引き続き下出先生の書籍から引用させていただきました。
(page99).....体の変形自体では身体的な問題はいっさいありませんが、自分の体型に対する美容上の精神的なコンプレックスが問題となります。十歳代のころはあまり気にならなくても、二十歳前後になりコンプレックスをもつようになる方は少なくありません。とくに女性の場合はそうです。日本での調査ではありませんが、特発性側弯症で60度以上り変形をもつ女性の未婚率は明らかに高率であるとの報告があります。自分の体型に対するコンプレックスから異性や一般社会へのアプローチが消極的になるためとされています。特発性側弯症による体型の変形は身体的な問題よりも精神的な問題を多く含み、非常に大切なものですが、この問題の大きさを評価するのは慎重でなければなりません。
(page157) 背骨の病気は焦りが禁物
...(略) 病的な体ではなく正常な体と考えてよいのです。(略)...ふだんの生活や姿勢で、スポーツや体操で、または牽引やマッサーや整体などの治療で背骨の変形がよくなったり悪くなったりすることはないのです。(略)....決められた間隔で定期的に客観的なチェックを受け、もし悪化の傾向があるようなら装具による治療を積極的に受け入れるという心の準備が大切です。このようなある意味では開き直ったクールな心構えは、患者本人である子どもよりも親御さんにとって大切なものであることを強調しておきます。というのは、背骨の変形に対するまちがった理解のものに何とか子どもの背骨の変形を治したいという親心から間違った治療に走り、子供に無用な犠牲を強いたり、心に大きな傷を残したりすることがままあるからです。(略)....軽い側弯変形で悪化の可能性もほとんどないのに、治療に通うために3年間の高校生活の課外活動を犠牲にした人もいます。また毎日整体やマッサージに通っているので大丈夫だろうと思っていたら、変形が著しく進行しすでに手術が必要な状態になっていたという人も少なくありません。(略)....体がゆがむたいへんな病気だと子供のころからさんざん言われつづけ、すっかり自分の体型に自信をなくし、プールにも海にも行く気がしないという人もいます。でも、だいたいの人は裸になってもほとんどわからないくらいの側弯症なのです。このような悲劇は決して珍しいものではありません。(略).....誤った知識や安易な治療法に走ったためにおこった悲劇といえます。(略).....無用な犠牲を子どもに強いることのないようにすることがもっとも大切なことです。
下出先生からの引用に続けて、「側弯症治療の最前線(基礎編)-2013年」の類似するセクションからも引用させていただきます。
.......思春期に発症することから、体表面上の異常が大きな心理的ストレスになっていることが多い。好きな服を着ることができない、薄着ができないので夏が怖い、プールや海で水着になれない、学校での体育授業での着替えが耐えられないなど、個人個人でその悩みは異なるので、注意深く子どもの声に耳に傾ける必要がある。そもそも背柱は真っすぐでなければならないといった固定観念がわれわれのなかに存在しているため、本人のみならず両親や周囲の人たちも、側弯症と聞くだけで重篤な疾患になってしまったといったある種の絶望感が芽生え、不安の極致に達しているため、正常な脊柱をもつものからは想像できないような苦悩があると理解することが重要である。心配になり受診した整形外科から、「これは治らない疾患です。そのまま放置しておいてください、治療の方法がありません。少しくらい曲がっていても気にするな」と言われると、さらに心配が高じ、やさしく対応してくれる民間療法へと流れてしまうことがあるので、患者と家族への説明には十分に注意を払う必要がある。民間療法のネツトには「脊柱側弯症は治ります」といった虚偽の宣伝が行われているサイトも多く、それを信用したために側弯症が進行してしまった症例も少なくない。側弯症の治療に関与する医師は、十分に患者心理を理解し、患者の気持ちが整形外科から離れないように注意を払った言動を心掛けるべきである。(略) 昨今では女性の社会進出が進み、体幹の容姿(cosmetic appearance)への関心が高まっている。(略) 英語で self-confidenceという言葉があり、日本語では「自分に対する自信」という意味である。側弯変形のある女性は、この self-confidence をもてない状態にあることが多く、それをどう支えていくのかということが、非常に大きな医療従事者に課せられた課題である。..... (引用元:側弯症治療の最前線-基礎編:5項 側弯症によって生じる病状と問題点:執筆者 北海道大学脊椎先端医学講座特任教授 伊藤学先生)
☞comment by august03
医学・医療の進歩により、このブログを書き始めた10年前に比べると、現代の医療(手術治療)はさらに格段の進歩を遂げています。ですから、もしインターネット検索で側弯症手術に関する患者さんの経験談等をご覧になるときは、そのコメントがどの時期に記載されたものであるかに注意されて下さい。例えば、5年前以上であるならば、その時代の経験談はすでに古くなっている可能性が高いと思います。手術自体の技術、合併症予防の技術、医薬品も含めて痛みのコントロールの技術等、5年前と現代とはかなり(良い意味で)異なっている、と考えて欲しいのです。
一方、「こころ」の問題は現代医療でも簡単には解決できない部分として残っているのが現実かと。こころをどうケアすれば良いかについては、グーグルでも答えは見つかりません。医療の多くの場合は「課題を集約し、分析し、そこから一般化・共通化」することでこういうケースではこうすれば良いというスタンダードが見つかり、それが医療現場で共有化されていくものなのですが、「こころ」はその実態が見えず、「こころ」はひとつひとつが個別のものである為に、スタンダード化できる範疇ではありません。私august03が、このブログで何を書いてみたところで、患者さんあるいはお母さんひとりひとりのこころの悩みを解決することはできません。その現実が歴然として存在していることは私august03自身も自覚しています。
私にできることは、何が問題なのか、ということの提示と、もしかしたら何かの役にたつかもしれないという情報のみです。その限界を知りつつ記載しています。ネット検索しますと、この「こころ」についても、私が解決します・当院で解決できます・解決しました的な言葉を拾うことができますが、そのような傲慢な、無責任な事は私にはできません。
そのような無責任な言葉が氾濫することが、インターネット時代のひとつの負の側面だと思います。助け合いのレスの影で、別な目的を持ったレスが「助ける気持ち」を隠れ蓑にして別の方向に持っていこうとする。(私も側弯症でしたがxx整体で治りましたよ。とても優しい先生です。そこに行くことをお薦めします。←これなどが典型的な例) ネット社会は残念ながらそういう世界のようです。また文化的要因も「こころ」の持ち方に影響を与えていますから、簡単にこうすれば解決できるというわけにもいきません。日本に根付いた「恥の文化」はおそらく病気を治療する環境にも影響しているのでしょう。先般記載した米国の患者さんがたの報告、あれは別の言葉でいえば「新たな挑戦を開始した自分を見てくれ」というメッセージです。側弯症の自分を否定して、影に隠れるのではなく、側弯症と戦う自分を見て欲しいという自己肯定であり、また見て欲しいと声をあげることによる承認要求を満たす行為なのだと思います。人は誰しもが、自分を見て欲しい、自分を肯定して欲しい、自分を承認して欲しいという要求を持っています。欧米文化は、宗教的要素もあるのかと思いますが、神が与えた試練を受け止めて、その試練を乗り越えて、神にその乗り越えた姿を見てもらうという意識があるのではないでしょうか。またそのような宗教的あるいは文化的背景を持った欧米社会では、周囲の人たちが、それは親も、祖父母も、親類も、友人も、学校の先生方、近所の方々も、病気に打ち勝つ為に挑戦する彼・彼女を励まし、その挑戦を肯定する精神共同性を持っているようなのですが、残念ながら、日本には自己を肯定するという形での宗教は存在しませんので、欧米のような形とは異なる道を探さなければならないのだと思います。
どうすれば病気の子供たちの。そしてご両親の「こころ」を支えられるのか、私にも答えはありません。引用できる文献もありません。ただひとつだけつねに強調したいことは、その役割を担うのは側弯整体ではないということです。病気という範疇においては、その役割を担えるのは「その病気を経験した人たちで構成する患者会」ではないかと思います。側弯整体でも、そくわんヨガでも、側弯カイロプラクテックでもありません。
小川宏氏の著書の一節に次のような文章があります。
.....病気は生活上の苦しみであり、人生の挫折ではない.....
私が自分でできないことを他者に転嫁しているような心苦しさもあり、安易に記載できることではないのですが、患者の会に参加されている方々からは、きっと、このブログを読みに来られている皆さんのお役にたつ言葉がたくさん聞くことができると思います。グーグルで「側弯症 患者の会」で検索しますと、「あやめの会」と「ほねっと」が見つかります。側弯症で悩んでおられる方は、ぜひとも患者の会とコンタクトを取られてみてはいかがでしょうか。
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august03
☞august03は、メディカルドクターではありません。治療、治療方針等に関しまして、必ず主治医の先生とご相談してください。
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☞原因が特定できていない病気の場合、その治療法を巡っては「まったく矛盾」するような医学データや「相反する意見」が存在します。また病気は患者さん個々人の経験として、奇跡に近い事柄が起こりえることも事実として存在します。このブログの目指したいことは、奇跡を述べることではなく、一般的傾向がどこにあるか、ということを探しています。
☞原因不明の思春期特発性側弯症、「子どもの病気」に民間療法者が関与することは「危険」、治療はチームで対応する医療機関で実施されるべき。整体は自分で状況判断できる大人をビジネス対象とすることで良いのではありませんか?