昨日の激しい雨。
被災なさった方々を思います。
何もできない自分、当たり前の日常を送っている自分を思います。
今朝の朝刊。
‘ おやじのせなか ’という 大抵読むコーナーが あります。
今朝は ‘ のぶみ ’ さんという 絵本作家の方が。
存知ないかたですが。
お父様が牧師でいらして、 お母様も ボランティア活動等で お二人揃ってお忙しく、
構ってもらったことが 殆どなかったとのこと。
勉強は苦手。小学校では いじめにあい、首をつろうとしたことも おありだとか。
中学時代は 引きこもり。
高校では 荒れまくり。 派手に喧嘩をして 警察によばれたことも。
元々 居場所を求めてのこと。
悪いことをしたかったからではない とのことでした。
親が勝手に申し込んだ 保育の専門学校に行き、
同級生の女子と 仲良くなりたい一心で、絵本を書き始めたそうです。
それが 今の奥さま。
お父様の口癖の ≪ 神様が みているよ。≫
を 今は 思えるそうです。
7年間 売れなかった時は、≪ 神様試験≫ と呼んでられたそうです。
私も、同じように思いながらの日々です。
心のどこかで やましいことを考えたりしてしまうと、
「 神様が見てられるわ。」と思います。
私の場合、調子が良いと 足元見ずに言動し、
働いていた間、何度も失敗していました。
逆に、落ち込んで、コツコツ歩いていると、
それが 思いもよらないことに 通じていることも多々ありました。
亡くなった母は、「人生 塞翁が馬」と よく言っていました。
良いことが悪いことに なることもあるし、悪いことが良いことに つながっていることもある。
だから、ひとつのことに こだわらず、一喜一憂せずに、です。
歳を重ねる度に、このことが身に染みてきました。
「 あっ!! あのことが こんなことにつながっていたんだぁ」って思うこともあるし、
「 調子にのったら ダメなんだ 」 と 反省することもあります。
この病気で 辛くて辛くて 苦しんでいる際は、
「 神様は、私を なぜ こんなにも苦しめられるのですか?」と尋ねる私です。
回復すると、当たり前の暮らしが いかに有難いことかを、
神様は 教えようとなさっていたのね、と思ってきました。
まだ、神様が 私に この病を与えられた その答えは 見つかりません。
見つけることが出来ません。
今は、約5か月。 それなりに いろいろあったものの、
今までのように < 寝込む程の長い鬱 > には なっていないこと。
・・・今までは、1年間の半分が < 寝込む程の鬱状態 > でした。
変な言い方ですが、四季折々といった 状態でした。・・・
≪ 神様試験 ≫・・・ 辛くても 苦しくても、必ず その答えは与えられる、
そう思いたいし、信じたい私です。
こうして 毎日、ブログを書かせてもらって、
自分を見つめなおす、そんな機会に出会わせてもらったこと、
お顔を存知ない方々と コメントを通じて 親しくさせて頂いていること。
これも 神様からのプレゼントに思っています。