国際社会の言う民主化とヘイト規制ほど胡散臭いものはない
イラクとシリアにまたがり、独自の文明圏を構築した『イスラム国』に対する国際的な批判が集中し、アメリカによる攻撃が行なわれている。
イスラム国は国際テロ組織アルカイダの影響も受けているとされ、両者を混同する向きもあるかも知れないが、シリアでは「アサド政権」VS「自由シリア軍・ シリア国民連合など民主化を求める勢力」と「アルカイダ」VS「イスラム国」といった具合に、三つ巴、四つ巴の戦いが繰り広げられているようである。
これを日本の身近な構図に例えると、「安倍政権」VS「『レイシストをしばき隊(現CRAC=首都圏反原発連合=共産党が母体)』&『男組』『憂国我道会』『のりこえねっと』ほか極左勢力」VS「『在特会(在日特権を許さない市民の会)』ほか行動する保守運動勢力」および我が「最右翼勢力・侍蟻」と形容することが出来ようか。
シリアでは民主化勢力の背後にアメリカがいるようだが、日本でも在特・行動する保守デモへの妨害の背後には中国・朝鮮勢力の影がチラついている。日本政府に対してヘイトスピーチ規制を求める国連の背後にはアメリカの意向が介在していることは間違いない。
シリアほか各国への民主化要求の動きを、日本でのヘイトスピーチ規制になぞれば分かり易いが、シリアでは独裁政権でも何でもないアサド政権が「民主化」の名の下に武力での打倒が叫ばれている。日本で問題とされるヘイト規制もそう。実際はヘイトスピーチでも何でもない、ただの愛国市民デモがヘイト規制の名の下に法規制されようとしている。
暴力的でも何でもなく、ただ、それぞれの民族はそれぞれの国で暮らしましょうと言っただけのデモ行進が。
もとより世界各地の国境線とは特に第一次大戦や第二次大戦後、強国の思惑によって人為的に敷かれたものであり、各民族が国境をまたいで分散しているというのは歪な状況に他ならない。
もっとも朝鮮民族のように同民族で南北に分裂し、中国東北部やロシアにまでまたがって存在しているのは一向に構わないと思うが、願わくば朝鮮人は朝鮮人同士で固まり、半島に閉じこもったまま、どこにも侵出してもらいたくないものである。
イスラム国は一方的に建国を宣言したが、国際社会からの容認は得られていない。似たようなケースとしてアフガニスタンで政権を樹立したタリバンにも同じことが言えるかも知れないが、国際社会からの容認など受ける必要もないのではないか。
民主化を口実に、各国に干渉をしまくる当のアメリカにしたところで、人種間・民族間での対立が抜き差しならない状況なら、昔のように南北に分裂して、主に 有色人種への警戒や反発が強いとされる南部において白人優位の政策を行なえば良いのである。北部が良いと思う人は北部へ、南部が良いと思う人は南部へ移住 するだけの話だ。国際社会が「南部政権」を容認しようと容認しまいとアメリカ人こそ、それをやれるに違いない。
テレビ・ニュースの映像でも映されていたが、イスラム国で定期的に行なわれる公開処刑が盛んにマスメディアで問題視されている。イスラム国のやっていることは非近代的で前時代的というものだ。
しかし、ニュース映像を見て「怖い」と思うのは現代日本人の感覚であり、当のイスラム国においては、その文明圏において行なわれるべきことが行なわれているに過ぎない。イスラム文明圏において在るべき姿として。
日本でも武家時代には公開形式の打ち首や晒し首が公然と行なわれていた。
この日本において突如、「ネオ武家政権」が樹立されて大江戸時代のような「鎖国政策」が実施されたと仮定して、国際社会は決して容認しないだろう。
しかし、日本人が国民の総意として鎖国政策を是とすれば、国・社会としてその道を突き進む以外にない。所詮、民主主義だとか主権在民と言ったところで誰もが何をどうして良いのか分からないのだから。
イスラム国における問題も同様である。冒頭にイスラム国が構築した独自の文明圏…なる表現を用いたが、イスラム国という国の概念とは日本人が考える国とは異なるものであり、民主主義を確立した欧米人や現代日本人の感覚のみで世界各地の諸事情は語れない。
だいたい欧州各国にしたところでアメリカが正義の旗として振りかざす民主化のドミノにもウンザリしているのが実情ではないか?
欧州の先進国はどこも大量に雪崩れ込んだ数百万人規模の移民問題に苦しめられている。欧州の為政者も内心、移民の犯罪者をバタバタ公開処刑に出来ればどれだけスッキリすると思っていることだろうか。
日本においても同様。毎年、『反天連(反天皇制運動連絡会)』なる不逞の輩が天皇陛下や戦没者を侮辱したデモ行進を行なっては街中を練り歩いているが、一度にバッサリ処刑でもすれば次の年からは同じような公序良俗に反したデモ行進は絶対に行なわれない。
イスラム国で行なわれている諸政策が「野蛮だ」とか「非文明的だ」「非近代的だ」という批判もあるだろう。野蛮で非文明的・非近代的なことを忌避して誰も が生きる権利がある、人権尊重の世の中になって、より野蛮で不逞な輩を氾濫させているのだから日本を含め先進各国で行なわれていることは本末転倒である。
ついこの間も黒人射殺に端を発した暴動に便乗してマーケットから商品を略奪するという騒ぎがあったようだが、ハリケーンやら災害の度に略奪、黒人の犯罪者 が射殺される度に暴動が発生するアメリカとしてもウンザリしているはずなのに、誰もがやめたくてもやめられない…。それが「人権尊重」「人命重視」「多文化・多人種・多民族共生」がドップリと染み付いた近代体制と議会制の民主主義である。
それでもなお民主化を追求して追求しまくり、独裁政権でもない政権を打倒させてまで民主化の手綱(たづな)を徹底して締め直したいとしていのがアメリカである。もはや、世界中が狂気の沙汰と言うしかない。
決して私個人としてはアメリカが嫌いなわけでもないし、アメリカ人が嫌いなわけでもない。ただ、アメリカ人こそは表層的に取り繕った人種間・民族間の平等という概念を美徳とするのではなく、在るべきアメリカ合衆国の姿を追求してもらいたいと思っている。
奴隷制度の復活も大いに結構。土人の如き黒人ほか有色人種を氾濫させて平時においても犯罪、非常時においても暴動・略奪を引き起こされては敵わない。
ここ十数年の動きを見ていると、アメリカはイラクが危険だと叩いては9・11事件やアルカイダ、タリバンの台頭を招き、アルカイダやタリバンの掃討作戦を展開する一方でシリアを叩いてはイスラム国の台頭を招いた。
敵を叩いてより強敵の台頭を招き、軍事産業はそれで儲かるのかも知れないが、それもいつか行き詰まりになると思われる。
イスラム国の諸政策がどうあろうと、イスラム圏ではないキリスト教文明圏や日本の価値観を持ち込むことは出来ないし、関われるような問題でもない。
むしろアメリカや欧州、日本といった先進国こそイスラム国に倣い、独自の文明圏において門戸閉鎖(=鎖国)の方向に向かうしかないのではないか。
この先、中東のイスラム圏をはじめ世界各地で国際社会が容認し得ない政権が続々誕生するものと思われる。
もはや国際社会の容認など必要とされないし、その国際社会というやつこそ、その在り方が見直されるべき時に来ている。
現在、国連ほか国際社会が日本に対してヘイトスピーチの調査や実態の把握そして法規制を求めてきているが、大きなお世話と返すしかないだろう。
ヘイト、ヘイトなどと、日本に住む少数の外国人に対する権利や地位保全ばかりが謳われるのみで、元来より、そこに住む大多数の日本人の権利は一顧だにされない。
これがヘイト規制を求める側(国連および国際社会)の実態である。
このような国際社会の承認やら信任を受ける必要があるだろうか?
移民や難民をより多く受け入れている国が素晴らしいなどと、これほどの暴論はない。外国人留学生の受け入れにおいても同様。より多くの留学生を受け入れている国の教育が素晴らしいなどという道理はどこにもない。
まず、国際社会の「常識」に対して背を向ける。そこから始めなければ、この21世紀、日本を含めてどこの国も救われない。
独裁政権でもない政権が民主化の掛け声でクーデターや内乱まで仕掛けられている一方、本来的なヘイトスピーチでも何でもなく、ただの愛国市民デモに対して ヘイト規制せよという要求が強まっている。この二つは国際社会に名を借りたアメリカが進めているものであり、その本質においてはまったく変わらない。
シリアにおける内戦では民主化を求める反乱軍が正義のヒーローであるかのように報じられているが、それでも倒されまいと踏ん張っている政府軍がいる。日本もかつて、こうした言いがかりに等しい大義名分によって内乱を仕掛けられた。それが明治維新における「戊辰戦争」であり倒幕である。
それから時を経て、今度は朝鮮人や中国人の追放を主張した愛国市民デモという「日本人最後の砦」への法規制が持ち上がっている。
これを以って日本人の声はいよいよ完全封殺され、朝鮮半島との共生同化政策に勤しんだ狂気の時代(戦前)が再現されるのだろう。
国際社会の言うヘイトスピーチなるレッテル貼りこそ「名誉の称号」というメンタリティに立脚すべきである。