鳴る横抱きして枯野ゆく時」
 「麻薬中毒重婚浮浪不法所持サイコロ賭博われのブルース」
 「マッチ擦るつかの間海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」

 詩の数は膨大にある
 ここでは「少女詩集」より朗読を7篇(G-drive/MP3ファイルにリンク)

 もう1篇 寺山が好きだった「競馬」というタイトルの短い詩 

【ラジオ・ワールド】
 詩人の谷川俊太郎の勧めで 22才から寺山はラジオ・ドラマを書き始める
 ここでは30才の時にイタリア賞グランプリ受賞した作品を掲載
 NHKラジオドラマ「コメット・イケヤ」(G-drive/MP3ファイルにリンク)

 ラジオCMにも出演 SONY製品のCMがある
 CMは2編に分かれ 後半には寺山による自作短歌の朗読が録音されている

 今日はここまで 続きは次回に
 それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

こんな人がいた~「寺山修司その37 最終回 だいせんじがけだらなよさ #1」

2023年11月24日 | 読書
さよならの赤いバラ (G-driveの同名のMP4ファイルにリンク~歌と歌詞つき)


 寺山修司の最終回#1
 だいせんじがけだらなよさ・・・経文か呪文のようなタイトルはすでに紹介済
 今回は超異才寺山の仕事の総仕上げ(これまでとの重複は乞容赦)

【人物紹介・対談】
 五月よふたたび (1989)


 伊丹十三が語る寺山修司



 1967 寺山修司 RKB青森放送

 タモリの寺山修司

 タモリ 寺山修司のノゾき騒動を語る(1980年8月オールナイトニッポン)
 (Youtubeリンク)

 「あしたはどっちだ」PV

 「寺山修司葬儀」 最後の最後にしようと考えたが・・・ 

 今日はここまで 明日またお会いしましょう
[rosey]

こんな人がいた~「寺山修司その36 天上桟敷の女性たち#4」

2023年11月23日 | 読書


 寺山修司 36回目になった そろそろ着地させたい
 天井桟敷の女性たち・・・思っていた以上に情報が少ない
 創立メンバーのうち あと2人は載せたい

 一人目は次の女性


桃中軒花月 生年:不詳 浪曲師(修行中) 

 修行中の浪曲師がなぜ天井桟敷に入団したかは不詳 演劇がやりたかった?
 在団中は旗揚げ公演の「青森県のせむし男」から浪曲師として出演
 その後も主要な舞台には出演している
 
 見世物小屋的な芝居を目指した寺山に欠かせない存在だったのかもしれない
 以前も埋め込んだが「身毒丸」を再掲する 
 左上ステージで三味線を弾きながら 語り手となっている女性が彼女


 次の女性はこの人

蘭妖子(らんようこ) 1943(昭和18)ー 女優・歌手・声優ほか 

 上記の「身毒丸」など 殆どの舞台の中央ステージで主役を演じる女優で歌姫
 「田園に死す」から短歌の朗読と歌を埋込(Youtebe動画)


 今日はここまで 明日は寺山修司の最終回の予定
 それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

こんな人がいた~「寺山修司その35 天上桟敷の女性たち#3」

2023年11月22日 | 読書


 今日は材料不足のため一休み 寺山修司の新いろはかるた
 
 い 言わぬが鼻       ろ 論より勝負    
 は 針の穴に親指      に 似ても妬いても食えぬ
 ほ ほら吹いて花散らす   へ へそまがりの字まっすぐ 
 と 遠くの火事近くの情事  ち 蝶にもなれず昼寝ばかり
 り 律儀者の子無し     ぬ 縫い針にはれ瞼 
 る 留守にでは虹      を 女形(をやま)火を吐く子役が血吐く 
 わ わら人形にわが顔    か 鍵穴からうなぎ
 よ 嫁入りの蛇かくし    た 便りがないのは死便り
 れ 霊界から電報      そ 葬儀屋に産衣
 つ 月に梯子        ね 猫踏んで里帰り
 な 流されてから棹さがし  ら 欄干から赤紐 
 む 麦藁蛇が枕の下     う うなぎの歯ぎしり
 ゐ 井戸から手踊り     の のぞかれてからみだれ髪
 お 押し絵の七ほくろ    く 靴屋のねこばば 
 や 焼け狐に棍棒      ま 幕下りれば赤の他人
 け 毛深くて尼となり    ふ 福は内 鬼も内 
 こ 米櫃のこびと百人    え 煙突に蝶ネクタイ
 て 手で書いた足      あ あんまの地図好き
 さ 三度目の大嘘      き 気違いも髪型
 ゆ 湯上がりののみとり粉  め 迷路でじゃんけん
 み 見せるだけの毒薬    し 死人のおしゃべり
 ゑ 絵馬のかげの産婆    ひ ひらがなで女を捨て
 も 持たぬ棒でぶたれる   せ 千里の野に蚤一匹
 す 酢が過ぎてまだ童貞   京 東人形は顔ばかり

 多種類の動画が連続しているのでいつでも止めてかまいません 

 それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

こんな人がいた~「寺山修司その34 天上桟敷の女性たち#2」

2023年11月21日 | 読書


 さて 今日の女性は「寺山はつ」・・・寺山修司の母親だ。
 彼の死後 はつも「母の蛍~寺山修司のいる風景」という本を書いている 

 ただ、このブログ茶者は田中未知の本を読んでいないのではないかと思う
 

寺山はつ1913(大正2)-1991(平成3) 寺山修司1935(昭和10)-1983(昭和58)

 その著書を読んだ田中未知が「寺山修司と生きて」で はつの事を書いている 
 信頼できる医師から 精神病院に入れては と寺山と田中は言われた程だ
 もちろん 寺山にそうすることは出来なかったが・・・
 田中は 寺山が坂口安吾の作品を読んでいることにも言及
 幼少時の母親の独善ぶりが二人の共通体験にあるのでは・・・と指摘している

 章タイトルが「母地獄」・・・ハツのモンスターぶりが見事に描かれている
 息子を 修ちゃんと呼びながら 可愛がるかと思えば ジコチュー人間 
 周囲は振り回されているばかり 友達は1人も作らず お金が親友

 寺山の死後はさらに尋常ではなくなった
 誰にも相談せず 寺山の墓を高尾山に作った 
 葬儀は盛大に行われた はつは出席しようともしなかった
 邪魔だからと 修司の作品や蔵書など全て売り払って金に換えようとした
 
 田中は、人から金を借りてでも遺品を一つでも多く買い取った
 ところがその後 はつは 遺品を返せ と言い始めた
 田中は未入籍 著作権保持者は母はつ 誰かが入れ知恵したのだろうか
 しかも「遺品整理を手伝った田中とは一切関係が亡くなったので承知を」
 といった手紙を関係者宛てに出したのである

 寺山が死んで3年後の1986年
 田中の企画で「テラヤマ・ワールド」展開催
 展示したものはすべて三沢の寺山修司記念館の手に渡った
 その間 寺山の名を使って暗躍し 利益を得た人間がどれほど多かったか
 見切りをつけた田中は 誰にも知らせずに日本を離れ オランダへ・・・

 上記の企画展 田中の話や寺山の遺品写真などネットで探したが無し
 田中未知にもう1冊 大事な本があった(高くて買えないでいる)
 また 寺山修司が答えている動画も埋め込む(幾つかの質問と回答)
 

 今日はここまで それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]